いやね、自分で「動画編集のスキルが上がってきたなぁ!」とかまったく思ってないのですが、そもそも動画編集って、みたいな話をしてみたいと。
アタシは長年グラフィックデザインをやってきたのですが、たしかにグラフィックデザインと動画制作、共通するところはあるし、グラフィックデザインのスキルが動画制作において活かされてるところはあります。
ウチのチャンネルは基本的に「動画素材」というものをほぼ使用しない。つまり「静止画の組み合わせで動画っぽくしてるに過ぎない」と言われればその通りです。
その静止画を作る上でグラフィックデザインのスキルは完全に役に立ってる。サムネイルなんて最たるものですが、ずーっと、うんざりするほどPhotoshopを使ってきたからこそ「デザインで悩む」ことはあっても「ソフト(フォトショやイラレ)の使い方で悩む」なんてことは絶対あり得ません。
しかしね、グラフィックデザインと動画制作ってある意味真逆なんですよ。
グラフィックデザインというのは「一秒でも長く見てもらおう」と思いながら作る。どうやったら視線を向けてもらえるか、どうやったら隅々まで見てもらえるか、アドバタイズだったらどうやって伝えたい文言を読み手に受け取らせることが出来るか、そういうことを考えるのです。
つまり「流される」のが一番辛い。あーはいはい、みたいな感じで「次」に移られるってのが一番マズいわけで、何とか、本当に一秒でも長く「留まってもらう」ことに全力を尽くすわけで。
しかし同じフォトショなんかで画像を作るでもグラフィックデザインと動画ではまるで違う。何故なら動画の場合「たった一秒しか表示しない前提で画像を作っている」からです。
最初はなかなか慣れなかった。どうせ一秒しか表示されないのに「無駄に凝った」画像を作ってしまいがちだった。
だからといってテキトーになってしまうと今度はスキルがまったく活かせないことになってしまう。
つまり「一秒しか表示しない画像は一秒しか表示しないなりの見せ方と作り方がある」という発想が欠落していたのです。
いや発想だけの問題じゃない。一番やっかいだったのは納得度です。
ウチのチャンネルならぬウチのサイトは最低限の画像しか使っていない。理由は簡単。「面倒くさい」からです。
スキルとしてはあるんだからヤル気にさえなれば作ることは出来るわけですよ。でもやらない。だって面倒なんだもん。文章はどれだけ書いてもぜんぜん面倒じゃないのに画像はマジ面倒い。
それでも、あくまで可能性の話ですが、サイトに画像を使った場合、数秒は見てもらえる可能性がある。でも動画の場合、自分の意思とは言えたった一秒で「はい次!」ってどういうことだよ、みたいな。
にもかかわらず、動画制作をする上で、たった一秒しか表示しないとわかっていながらも、毎回毎回アホみたいな数の画像を用意してきました。
本当はね、一枚の画像に出来る限り情報を詰め込んで、その画像をずっと表示させりゃラクなんですよ。でもそれじゃダメだってわかった。
素人が動画を作る際に一番難しいのは「テンポを作る」ことですが、同じ画像をずっと表示させてるとどうしてもテンポが出ないんです。
アタシは以前、動画編集とは現実とは違う時間軸を作り出すことだ、みたいなことを書きました。ま、言うが易しで、素人にはかなりハードルが高い。「現実とは違う時間軸」となったら、テンポ良く行くところは本当にパンバンパンッ!と行かなきゃいけない。黒澤明の「七人の侍」が3時間半もの上映時間なのにやたらテンポ良く感じるのは「じっくり見せるところはじっくりだけど、テンポ良く行くところはやたらテンポが良い」からで、しかしアタシの喋りだけでテンポを出すってのは不可能です。いくらテンポの良い喋りで、と思っても所詮は素人なので「ただ早口になるのが関の山」です。
しかし表示する画像だけでも頻繁に変えてやれば妙なテンポが出る。さすがに全編でそれをやるのは時間的制約で不可能だけど、ここぞ、と思うところだけに絞って、そこだけやたら画像を切り替えていけば、喋りだけでは到底実現出来ないテンポが生まれるんです。
昨年までの「ノー編集動画(音声映像同時収録)」から「編集動画」に切り替えるにあたって、そこは一番こだわった。つかそれなりにテンポが良いって思われる動画にならなきゃ編集する意味がないとさえ思っていた。
もちろん「喋り」もだいぶ手を加えている。
これも以前書いたようにアタシは「<間>を全部切っていく」編集が大嫌いなのですが、のんべんだらりとしたムードは残しながらもテンポの出る編集のコツがだいぶわかってきた。
余計なところは切るけど<全部>切るわけじゃない。あえて残したり、下手したらちょっと足したりしながら「のんべんだらり」に聴こえるようにする。
実は動画編集で一番時間をかけているのは波形ソフトを使った音声編集なんです。ここで「言い間違い」や「噛み淀み」なんかはもちろん「息を吸う音」や「つい喋っちゃったけど流れ的にいらない話」をバッサリ切っていく。
音声の段階でテンポ良く聴こえるか、それをクリアしてさらに動画化する時にテンポを足すわけで。
これね、メリットも大きくて、収録の時点で「喋っても喋らなくてもどっちでもいい」みたいなことでもわりと喋れるんですよ。
この動画で言えば「白雪姫」の話とか「うる星やつら」の話とか、ま、どっちでもいいか、くらいだったんだけど、つい喋っちゃって、まあまあ、これならいいだろうってことで残したりね、逆に「重要かもしれない」と思いながら喋ったはいいものの、実際聴いてみるとあんまり面白くないし、余計に感じるなぁみたいな話は切ってる。
つまりね、収録時間にとらわれないんですよ。とにかく全部喋っちゃって、下手したらその場で調べながら喋ったりね、そういうのは後でいくらでも編集出来るので、拙い喋りの素人には向いてる方法だなぁと。
これは画像作成でも音声の収録でも同じだけど、結局「せっかく作ったのに、せっかく喋ったのに、もったいない」という気持ちを極力なくすことだと。
もったいなかろうが、一秒しか表示させない、話もバッサリ切ってしまう、テンポを出すためにはもうそれしかないんです。
映画だってそうですし、アタシが何度も「悪い例」として挙げている「水曜どうでしょう」の「初めてのアフリカ」編なんか全編「もったいない感」が漲ってて、そりゃあテンポが悪くなるわと。
もったいないオバケが出ようがなんだろうが、もったいながってたら本当に必要なことまでなくなってしまう。無駄の効用というか、無駄が出ることを割り切れるか、それとも無駄を恐れて全体がダメになっちゃうか、アタシならそりゃあ前者だろ、と思うのですがね。