笑福亭鶴瓶という人は、つくづく不思議な存在だ、とあらためて思ったって話でして。
テレビで局部を露出したり、大便したり、失禁したり、ほんらいなら危険極まりない芸人として認識されてしかるべきはずです。
ところが「家族で乾杯」での、一般人の反応を見るまでもなく、非常に近しい、しかも関西弁でいうところの「ええ人」で通っている。
鶴瓶は番組の出演者やファンを連れだって旅行を行うのが好きで、大昔の「花の女子大生」や「ぬかるみの世界」からずっと、現在放送中の「ヤングタウン日曜日」でも、まだ、やっている。
ファンとふれ合おうという姿勢だ、という意見に異を唱える気はさらさらないけど、一歩間違えば、偽善的ととらえられてもおかしくない。
これまた大昔の「突然ガバチョ!」では、番組の最後に「スタジオに遊びに来てくれた人」(はっきりいえばただの番組観覧者)ひとりひとりに握手していた。それにとどまらず、送迎バスまで見送るという徹底ぶりです。
これを「偽善的行為」とみなすのはたやすい。もし、こういうことがやりたいとしても、何も番組の一部にすることはないんじゃないかという意見にも頷ける。
ところがですよ、ここまでストレートにやられると、何故か偽善という感じがしない。
鶴瓶は一時期、さかんに「日本一感じのいいタレントを目指す」と吹聴していましたが、これがギャグになるのは、観客が鶴瓶のハチャメチャぶりを知っているからです。
しかも明石家さんまやナインティナインから「本当は悪い人」といわれることすら、そういわれることを許容することによって
表面はいい人
→裏では悪い人
→でも本当のホントは、やっぱりいい人
という公式がなりたってしまうわけで。
こんな両極を持った人は他にいない。たとえばビートたけしが局部を露出したりしても(本当はそういうことはしない人なんだけどね)、番組観覧者と握手していったりする姿は想像できないはずです。
萩本欽一なら、番組観覧者と握手したりする絵面(例・24時間テレビ)は想像できるけど、今度はパンツを脱ぎ捨てる姿が想像できない。
他に両方がそこそこ様になりそうな芸人は、カンニング竹山ならちょっとできそうな気もするけど、鶴瓶とはスケールが違いすぎる。
これがまさしく鶴瓶の特異性なんです。
鶴瓶ってね、たけしやタモリ、さんまといった人より、昔とやってることは変わらないんですよ。あいかわらずエロさをむき出しにしているのも変わらない。それは下ネタをいうとかという話ではなく、共演の女性にたしての接し方はセクハラそのものです。
にもかかわらず、そういう姿を目の当たりにしても、やっぱり「ええ人」であることはブレない。
極端な話、犯罪さえおかさなければ、鶴瓶の「ええ人」は保証されているといってもいいわけで。
これ、やっぱり、かなりすごいことなんじゃないの?と思ったり。