ブルーハーツの魅力ってやっぱ青臭さと創作上のテクニシャンぶりが同居してることだと思うんですよね。あ、テクニシャンって演奏能力の話じゃないよ。楽曲制作の話ね。
これは以前も書いたんだけど、言葉の置き換えの上手さとか、アレンジのわかりやすさとか、パンクというわりには、んであの年齢にしては異様なまでに目配せが効きすぎていて、そりゃ第二のブルーハーツなんか出てくるわけないわ、と。
そうしたテクニシャンぶりがわかってる前提で、これはちょっと失敗してるなって曲もあって、初期の傑作と言われる「僕はここに立っているよ」は珍しく失敗気味なんですよ。
全体的には、というか曲の構成も面白いし(サビで転調するのがいい)、歌詞も共感出来るものです。
というか「ナイフを突きつけられても」「ピストル突きつけられても」クソッタレって言ってやる、というのは2019年頃の「やけっぱち」以外の何物でもなかったアタシの心境とリンクして、ものすごく共感した。やっぱブルーハーツはいいなぁと思うきっかけにもなった。
ただしそれは1コーラス目まで。2コーラス目以降はいただけない。つかちょっと安直なところに逃げちゃったんじゃね?と。
ブルーハーツは多分に歌謡曲の要素を含んでいるので、1コーラス目と2コーラス目で「似た意味でしかも強い言葉」に置き換えたりしてるケースが多いんだけど、2コーラス目以降は「ナイフ」や「ピストル」が「原爆」や「水爆」に変わる。
たしかに言葉としてはより強くなってる。でもこれでは意味が変わってしまう。ナイフやピストルは「僕」個人だけがかかわることであり、しかし原爆や水爆では「僕」個人では済まない。むしろ「僕」個人とはまったく何の関係もない、善良な人たちをも巻き込むという話になってくる。
さっきも書いたようにアタシは2019年に完全に開き直りの心境になった。もう怖がることがなくなった。酷い目にあったらどうしよとビクビクすることがなくなった。
でもそれはアタシひとり<だけ>が酷い目に合うことにたいして恐れなくなっただけの話で、開き直ったぞ、やりたいようにやるんだ、そのせいでどこかの誰かが傷ついてもまったく問題じゃない、という話ではないのです。
というか原爆や水爆を突きつけられてもクソッタレって言うのは別に開き直りじゃないし、カッコいいことでもない。ただのワガママ野郎です。
ブルーハーツってね、わりとそういうことにセンシティブにやってたのですよ。社会から疎外された自分、そして自分と似た立場の人たち。そういう人に寄り添うという形で共感を得てきたし、同時に「関係ない人は傷つけても構わない」と受け取られかねない言葉は慎重に避けてきた。同じマーシーの作詞作曲でも「ラインを越えて」の『♪ ジョニーは戦場へ行ったァ 僕はどこへ行くんだろ~』とかめちゃくちゃ上手い「置き換え」をしてる。
なのにこの楽曲はちょっとそのタガが緩んでる。ましてや「水爆」はともかく「原爆」というワードを使うには慎重さが足りなかったと思う。
いやね、何でアタシが<そこ>にこだわるのかというと、この「開き直りの履き違え」をしてる人が結構いるんじゃないかと思ったからです。
嫌われ役をやったり、自分の意思を押し通すには覚悟が必要です。それはもう当たり前なのですが、その覚悟というのが「大勢の無関係の人を巻き込んで自爆しても構わない」というまことに得手勝手な覚悟というか。
いやそれでも、まだ百歩譲って、本当に覚悟があるなら許せる場合もある。あくまで「場合もある」止まりですが、もしかしたらそういうことも必要なシーンがあるかもしれない。
でもね、実際は覚悟も何もなく、もし何かあったら自分だけは助かろうとしてるようにしか思えない人はネットでいくらでも見つけられます。
最近になって久しぶりに「ハセカラ騒動」の顛末を読んでみたのですが、間違いなく言えるのは、当事者である「ハセ」の方も、その代理人を引き受けた「カラ」の方も、どちらにも何の覚悟もなかった。最後の最後はもう一方を見捨てて自分だけでも助かろうというのが見えてしまった。だからあれだけ鎮火が遅くなってしまった。
つまり、ま、この場合はとくに「ハセ」の方ですが、あれだけ荒らし行為をしておいて、何の覚悟もなかったんですよ。もちろん当時は高校生だったから情状すべき点はあるとは言え、覚悟もなしに他人に嫌がられるようなことを繰り返した。罵倒、ま、これはソフトに言えば「クソッタレ」ってことなんだけど、クソッタレって言い続けて、原爆?水爆?おぅ、落とせるものなら落としてみろよ、と一見<覚悟>っぽい態度を示しながら、実際に自分と身内の個人情報が晒されるという水爆を落とされたら姑息に立ち回ろうとした。自分だけは戦火から逃れようとした。だからあんなことになった。
でもさ、これってやっぱ、高校生だったとか関係ないよ。つか小学生でも中学生でも普通やらないよ。
実際に殺人事件を起こした犯人と何人も面談したことがある人に言わせたら、もう信じられないくらいアタマに問題があるらしい。これじゃ社会生活も営めないだろレベルだと。
この場合の「アタマに問題がある」は勉強が出来る出来ないとは関係ない。この「ハセ」も国公立とかではないけど大学に合格する程度の学力はあった。
この場合のアタマとは、あまりの社会性の欠如、そしてそれをまったく認識してない、これは家庭環境も大きいので本人だけの責任とは言いづらいけど、せめて「覚悟もなしに無関係の人を傷つけちゃいけない」くらいはちゃんと教えなきゃいけないんじゃないかね。
じゃあ覚悟があったらいいのかって話ですが、殺人にまで至る人はそこまでも到達出来てないケースのが多いんだから、まずはそこでしょ。つか「本気の覚悟を持った」殺人犯はおろか被疑者なんか本当に少数だよ。それだけでぜんぜん治安が変わるよ。