何か某農林水産大臣の失言がエラい問題になってるけど、本当にジョークが何なのか、まるでわかってない人がいるんだなぁ、と。
実はね、ジョークって三段階のリアクションがあるんですよ。いや実はもクソもないっつーか当たり前の話なんだけど、これがわかってないから著名者の発言が問題になる。
よく「ウケる」か「スベる」かと言いますが、もっとわかりやすくするために、懐かしの「欽ちゃんのドンとやってみよう!」式で言えば、<優>が「バカウケ」、<良>が「ややウケ」、<可>が「ドッチラケ」なのですが、優、良、可、と来たら当然<不可>もある。「欽ドン」で言えば「番組で紹介されないこと」=ボツ、ということです。
よくね、芸人がスベっただのと言いますが、こうやって見れば「スベる」っていわば<可>なんですよ。つまりどれだけ悪くても<可>の範疇で収まるネタをやる。逆に言えば<不可>をやらないことこそプロの芸人である証だと。
そうなってくるとです。ジョークでスベる、というのは「ウケはしなかったけど、合格点ギリギリは叩き出している」わけで、これはかなり難易度が高い。ましてや素人が思いつきのジョークで合格点を出すって、これは「出来なくても当たり前レベル」だと思うわけで。
ではです。
ジョークでの<不可>とは何なのか、ですが、これは「受け取り手を不愉快にさせる」ということです。
「スベる」のと「不愉快にさせる」では天と地ほど違う。でも「もしかしたら自分のジョークで不愉快にさせるかもしれない」とチラッとでも考えていたら、もっともっと、ジョークを発することにも、言葉の選び方にも慎重になるはずなんです。
たぶん某大臣はこのジョークを思いついた時、ウケるかスベるか、しか考えてなかったと思うんですよ。でもここまで書いてきたように、スベることも本当は難しく、ましてやああいう場であれば絶対に不愉快と思われる発言は避けなきゃいけない。
何しろ場が場なので、仮にジョークを言いたくなっても、不愉快にさせる要素があるのかを徹底的に精査しなきゃいけない。んでこの言葉は別の言葉に置き換えよう、とか、あえて遠回しの表現を用いよう、とか、いやそもそも内容的に止めておく方がいいな、みたいなことをね、たぶん一切やってなかったんだろうなと。
アタシが言う「オモロナイヤツ」というのはこういう人を指す。
ジョークの基本、<笑い>の基本は「笑えるか笑えないか」ではない。まずは大多数の人に「不愉快と思われない」ことです。そうしないとスタートラインにも立てない。
こんなこと言うと「無難なものばかりになる」と思われるかもしれませんが、違うんですよ。「トガった<笑い>」イコール「不愉快な<笑い>」ではない。さらに言えば極度にセンシティブな人が不愉快に感じるかどうかもどうでもいい。
でもね、その場にいる7割以上の人が「笑える笑えない、面白い面白くない以前に、とにかく見てて不快」ってね、誰も得しない。それこそ変なプライドからネジ曲がった腐れ芸人がほくそ笑むのが関の山でしょう。
センス=時代感覚だと言いますが、時代によって庶民の感覚は変わる。それこそ今の時代ならタバコジョークなら不愉快になる人の方が多いはずです。
「センス」ってのは「世間が何を不愉快に思うのか、それを感じる力が長けている人」を指すのです。つまり「素晴らしいモノ」を作る能力ではなく「作る段になったら最低限をクリア出来る人」のことです。
だから本当は、センスがある、とか、ない、とかっておかしい。センスってのは磨くものであり、世間の風向きを感じ取ろうと血眼になれば、時代感覚がある、それは「センスがある」ってことになるんだから。
話が逸れましたが、もう、以前、イジメの首謀者は「他人が酷い目にあってることしか面白いと思えない=ただたんに<笑い>の感覚が極端に劣っているだけ」と書いたことがありますが、その時も書いたように、ジョークがわからないのは罪じゃない。でも大多数の人を不愉快にさせたりするのに気づかず発してしまったり、他人さんが酷い目にあってる<だけ>で笑うような人間は紛れもなく<罪>です。
つか<不可>ばかり取り続けてたら、言い換えれば赤点ばかり取り続けてたら、そんなヤツは落第ですよ。
ましてこのタイミングで、今現在、国民の悩みのタネの筆頭格である<米>にかんするジョークとか(ま、農林水産大臣だからだけど)、マジで常軌を逸してるわ。