どうしても花と小父さん
FirstUPDATE2016.8.1
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 植木等がおそらく生前の植木等に「単純に楽曲として一番好きなのはどれ?」と聞けば、花と小父さん、と答えたような気がします。

 「花と小父さん」。浜口庫之助作詞作曲の、いわゆる植木節とはひと味違う、1967年に発表された曲です。
 この曲にたいする植木等の激しい思い入れと、聴く側の「どう反応していいのかわからない」戸惑いは、植木等の持ち歌の中でもっとも落差があるんじゃないでしょうか。
 アタシ個人としても、悪い歌ではないのはわかるけど、では「スーダラ節」や「無責任一代男」のように愛せるかといわれると自信がない。いや、もっとはっきりいうなら、そう何度も聴きたい曲じゃないよねってのが本心です。
 メランコリックなのはいいんだけど、全体的に真面目すぎる。しかも暗い。
 それに上手く説明できないけど、植木等の思い入れが深すぎるのか、何だか肩に力が入りすぎたような「堅さ」がある。
 一言でいえば「しんどい」のですよ。

 コミック要素がない曲でも他にいい曲はいっぱいある。
 「旅愁」然り、「どこまでも空」然り。でもこれらの曲は軽さというかサラッとしてるんです。特に「どこまでも空」は「死」を予感させる歌詞であるにもかかわらずサラッと歌ってるから余計心に沁みる。
 それが「花と小父さん」にはないんです。

 植木等が如何に「花と小父さん」に思い入れがあったかは「植木等スーダラBOX」に収録された「スター・ロータリー」を見れば一目瞭然です。あれは完全に、何としても「花と小父さん」を歌おうと我を張る植木等と説得するハナ肇、です。
 「植木等ショー」の第一回で早速「花と小父さん」を歌い、久しぶりのソロアルバム「スーダラ伝説」でも歌い、最後のソロアルバムとなった「植木等的音楽」でも裕木奈江とデュエットという形で、また歌っている。
 まさに、節目節目に「花と小父さん」あり、という感じです。

 とにかく植木等は「花と小父さん」に異常にこだわった。その最たる例がアルバム「スーダラ伝説」だと思うのです。
 植木等は結果的に「スーダラ伝説」となった時のCD吹き込みにたいして、ただひとつの条件として「グループ(つまりクレージーキャッツ)ではなく、ソロで」を強硬に通したとされますが、すべて「花と小父さん」のため、だったとすれば辻褄が合うのです。
 もしアルバムを作るとなっても「クレージーキャッツとして」のアルバムなら「花と小父さん」は入るわけがない。(それこそ「スター・ロータリー」の時同様、ハナ肇に説き伏せられただろうし)
 極端にいえば「花と小父さん」を入れるんだったら吹き込みをしてもいいよ、みたいな心持ちだったんじゃないでしょうか。

 それにしても「スーダラ伝説」の次の次として翌年(1991年)の2月にシングル化するのは如何なものか、とは思ってしまいます。いくらなんでもシングル、それもカップリングならまだしもメインは無理です。
 この頃ファンが望んでいたのは「完全新作の植木節」であり、せめて「スーダラ外伝」のようなメドレーであったはずで(少なくともアタシはそうだった)、間違っても「花と小父さん」のような生真面目な曲じゃなかったはずなんです。ましてや大ヒットした「スーダラ伝説」の余波が残っていた頃なんだから、ね。
 「スター・ロータリー」の頃、つまりグループとして活動してた頃はハナ肇という、いわばストッパーがいたわけですが、「スーダラ伝説」の大ヒットで植木等は超がつく大物になった。こうなると誰も植木等を止められない。
 大瀧詠一はもちろん、盟友の宮川泰でさえ難しかったはずです。(編曲が宮川泰でない、というのは唯一の抵抗だったかもしれないけど)

 では植木等自身はどう感じていたかですが。
 小林信彦著「日本の喜劇人」に「森繁病」という言葉が出てきます。(森繁病=コメディアンが奇抜な扮装や言動をやりたがらなくなり、哀愁を前面に出そうとしたり、真面目な演技や歌をやりたがる。つまり森繁久彌の行動、生き様をなぞろうとする)
 たしかに「花と小父さん」の件だけを取り出せば森繁病といえんことはない。しかしアタシは違う見立てをします。
 植木等が「花と小父さん」を単独で「売り」にしたのは先のシングルが唯一の例外で、後はすべて植木節とセットです。
 たぶん植木等もわかってたはずなんですよ。「花と小父さん」は自分の思い入れほど世間では受け入れられないと。
 それでも「ウケようがウケなかろうが花と小父さんは歌うよ」というね、もっといえば「花と小父さんを歌えるんなら他の曲も歌うよ」くらいの、まあ言えば、開き直りを感じる。
 でもこれは「花と小父さん」さえ歌えれば他の曲もノッて歌ってくれる、スタッフにとってはエクスキュースのような曲だったんじゃないでしょうか。

 「植木等的音楽」の時もね、まったくの想像だけど
「植木さん、針切りじいさんのロケン・ロールの入ったアルバムを作ろうと思うんですが、どうせなら全曲コラボレーションでやりたいんですよ」
「(ノらないけど一応聞いてみるか)たとえばどんな曲?」
「花と小父さんを若手女性歌手と歌うとか」
「あ、それはいいね」
 なんてことだった可能性はあるんじゃないかと、ね。

まァね、「花と小父さん」がしんどい、というのはあくまでアタシ個人の意見なだけで、楽曲として悪いわけではないですよ。本当に個人的には「笑えピエロ」のが好きだけど。




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