2007年8月12日、坪島孝監督が逝去されました。
クレージー映画は古澤憲吾以外、ずっとクレージーと肌が合う監督がおらず、そんな中、クレージーのモダンな持ち味を殺さず演出できる監督として「クレージー作戦・くたばれ!無責任」以来、計11本で監督を務められました。
個人的には坪島孝監督の最高傑作は「奇々怪々・俺は誰だ?!」だと思うのですが、パワフルな古澤憲吾演出とはひと味違う、伏線を大切にする、キメの細かい演出で、途方もない話でも自然に見れるのはこの監督の力量なのでしょう。(古澤憲吾が「不自然さが目立たない(ぐらい強引にスピーディに進めていく)」なら坪島監督は「不自然さを極力抑えた」演出といっていいと思います)
アタシはクレージー関連のスタッフと直接お会いしたことは、ほとんどないのですが、坪島孝監督とは、2005年の浅草東宝での上映会で、一度だけ直接お目にかかりました。
やわらかい口調でお話しされていたのが印象的です。(その話はココ)
ここのところ、植木等をはじめ、青島幸男、宮川泰、田波靖男、そして坪島孝と関係者の死が相次いでいます。
悲しいのはもちろんなのですが「もうそんな昔の時代に活躍された人だったんだ」という思いを強く持った頃だ、と言い換えてもいい。
クレージーキャッツ結成から、50年を超えた。どれぐらい前かというと、結成当時(1955年)からさらに50年さかのぼるとなんと明治時代なのです。
つまり若き日のハナ肇や植木等が、明治時代に思いを馳せるような感覚で、我々はクレージーを観ているわけです。
まぁ時代が違うので必ずしも同じではありませんが。
まだご健在の方も、あと何十年お元気でいられるわけではないでしょう。
だからこそ、少しでも当時のことを調べておきたい。後世の役に立とうが立たまいがどうでもいい。サブカルチャーの中にしっかり入っているクレージーをちゃんと研究することもそれなりに意味があるのではないか、そう考えています。
大幅に話がそれてしまいましたが、坪島監督、本当にありがとうございました。
坪島孝監督のことは近々ちゃんと書く予定にしています。ま、坪島孝のことだけじゃないけど。 |
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