アタシはね、サブカルというか文化の境目として、どうしても1976年という年が浮上すると思ってて、というのはこの年に初のVHSレコーダーが発売されたからです。
とは言え実際に発売されたのは年末だし、その前から家庭用ビデオデッキ規格はあった。いわゆるUマチックってヤツですが、価格が高すぎて一般層にはほぼ普及していない。ウチの祖父方は極度の新しもの好きなのでUマチックデッキがありましたが、こんなの特殊例に過ぎません。
しかしVHSは違う。その後Uマチックを簡素にしたというか安価に抑えたUマチックの改良版であるベータマックスも発売され、やがて「一家に一台ビデオデッキ」になり、さらに「ひとり一台」になっていくわけです。
とくに初期の家庭用ビデオデッキの<売り>は、今でいうところのタイムシフト視聴であり、本来なら家にいない時間の番組を録画しておき、帰宅後に見る、という使い方が想定されていました。
それから徐々にビデオソフトが販売されていくわけですが、今回はそれはどうでもいい。
サブカル的文化的な観点から見れば「録画視聴」は大変革を起こすことになった、そこが重要なんです。
しかしそれはタイムシフト視聴ではない。ひとつは「繰り返し視聴」であり、もうひとつは「一時停止&細かく巻き戻しながらの視聴」が可能になってことです。
繰り返しにかんしては映画では可能だった。昔は一部の劇場を除いて自由席で入れ替えなしだったので、極端な話、一本の料金で朝から晩まで同じ映画を繰り返し見ることは可能だったし、もちろんカネさえ払えば日を改めてとかすれば(上映期間中に限るとはいえ)いくらでも繰り返すことは出来た。
しかしテレビはそれも不可能だった。運よく再放送されたらいいけど、それとて一回限りだし、同じ映像を何度も、となると再々放送、再々々放送まで待たなきゃいけない。そんなの何年スパンの話だ、となってしまう。
それでも「完全に不可能ではなかった」とも言えるのですが、もうひとつの「一時停止&細かく巻き戻しながらの視聴」は完全に不可能だったんです。
ここからは作り手の心理の話になります。
アタシはね、常々「魂は細部に宿る、とかそんなの嘘っぱちだ」と言ってきました。それは2012年に東京都現代美術博物館で開催された「特撮博物館」に行った時につくづく思った。というものです。ほぼ映ってない、映ったとしてもひとコマレベルのジオラマとかね、本当にいい加減に作ってるんですよ。だってそれは観客の目には映ってないも同然だからで、そこに力を入れるのは間違ってる。そりゃあ制作期間も予算も無限にあるならわかるけど、そんな商業作品なんてあり得ない。もしそんなところにしか魂が宿らないのであれば、もう全部の作品は駄作ってことになるし、そもそもそんな見極めの出来ないヤツはクリエイター失格です。
(これはまったくの余談なんでこういう形で書くけど、「魂は細部に宿る」という言葉が「商業作品」ではなく「アート作品」に限った話であれば理解出来ます。というか本来アートに限って使われていたワードを何処かの莫迦が商業作品にまで拡大解釈したんだと思う)
アニメなんかでもそうで、ものすごい引きの絵なんか「さっくり誰かわかるレベルであれば十分」なんですよ。そんなとこまでカッチリ描いてたら永久に終わらない。
観客側、視聴側も別に何とも思わない。そもそもひとコマ単位で確認する術もない。だから作り手は「それ前提で」作品を作っていたのです。
つまりね、1976年以前に作られた映画やテレビ番組を「一時停止&細かく巻き戻しながらの視聴」ってのは著しいマナー違反なんですよ。というかアタシは認めない。偏狭と言われようがそれだけはやっちゃいけないことだと肝に銘じています。
ウチのYouTubeチャンネルで映画の解説をやってるけど、それだけはやってない。見始めたら最後まで止まらずに見る、というのを基本にしている。ま、どうしてもトイレに行きたい時は停止するけどさ。
つまりアタシが言いたいのは「作り手が想定してない鑑賞方法で見ても、それは<解像度を上げる>とは言わない」ということです。
今の時代、一時停止はもちろん巻き戻しさえもシークバーで簡単に出来る時代ですが、それはやらない。一回しっかり見た後でスクショを撮るために一時停止はするけど、ノンストップで見た時に気にならないことがスクショを撮る時に気になっても無視する。そうしないと絶対粗探しにしかならないから。
これも動画を作る時に肝に銘じてることなんだけど、極力「粗探しにならないように気をつける」というのがある。
それでも多少は粗探しになってしまうこともあるんだけど、ノンストップで見た時の感想以外を持ち込まない。そうすることで可能な限り粗探しの要素をなくそうとはしています。
つか映画の感想で粗探しが一番つまらない。アタシは。ましてや1976年以前の作品で粗探しなんてサイアクです。
いやこれは1976年以降の作品にも言えるのですが、どれだけ「一時停止&細かく巻き戻しながらの視聴」が当たり前になっても、シークバーでチョイチョイが当たり前になっても、とくにテレビ番組においては「やりたくない」し、それを「解像度を上げる」とも言いたくない。
何度も言うようにテレビ番組ってのは本来もっともっと「いい加減に見るメディア」だと思っていて。

正直、出る側の人間がこれを言うのはどうなのよ?とは思うんだけど、言ってる内容は本当にその通りなんですよ。
つかテレビはいい加減に見るから面白い。マジメに見たら酷いシロモノというのは絶対だと思う。これはテレビ黎明期だろうがネットの時代になってテレビが衰退してる令和だろうが変わらない。
大宅壮一がテレビについて言った「一億総白痴化」ってのはその通りなんだけど、そのアンサーが「大丈夫。テレビなんていい加減にしか見ないから。いい加減にしか見ないから影響なんてあるわけがない」ってことだったと思う。
もちろん例外はあって、粗探しが完全にエンターテイメントに昇華されてたらその限りではない。つまりは「面白いツッコミ方が出来るなら、それはそれでひとつの芸」と思えるんだけど、ただ批判したいがため、というか批判ありきの粗探しなんて、ねぇ。
というかさぁ、みんなマジメすぎるよ。テレビなんかいい加減に見りゃいいんだよ。マジメに怒ってもしょうがないのよ。ましてやテレビ番組を解像度を上げて見るとか何を言わんかや、と思うのですがね。