今だから!アルバム「スーダラ伝説」
FirstUPDATE2016.3.24
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 1990年11月、すべての植木等ファン、そしてクレージーキャッツファンが驚愕するCDが発売されました。

 いうまでもなく「スーダラ伝説」なのですが、シングルとして発売された10分41秒にも及ぶ大メドレー「スーダラ伝説」は瞬く間に話題になり、その年の紅白歌合戦に植木等が出場するなど一大センセーションを巻き起こしました。
 が、「スーダラ伝説」を表題としたアルバムはというと、わりとひっそりとしたもので、当時、アタシの周りにいた(今考えると「浅い」)ファンも「なんか違う。コミックソングがほとんど収録されていない」という感想が多かったのです。
 アタシ自身もほぼ同じような感想で、「スーダラ伝説」はともかく他は何度も繰り返して聴こうとは思いませんでした。

 あれから約四半世紀が過ぎ、今になってやっとこのアルバムに込められた意味がわかるようになってきたのです。
 では一曲ずつ見ていきます。

1.スーダラ伝説
 この大メドレーは「植木等ショー!クレージーTV大全」に記されている通り、第一期「植木等ショー」第一回でのメドレーに原型を見ることができます。
 「スーダラ節」~「無責任一代男」~「ドント節」の流れは完璧であり、その後もテレビで幾度か「スーダラ伝説」の短縮版を歌うことがありましたが、ここの流れだけは一度も変更されませんでした。
 特に注目に値するのが、「スーダラ伝説」発売以前、「懐かしの」という形で植木等個人、もしくはクレージーがテレビでメドレーを歌うことも少なくなかったのですが、何故か「無責任一代男」だけがオミットされているケースが多かったのです。
 それが「スーダラ伝説」ではメドレー中唯一2コーラス(1番と6番)歌われており、これは「植木等ショー」で歌われた原型とも、「ニッポン無責任時代」「ニッポン無責任野郎」「日本一の色男」(すべて同一トラック)とも同じなのです。
 何しろ当時は「植木等ショー」のメディア化はおろか「クレージーキャッツ・トラックス」ですら発売前であり、曲順や曲サイズがここまで練り上げられたものだったとは想像もつきませんでした。
 もちろんコーダでスキャットと第九をミックスさせる「宮川泰ならでは」の着眼点が、すでに何度も試みられており、その完成形として採用された、など知る由もありませんでした。

2.笑えピエロ
3.花と小父さん
 浜口庫之助が作詞作曲した二曲ですが、「植木等スーダラBOX」に収録された「スターロータリー」(「オレは幸せハナ肇」)を見れば、植木等が如何に「花と小父さん」に強いこだわりがあったか、そして「笑えピエロ」は意外と気に入ってなかったかがわかります。
 おそらく「笑えピエロ」はセットとして収録されたもので、植木等本人からすれば、どうしても「花と小父さん」だけはもう一度歌いたかったのでしょう。
 この辺の考察はココでやっています。

4.チビ
 元々「植木等ショー」で歌われたものであり、植木等宅にスコアが残っていたこともあって収録されたようですが、現時点でどの回で歌われたかは判明していません。
 しかし「植木等スーダラBOX」に収録された第一期第五回のスパイダースがゲストの回で歌われた「野良犬ヒトシの物語」のような、観客との掛け合いで歌われたのではないかと。となると完全にスタジオ収録となった第二期ではなく、公開収録の回があった第一期に歌われたものと思われます。
 もしかしたら第一期第一回の「花と小父さん」が歌われた時にデュエットした池田ミマコを傍らで寝かせた状態で歌ったのかもしれません。

5.銀座イエスタデイ
 「笑えピエロ」「花と小父さん」「チビ」があからさまに植木等主導なのにたいし、これは宮川泰主導ではないかと思われます。
 細かい目配せをして当時のジャズの雰囲気を再現しているのですが、この曲だけは発売当時と今とで印象が変わりません。

6.地球温暖化進行曲
 おそらく「植木等らしい曲、しかも新曲も収録しないと」といった感じだったのでしょう。
 作詞クレジットは伊藤アキラ単独ですが、実際はコンセプトから植木等が関わっており、曲そのものより最後の「ひとりコント」といえる部分に輝きを見ることができます。
 ただその後、コンサートでもテレビでも一度も歌われたことがないのが惜しい。映像で「ひとりコント」の部分を見たかったとつくづく思います。

7.二十一世紀音頭
 これは今聴くと実に味わい深い。
 「スーダラ伝説」から5年後に発売された「植木等的音楽」で作曲した三波春夫とデュエットしていますが、歌詞が変えられていて「二十一世紀」のイメージが変化しているのが面白い。
 時代を切り取り笑いに変えてきたのが往年のクレージーとするなら、もっともクレージー的な曲かもしれません。

8.スーダラ節(平成ミックス・ヴァージョン)
9.スーダラ節(昭和モノミックス・ヴァージョン)
 この二曲に関しては完全にプロデューサーを務めた大瀧詠一(クレジットは変名ですが)主導でしょう。

 全体を通して見ると、これは「コンセプトのないコンセプトアルバム」みたいなもので、植木等、宮川泰、大瀧詠一の三名がやりたいことを詰め込んだ、甚だまとまりの悪いアルバムです。
 しかも各人の思いが強い分だけ大衆的でない。表題曲である「スーダラ伝説」だけではなく、他の収録曲も「植木等らしい」曲で埋めるのが普通です。
 浜口庫之助の二曲も、「チビ」も、「スーダラ節」のリミックスも、何も久々のソロアルバムでやることないんじゃないの?次のアルバムでやれば、と思わなくもない。
 当時感じた、そうした違和感は最初に述べた通りですし、今もって変わりません。

 しかし発売前に「スーダラ伝説」がヒットする兆候があったわけではなく、ひっそり発売され、ひっそり消える可能性も大いににあった。
 それまで何度かリバイバルを狙ったものの、ことごとく上手くいかなかった(例「実年行進曲」)こともあって、まさか紅白に出るわ、コンサートを大々的にやるわ、テレビのメインパーソナリティになるわ、そして結局お蔵入りになったとはいえ東宝で無責任物の映画制作が決定するわ、という見通しが出来るわけがありません。
 となると「次のアルバムを作る」企画すらなかったはずで、このアルバムですべてを表現しよう、となっても不思議じゃない。

 今となっては、この甚だまとまりの悪いアルバムに込められた各人の思いが痛いほどわかる。「植木等ショー」の映像が発掘され、アタシも微力ながら協力した「植木等ショー!クレージーTV大全」において「植木等ショー」をはじめとしたテレビでのクレージーの全貌、全貌まではいかないにせよ一部が明らかになるにつれ、このアルバムの意味がわかるようになったのです。

 「植木等的音楽」のライナーノーツに大瀧詠一が「5年後に評価される」と書いてますが、アルバム「スーダラ伝説」が本当に評価されるのは、四半世紀以上たった今なんじゃないでしょうか。

植木等のソロアルバム「スーダラ伝説」を総括してみたのですが、実際、リアルタイムの感想としてはアルバム盤「スーダラ伝説」はあまり評判が良くなったのです。もう完全に楽曲「スーダラ伝説」におんぶに抱っこで、よほどのファン以外は「アルバムを買う必要はない。「スーダラ伝説」を聴きたければシングルで十分」って感じでしたから。
もちろん今聴くと違う感想はあるんだけど、やっぱリアルタイムの感想って大事なんでね、ま、一応補足ってことで。




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