思えば「yabuniramiJAPAN」なるサイトを何度も再開しようと試みて、その都度挫折してきましたが、結局本格的に再開させたのは2010年。「無期限更新停止宣言」なるものをして三年ほど経った頃です。
再開を決意した直接的な理由は「植木等ショー!クレージーTV大全」という本にクレージーキャッツファンサイト「CrazyBeats」の管理人「藪似」としてかかわらさせてもらったからですが、本当の理由は「変名でブログを書く意義を見失っていたから」です。
無期限更新停止中もmixi(一応本名)とsugame京浜(これはとくにハンドルネームは定めていなかった。たぶんこの頃からハンドルネームという文化が廃れてきたんだと思う)というブログ名でネット上に文章を書く行為はやっていたんですが、愛着のあるyabuniramiJAPANとしてやりたいな、とは思っていたんです。
しかしそれ以上に、たかだかブログで、しかも別に有名人でもないのに変名でってどうなの?とはずっと思っていた。意味がないにもほどがあるだろうと。
せっかくyabuniramiJAPANという名称でブログをやって、藪似なんていうハンドルネームをつけてやってたんだから、それでいいんじゃない?と。
それでも、いざ再開、となると、かなり悩みました。
アドレスは変わっているとはいえ、放置中のサイトを再び始める、というのは、何ともいえない妙な緊張感があるんです。たぶんその緊張感が嫌だったから変名でやってたんですよね。
何で緊張するかといえば、もう再開の第一回目のエントリですよ。ホント、何て書いていいのか皆目見当がつかない。
まァ、「お久しぶり」とやるのが常套なんだろうけど、これはブログに限らずね、久しくメールやSNSでやりとりしてない人にメッセージを送る時の緊張感に似ています。
再開して一回目ってのは、どうにもかしこまらなきゃいけないって感じになっちゃう。一から新しいことをやるよりよほど緊張する。
そんなことをせず、いきなり「そういえばこないだ」みたいな書き出しにはどうしても出来ないっつーか。もちろんそっちの方が自然なんだけど、自然すぎるのも不自然というか。わかりますかね。
さてさて、そんな前フリと微妙に関係ある話を。
しばらく休止していた連載漫画を再開させる時の漫画家の気持ちってどうなんだろうと。
まず作風をどうするかは非常に重要です。
たぶん連載を再開させるくらいだから、休止前は一定の人気を誇っていたはずなんですよ。それが連載再開する、となったら、ファンなら期待しますわな。当然です。
その期待に応えるために、どういうふうに持っていくか、これはかなり難しい。
たぶん、一番ダメなのが「以前(休止前)とまったく同じにしよう」というやり方です。
ファンはたぶん、まったく同じ、を求めているのは漫画家にもわかっているはずです。なのに何故それはマズいのか、簡単にいえば「まったく同じになんかできるわけがない」からです。
たとえば連載休止期間が一年だったとしましょう。でもその一年の間に作者の知識も考え方も確実に変わっている。これがその一年連載が継続されてたら徐々に移行、みたいな感じになって違和感はないはずだけど、一旦休止を挟んじゃうとその期間を埋めるように、ファンは一年前の作風を連想し、作者は一年前の自分に帰って作品を仕上げようとする。
もう、その時点で無理がある。一年前の自分に帰って、なんて、絶対にできるわけがないのです。でも無理矢理戻ろうとするから、作品自体が妙に窮屈になる。はっきりいえば「作風は一緒だけど、何だか妙につまらない」となってしまう、と。自然体じゃないからです。
では「あくまで今の自分で作品を捉えよう」と作者がする、つまり「どうせ自分が変わってるんだから作品も前に捉われず変えてしまえ」とする方法はどうか、ですが、こっちの方が作品のクオリティはキープできるんだろうけど、ものすごい批判を覚悟しなきゃいけない。それはそれで辛いですよね。人気っていうことを考えても、あんまり良くないし。
じゃあどうすれば良いのか、なんてアタシにわかるわけがないんだけど、何度読んでもスゲーな、と思うのが「新オバケのQ太郎」の第一回目「Qちゃん、また来たの?」です。
再開第一回目ということもあり、「オバQ」のような一話完結の話の場合、主要キャラクターは総登場させる必要があるのですが、それをクリアしつつ、異様な緊張感が漲る雰囲気で押し通している。
本来「オバQ」はゆったりのんびりした作風なので、変わってるといえば相当変わってるのですよ。でもここまでストーリーで引っ張ることをやらないと読者は入っていけないような気がするんです。
とにかく極端なほど、主人公であるQちゃんに感情移入させる作品にしてある。久しぶりに正ちゃんの住む街に帰ってきたのに、感動の再会どころかまったく相手にされない。さらには邪険にさえ扱われてしまう。
ちゃんとギャグとして処理されてるからまだ耐えられるけど、冷静になって、自分に置き換えてみたら、胸が締め付けられてしまう。もし自分が久しぶりに再会した友人からこんな態度を取られたら、と想像しただけで、辛いというか悲しいというか、作中にあるように「わるいゆめ」にか思えないはずです。とにかく屋根の上でO次郎を抱えて泣いているQちゃんが切なすぎる。
もちろん最後はハッピーエンドっつーか、良い終わり方をするのですが、それを含めてたった15ページでこれだけ起伏のある、連載再開第一回目に相応しい話を創造した藤子・F・不二雄はやはり只者ではない。
マジでこれ、いろいろと参考になるよ。