アタシは生涯でたった一度だけ、女性を叩いたことがあります。ま、一回だけとは言え、あるのかよ!最低!!と思われてもしょうがないのですが、とにかく何でそんなことになったかです。
まず大前提として「カノジョに浮気をされた」というのがあります。んで、ま、いろいろあって、とにかく会おうということになった。
もしここでカノジョが開き直って言い訳を始めたら、もうその場から立ち去るつもりだった。こんなのに関わりたくない、という気持ちです。
しかし実際に会ってみると、何も言い訳しない。もう全身から「とんでもないことをしてしまった」というのが滲み出ている。それを見て「あ、もう許そう」と思ったんです。
ただ、何もなく許されても向こうも困るだろ、だったらこっちも「それはしちゃダメ」みたいなことをするしかない、と覚悟を決めて、一発平手打ちをした。
「はい、もうこれで終わり!」
そっちは浮気した。こっちは叩いた。これでおあいこ。もう悪いことしたなんて思う必要もない。今後二度と浮気をしないならもう気にする必要はない。アタシも二度と叩かないから。そういう思いを込めて平手打ちをしたのです。
・・・ま、別に良い話をしたいわけじゃないけど、何にしろです。アタシが女性に手を上げたのはこの時一度きり。というかアタシは暴力自体が嫌いなので男性であっても殴ったことなどないのですがね。
しかしですよ、そんな人間なのに、何かね、DVしそう、みたいに思われることも多くて。
言っておきますがアタシはガタイが良い方じゃない。ひょろひょろの腹ボテという一番みっともない体型です。なのに何でそんなふうに思われるのかと言えば、とにかく異様に目が怖いらしい。
上岡龍太郎は「芸人として売れるか売れないかの見分けは簡単。人を殺したことがありそうな目をしていたらソイツは売れる」と言ってましたが、芸人でもなんでもないのに何度「人を殺したことありますよね?」と聞かれたことか!
だからね、アタシを見た目で判断したら「怖い人」なんです。なんですが、もう慣れた。生まれてきてから、は大仰だけど、少なくとも40年くらいはずっとそう言われてきたらそりゃ慣れもしますよ。
反対に「優しそうな人ですね」と言われたことはただの一度もない。ま、暴力を振るわないなんて当たり前なのでそれは優しいとは関係ないし、実際別段優しい人間とも思ってないからいいんだけど、アタシなんかよりもはるかに人の心がないような奴が「優しそうな人」と言われてる現実がどうも納得出来なくて。
話を巻き戻します。
例の浮気したカノジョ(というのも可哀想だけど)はその後、付き合ってる間は一回も浮気をしなかった。
で、そのカノジョがバイトをしてた時のことです。「何かね、いい感じの人がいるんよ」という話を何回もしてくる。もちろん「いい感じの人」というのは男です。はっきり言ってカレシとして別の男の話をされるのは気分が良いわけないけど、逆に考えればそういう話をアタシにしてくる時点で「本気でどうこうなろうという気はない」という合図でもあるので、ま、だまって聞いていた。
「で、その人、もうすごい優しそうな人で。クマさんみたいな感じで・・・」
はい出ました。クマさんです。
「別にクマさんみたいな見た目だからって優しいとは限らないよ?」
とは言ったんだけど
「いや、あの人は優しいに違いない!あんなクマさんみたいなのに優しくないなんてあり得ない!!」
と頑として譲らなかった。
結局その「クマさんみたいな人」はバイトでとんでもないことをやらかしたみたいで、しかも優しいとは真逆のことをやらかしたみたいで、クビになった。
「見た目は関係なかったわ・・・」
そう呟いたカノジョの顔をいまだに忘れられない。
一時期「ぽっちゃり男子」がやたらモテる時代がありました。内山くんなんかテレビでも「何か知らないけど、ここんところやたらにモテる」みたいな話をしていたこともある。
このブームの最中もカノジョというか元カノと同じようなこと言う人がいっぱいいた。
「クマさんみたいで優しそう」
このエントリ、実はこないだの続きです。
もうね、たぶん、ものすごく多くの人に「クマさん=優しい」という図式が成立してるんだと思う。だから実際ぽっちゃりかどうかではなく「クマさんみたい」か否かが重要で、ただ太ってるだけじゃダメ。クマさんみたいにふくよかな体型で、穏やかそうな目というか、悪く言えばとろーんとした目をしている。そういうクマさん系男子とでもいうのか、まさに内山くんはそれに当てはまります。
ただ、当たり前だけど「クマさん=優しい」というのが成立したとしても「熊=優しい」とはならない。漢字で「熊」と書けば、もうそれは凶暴な野生生物を意味する。かと言って「熊さん」と書けば落語の登場人物かレオナルド熊のことになっちゃうし。つか少なくとも落語に出てくる熊さんもレオナルド熊も別に優しそうなイメージないしね。
前回は「クマさん=可愛い」という観点から書いたけど、実はもっと根深いのが「クマさん=優しい」というイメージで、このイメージは相当昔からあります。
日本で最初の「クマさん系」タレントは岸井明です。もちろんそうは呼ばれてなかったけど、優しそうな目とぽっちゃり体型はまさに今のクマさん系そのものです。
戦前期、岸井明に与えられた役割は図体ばかりがデカい、気の弱いナイーブな男でした。そして楽屋裏でも明るくおおらかな人だったらしい。
しかし戦後、大病を患い、その後復帰は出来たのですが復帰後はものすごく狷介な人物になったと言われている。
先ほど「優しい目」とは書いたのですが、よくよく見ると戦前期の時点でさえ、岸井明の目っていわゆる「優しい目」とは違うんです。実際、終戦間際に撮影された(黒澤明が脚本を書いたことで少しだけ知られている)エノケン主演の「天晴れ一心太助」を見ると食糧事情の悪さで痩せた影響か、そういう役柄ではないのに妙にピリついたムードになっており、まったくクマさん的ではない。
優しい優しくないは性格の問題です。もちろん体型で性格が変わるわけではない。つまりクマさんに似てようが優しいか否とは何の関係もない。
反対に、ガリガリでメガネをかけてるからって、じゃあソイツが神経質なのか、というと当然これも関係ない。アタシのように「人を殺したことがあるような目をして」いても生涯で一回しか平手打ちをしたことがない人間もいる。
もちろん、バイアスというか、ちょっと喋っただけなのにコイツはこういう奴だ、みたいな決めつけをすることはアタシだってあります。でもそれは喋り方だったり内容だったりで思うことで「見た目」で性格なんかわかるわけがない。
これはもう経験則以外の何物でもないんだけど、見た目で「あ、たぶんコイツはこういう奴だ」と決めつけて当たったためしがない。ここまで外れまくると「見た目と性格はまったく無関係」という判断をせざるを得ないんですよ。
なのに、です。クマさんっぽい=優しそうというバイアスは多くの人に刷り込まれている。しかもモデルとなった熊の凶暴さはあれだけ知れ渡っているのに、それでもクマ=優しいという図式っつーかステレオタイプがはびこっているわけで。
しかしさ、ここまで現実と乖離したステレオタイプってないよ。たとえば大阪人のステレオタイプだって「誰にでも当てはまるわけじゃないけど、たしかにそういう人はいる」くらいは言えるもんだけど、もし世界中の熊をとっ捕まえてきて、一匹でも「優しい熊」がいるのがって言ったらね。そもそもヤツラの行動原理とかぜんぜんわからんもん。
つかさ、だいたい「優し<そう>」ってなんだよ。「優しい」じゃなくて「優し<そう>な人が好き」ってよく考えるとわけわからん。もっと言えば「優しい」自体曖昧なもんだし。ま、どっちにしろ「人を殺したことがありそうな目をした男」は「優しい」にも「優し<そう>」にも当てはまらないんだけどさ。