ナンセンス
FirstUPDATE2004.3.28
@Scribble #Scribble2004 #ダウンタウン #笑い #上方芸能 今田耕司 単ページ

別に「昔はよかった」なんていうつもりは毛頭ないんだけど、それでもドリフのコントとかをみていると、「ナンセンスなコントをキチンとやっている人っていなくなったなぁ」なんて思ってしまうわけです。

もちろんアンダーグラウンドではいるのかもしれないけど、ある程度メディアにのった人でそういうのをやっている人がいればいいなぁ。でもいないなぁと。
話が逸れるようですが、アタシはものすごくダウンタウンを認めています。認めているなんていっちゃエラそうですけど、アタシの中でこの人たちは歴代の<笑い>のトップテンに余裕で入ると思っている。
しかしダウンタウンが商業ベースにのることによって、どうしようもない弊害がひとつできてしまった。それは<笑い>が<サブカルチュア>と癒着してしまったことです。

アタシが大学生の頃、心斎橋二丁目劇場(現在は閉鎖)からいままでにない笑いをやる人がドンドンでてきました。今田耕司、東野幸治、といった今第一線で活躍している人から、メンバメイコボルスミ11みたいにとっくに解散した人たちまで、本当に一気にでてきた。もちろんその中の急先鋒がダウンタウンだったんですけどね。
ダウンタウンが「玉ころがし」や「おねえさん」、今田耕司が「メルローズ」といったコントをしていた頃がなつかしい。これらのコントは(あんまり使いたくない表現ですが)とにかくシュールな笑いをくれた。同時にものすごくカッコよくみえたんです。

こういう笑いの流れは東京にもあって、たとえばシティボーイズ・中村ゆうじ・竹中直人といった人たちで組まれたラジカル・ガジベリビンバ・システムなんかが代表だったと思う。アタシも一度観に行ったことがあるのですが、劇場内はいわゆる色物的な雰囲気はまったくなく、ちょっとしたシャレた小劇団の公演、といった感じでした。
ダウンタウン他の人たちにもほぼおんなじ空気があって、あの頃二丁目劇場に行くことは、笑いに行くというより、一種のファッションになっていたことを鮮明に憶えています。

別にいいんですよそれは。しかしラジカル・ガジベリビンバ・システムとダウンタウンの決定的な違いは、ラジカル・ガジベリビンバ・システムはあくまでアンダーグラウンドに足がついた雰囲気でやっていたのにたいして、ダウンタウンは商業ベースにのせる方向にいってしまった。もちろん所属事務所の考え方が強く反映された結果にすぎないとは思いますが、ダウンタウンの<カッコいい笑い>はそんなに笑いに興味がない人まで認知することになったしまった。

まだこれだけならよかったんです。ただ今になって考えると一番よくなかったのは、松本人志が「笑わせることはカッコいいこと」と声高に叫んでしまったことです。こうなるとまるでバンドでもはじめるが如く笑いをやるヤツがでてきてしまう。<笑い>と<サブカルチュア>との癒着のはじまりです。

少なくともそれまで<カッコいいから>といった理由で笑いをやる人はほとんどいなかったと思う。じゃあ昔は笑いはカッコ悪いものだったのかといえば、それは違う。アタシの大好きなクレージーキャッツなんか今の目でみてもすごくカッコいいし、もちろんドリフもそう。そんなことをいいだしたら、エノケンやロッパ、エンタツ・アチャコといった人たちもカッコよかったのかもしれない。でもこの人たちは自分で「笑いをやることはカッコいいことなんだ」なんていわなかった。心の中では思っていたのかもしれないけれど、たぶん公の場では口にしていない。

個人的には、笑いをやることはカッコいいことだと思います。でもそれは一部の人がわかっていればいいことで、声にして訴えることじゃなかった気がするんです。
「悪貨は良貨を駆逐する」といいますが、結果的にダウンタウン以降の人たちのほとんどはそういう流れになってしまった。所詮カッコよさを求めて笑いをはじめた人は、無駄な労力をつかわないと思うんです。ただ<低レベルであろうがなんであろうが面白ければカッコいい>んだから。できるだけお手軽に面白さを得ることができればそれで十分。誰がそうなのかはテレビをみているだけでわかりますよ。

最初にいった、キチンとしたナンセンスをやる人がいないというのは、ナンセンスはまったくもってカッコいい笑いじゃないからです。ドリフのように結果的に(というか時間の流れで)カッコよくなるかもしれないけど、人気絶頂期には泥臭い笑いの代表選手だったしね。
アタシはね、笑いをやる人の価値は、笑いが好きかどうか、それにかかってると思っているんです。そんなことはドリフのコントをみただけでもすごくよくわかる。「全員集合」でもね、絶対あそこまでする必要はないんです。あれだけ大掛かりにしなくても、あそこまでちゃんと動きをあわせなくても、必要最低限の笑いはとれる。

じゃあなんでやるか。結局好きだからやるんじゃないですかね。ある種遊びの部分ですよ。そしてその余裕が<得体の知れない怖さ>に結びつくんだと思います。
でも今の人にはそれがない人が多すぎる。面白い人はいっぱいいるけど、本当の意味での余裕がないから<得体の知れない怖さ>を持っている人がいない。この先そういう人がでてくる可能性もかなりうすいんじゃないかと思いますね。

では商業ベースにのった最後の<得体の知れない怖さ>を持っている人は誰かといえば・・・、もちろんそれはダウンタウンになるんですよねぇ。

遡ること3週間ほど前に書いた「漫才・考」が友人からの評判が良かったので、じゃあもう一本、似たようなことを書こう、みたいにして書いたネタです。
でもどうも、文章にノリがないね。ま、サザンで言えば「気分しだいで責めないで」みたいなものか。良く言い過ぎか。




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