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軒下のゲームセンター
FirstUPDATE2004.6.20
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 我が国でのゲームセンターの興りは1960年代だと言われています。
 と言ってもデパートの屋上に設置された簡易遊園地にゲームセンターという名称を使い始めただけ、とも言えるわけで、デパートや旅館の施設としてではない、単独で経営が行われた今と同じ業態のゲームセンターの登場はやはり1970年代に入ってからだと思うわけで。

 それでも無理矢理「デパートに設置されていた簡易遊園地」をゲームセンターの始祖と位置づけるなら、むしろそっちの方がいつから始まったのかがはっきりします。
 日本で最初にデパートに簡易遊園地が作られたのは1931年です。
 場所は浅草にあった松屋デパート(あった、と言っても今もあるけどさ)。ここに「遊園地」でも「ゲームセンター」でもなく「スポーツランド」という名前で数々の機械仕掛けの遊具が設置されたんです。
 中でも人気を呼んだのは、ぐるぐる旋回するプレートの上を歩く<だけ>の「ミッキィ横丁」なる遊具でした。
 ま、ミッキィとは、言うまでもなくあのネズミのことですが、当然デ○ズニーから許可を得ていたわけではない。しかしもしかしたらこれが日本で初めての「東京デ○ズニーランド」かもしれないなと。ま、パチモンっちゃパチモンだけど、こっちは千葉に出来たアレとは違い、紛れもない東京にあったんだから、引き分けってことで。

 他にもコーヒーカップやゴーカート、簡易にカスタマイズされたボーリングなど、それだけを比べると1970年代前半までの、いわばビデオゲームが登場するまでのゲームセンターとさほど変わらない。むしろその豪華さにおいては上回っているほどです。

 などとまるで見てきたかのように書いてますが、もちろんアタシの年齢で行けるわけがない。しかし「スポーツランド」開業がら2年後に作られた「純情の都」(P.C.L.)という映画の中にスポーツランドでロケされたシーンが登場しており、しかもかなり丹念にロケしているので往時の雰囲気はよくわかるのです。
 ま、「純情の都」って映画自体は、それまでずっとモダンかつ喜劇調なのに、ラストで突然悲劇に転ずるとんでもない作品なんだけどさ。

 実際にアタシが行ったことがある話で言えば、まァ憶えてる範囲になるけど、やはりデパートの屋上が最初だった気がします。
 「スペースインベーダー」の登場が1978年。アタシが10歳の時です。それ以前にも「シーソー」や「ブロック崩し」のようなビデオゲームはあったけど、たいしてメジャーではなかったし、少なくともこぞってやるような感じじゃなかった。
 ではインベーダー以前のゲームセンターはどんな感じだったかといえばですね。
 まァ、もちろんエレメカの類いはありました。というかアタシも詳しく知らなかったんだけど、結構エレメカの範疇って広いんですよ。極端な話、少しでも電気仕掛けであればエレメカってことになるらしい。てなことで言えば1931年のスポーツランドの時点でほぼエレメカってことになるのか。
 さすがにそれではぜんぜんわからないので、もう少し具体的に書いていきます。

もぐら叩き
 これ、かなり意外だったんだけど、市場に出回ったのは1975年、つまり「スペースインベーダー」のわずか3年前ってことになるのか。
 けどインベーダー登場まではゲームセンターの花形といえば間違いなくもぐら叩きだったわけで。

クレーンゲーム
 のちのUFOキャッチャーと仕組みは同じで、アームを操作して景品を取るっていうね。
 ただし筐体の形はまったく違い、巨大な水槽を上から覗き込むような感じで、掴むのは今のガチャガチャを一回り大きくしたようなボール状のものでした。その中に景品が入ってるんだけど、意外と豪華な景品もあってね。例えば腕時計とか。ま、もちろん「ロレックス」なわけがなく「ローヤル」とかだけど。

エアホッケー
 これは息が長いなぁ。若干の改良があるとはいえほぼ当時と同じのが今もあるんだもん。

メダルゲーム
 競馬の予想を当てるヤツからスロットマシーン、んで上からコインを入れて溜まったコインを落とすヤツ。んー、今と変わんないな。

腕相撲マシーン
 これも相当古い。少なくともアタシが子供の頃からあったんだから。

レースゲーム
 説明が難しいなぁ。もちろんビデオゲームではなくエレメカなので仕組みは圧倒的に単純です。
 うす明るいスクリーンに道のようなものが表示されており、手前に設置されたミニチュアの自動車をハンドルで操作するんですが、あれって当たり判定とかどうなってたんだろ。

ミニ映画館
 これまた説明がムズい。いわば「現代版のぞきからくり」で、とにかくお金を入れて穴を覗き込めば1分程度のショートムービーが見れるんです。
 さすがにアタシの時代ではチャンバラシーンとかはなくて、アニメとか特撮とかそんなんだった気がする。

ピンボール
 は実際はほとんどなかったなぁ。結構大きいゲームセンターに行けばって感じだったと思います。

卓球
 え?と思われるかもしれないけど、かなりの頻度で卓球台が設置してあったんですよ。少なくともピンボールよりは置いてある店は多かったように思う。

 他には10円玉を使ってそれを弾くヤツとか、ルーレット、それに子供向けのパチンコもあったと思う。
 パチンコが日本に入ってきたのは戦後ってことになってるけど、それは大人の遊興用としての話で、子供向けのオモチャとしてはすでに浅草のスポーツランドにあったと言われています。
 だから引き続き、みたいな感じで自然とパチンコが置かれてたんだろうけど、この頃すでに「モノホンのパチンコ屋」に入り浸っていたアタシは歯牙にもかけませんでしたがね。まったく自慢出来る話じゃありませんが。

 これらのエレメカ(卓球はエレメカではないけど)はインベーダーブーム以降片隅に追いやられたイメージかもしれませんが、そんなことはない。現に今も残ってるのもあるし、早々に飽きられたインベーダーよりも安定した人気がありました。
 というかビデオゲームは購入価格が高くて細々とやってるゲームセンターでは大量に仕入れることは出来ない、という事情もありました。
 アタシは神戸出身ですが、神戸のUHF局であるサンテレビでしつこくCMをやってた「カジノ・ド・三宮」(ガイコクジンのおねーさんが「マツノモヨシ、マタセルノモヨシ、アエバサラニヨシ」って言ってたのが懐かしい)などはゲームセンターとしては一流で、最新のビデオゲームを置いてあったし、メダルゲームも充実していた。たしかピンボールもあったはずです。
 しかしごくごく普通の、しかも繁華街ではない場所にあるゲームセンターはそうはいかない。
 アタシが知る限り、神戸で繁華街ではない場所でゲームセンター、と言えば高速神戸駅から新開地駅までをつないだ地下道にあったゲームセンターを思い出す。ここは相当古い。アタシが小学生の頃からあったはずです。

 このゲームセンターを語る前に地下道そのものについて語りたい。
 アタシは1968年生まれだから、もちろん戦後すぐの光景は映像でしか知りません。しかしこの地下道は戦後すぐを彷彿とさせるような独特の「怖い」ムードがあってね。
 というのも実にうす暗いんですよ。壁も灰色のコンクリート剥き出しで。一応床はカラフルなタイル張りだけど、もう焼け石に水っていうか。
 そのゲームセンターは高速神戸駅と新開地駅のちょうど中間くらいにありました。いや今もあるんだけど。
 ちょっと時代が先走っちゃうけど、ここにゼビウスのパチモンが置いてあったのは鮮明に憶えている。ってのもこのパチモンが強烈で、何と「スクロールしない」んですよ。地上が。ずっと緑の森。
 今となってはむしろ、こんなもんいったいどこから入手したんだ、と思うくらいで。

 時間を戻します。
 ゼビウスは中学の頃の話だけど、アタシがはじめてくらいの感じで行ったのは小学生の高学年の時だったと思う。
 ここに、何とも奇妙なメダルゲームがあってね。
 普通メダルゲームでの「賭け」と言えば、競馬が相場です。しかしここに置いてあったヤツは何と野球ゲーム。もちろん自分でプレイするんじゃないよ。
 モニターに野球の試合が映し出されていて、次のプレイがどうなるかを当てるわけです。
 アタシが奇妙だと思ったのは、そこに映し出された野球の試合が日本のプロ野球でも、たんなる草野球でもなく、メジャーリーグっぽいんですよ。ただし観客はいないし、どう見てもメジャーリーグのプレイじゃない。つまりアマチュアレベル。小学生でさえわかるくらい程度が低かったし。

 あんまり気になったんで何度かプレイしてみたんだけど、これが当たらないんだわ。だいたい野球なんて次に起こる可能性があることの種類が多すぎて当たりづらいってのもあるけど、小学生の浅知恵で「ガイコクジンはピッチャーもよく打つ」なんて余計なことを考えるからもっと当たらなくなるっつー。
 大人になってみてね、あれはいったい何だったんだとものすごく気になってさ、いろいろ調べてみたんだけど、ぜんぜんわからない。映像に映ってたのがガイコクジンだったからたぶんアメリカで作られたんだろうなってくらいは予測出来たけど、それ以上何もわからなかったんです。

 ところが本当に、一見ぜんぜん関係なさそうなネット記事を読んでる時に一気にわかった。
 具体的に言うなら任天堂の公式ページにある「社長が訊く『PUNCH-OUT!!』」。ここで任天堂で長くハードウェアの責任者だった竹田玄洋が「PUNCH-OUT!!」ってボクシングゲームを開発した話をしてるんだけど、開発の経緯として「EVRレース」の失敗があったからボクシングゲームを作ることにした、みたいに語ってて。
 「EVRレース」というのは実写映像を使った競馬メダルゲームなんだけど、それを読んで、あ、と思った。これって、もしかして・・・?
 やはり正解でした。当時任天堂は「EVRレース」とほぼ同時期に「EVRベースボール」ってのを販売している。んで、まさしくそれこそがアタシが探していた謎のゲームの正体だったんです。
 以下Wikipediaからの引用。


 EVRレースの流用で、野球映像を見ながら打席に入った打者の結果を予想する内容になっている。

 映像は、ジャイアンツとタイガースのユニフォームを着た外国人選手同士の試合に、日本語の実況音声が追加されている。なお使用している映像は、大リーグの流用ではなく、ゲーム用に新規収録されたものである(球場でプレイしているが、観客がいない等の不自然さがある)。

 一打席毎に、アウト・ヒット・二塁打・三塁打・本塁打を賭けることができる(三振・ファーボールはない)。当たった場合の配当は以下の通りとなる。

 アウト: 2倍
 ヒット: 3倍
 二塁打: 4倍
 三塁打: 6倍
 ホームラン: 13倍(満塁ホームランの場合は26倍)
 ヒット以上でランナーがホームインした場合は、一人についてメダル3枚が配当に上乗せされる。


 うんうん!まさにコレ!!紛れもなく、アタシが長年探し求めていたのは「EVRベースボール」です。
 それにしても、まったくの大穴というか、てっきり外国(つかアメリカ)で開発されたものだと思っていたからね。それがまさかまさかの任天堂とは!!意外にもほどがあるわ。
 にしても、ひとつわからないことがある。
 個人の方のブログによるとこのゲーム、簡単に結果がわかるっつー致命的なバグ(といってもプログラミング的なバグではなく、機械的な欠点)があったらしい。
 なんでも「中を覗くと」結果がわかるらしく、この「中を覗く」というのが具体的にどこを覗けばいいのかが書いてないので詳細不明ですが、とにかくメダルゲームで結果が先にわかってしまうってのはマズすぎる。

 そんなこともあって比較的短命だったらしいのですが、アタシがこのゲームを初めて見たのは、いくら早くても1979年以降なんですよ。
 Wikipediaによれば、このゲームの販売が行われていたのは1975年、つーことはアタシが遊んだのは販売開始から5年近くも経った頃です。
 致命的な欠点があるにもかかわらず、ごくごく普通に稼働していたはずで、店の人も欠点を知らなかったのか、それとも知ってて「こんなのバレるわけがない」と思っていたのか。ま、当たり前だけど当時はインターネットなんかなかったから、草の根コミュニティで、みたいなこともなかったし。
 つかこれ、たぶん映像自体は任天堂に残ってそうだから(ビデオテープがダメになってる可能性はあるけど)何とかメディア化とか出来んもんかなぁ。

 いやメディア化なんて大仰なことじゃなくても、映像をストリーミングで公開してくれるだけでもいいよ。
 あの嘘くさいおっさんたちの草野球を、あと一度だけでいいから再見したい。せめてアタシに任天堂に知り合いでもいればねぇ。誰か紹介してよ。
 しかしまさか、EVRベースボールの映像が見たいって理由で任天堂関係者に近づこうとするなんてアタシくらいだろうな。