タイムスリップに備える情熱的な日々
FirstUPDATE2025.5.18
@Classic #妄想 #フィクション #ドラえもん #藤子不二雄 #スマホ @戦前 SF 擬似体験 タイムスリップ タイムマシン 異世界 なろう小説 相場感覚 スペースオペラ オフライン Wikipedia 戸籍 PostScript 単ページ

 アタシは基本的にSFが苦手なのですが、これは遥かなる宇宙だったり、遠い未来へ思いを馳せるのが苦手なんだと思うんですよ。

 本質的に、地に足がついたフィクションでないとなかなか作品世界に入り込めないところがあって、映画なんかだと、いきなり宇宙船の中、みたいな始まり方だともうそれだけで置いてけぼりを食らったような気分になる。
 そんなアタシを見透かしたかのように作られているのが藤子不二雄の藤本弘先生による「大長編ドラえもん」です。
 「大長編ドラえもん」はどれだけ「地に足がついてない」世界が舞台になっていようと、必ずのび太たちの住む街から始まる。そして夏休みの宿題のような「誰でも体験したようなこと」から広がっていくわけです。
 だからね、こうやって、ちゃんと手順を踏んでくれたら大丈夫なわけで、つまりSFっつーかサイエンスフィクション自体が苦手なわけではないようにも思う。

 とくに時間旅行モノにかんしてはわりと大丈夫というか、時間旅行モノも一応はSFに分類はされているんだけど、最初は<現代>から始まることが多い。んで現代と時間移動した先の時代とのギャップを見せるというのは常套です。
 つまり構造としては「大長編ドラえもん」に似通った構成になることが多いわけで、となったら苦手意識なぞ生まれようがないというか。
 さらに言えば「過去にタイムスリップする」類いの作品はむしろ好ましい場合が多い。
 アタシは俗に言う歴史オタクではないんだけど、昭和期以降には並々ならぬ興味があるので、そういう時代にタイムスリップするような話には相当惹きつけられてしまうのです。

 全部が全部ではないけど、フィクションには<擬似体験>という要素が確実にあって、フィクションとして面白い面白くないは置いといて、それこそ自分自身が、もし昭和初年期にタイムスリップしたら、と考えただけでもワクワクしてしまうのです。
 いやこういうワクワクこそがSFの基本で、たまたまアタシがスペースオペラの類いが性に合わないだけで、こう考えたらそういったSFが好きな人の気持ちはよくわかる。
 スペースオペラのようなことが現実に可能かはわからないように、本当に、時間旅行のようなことが可能なのか、タイムマシンのような機器というか設備というか<仕組み>が発明可能かでははく、偶然時流に流されて、ぜんぜん違う時代に飛ばされた人間が果たしているのか、それも「わからない」としか言いようがない。
 でもね、もし、自分が、何の偶然か、昭和初年期に飛ばされたら、みたいな妄想は何度したかわからないくらいしたことがあります。

 ただし、いわゆる「なろう小説」というか、異世界で無双したいわけじゃない。どこの時代に飛ばされようが、まったく目立つことのない一市民として生きていったらどうなのか、そういうね、どちらかと言えばシミュレーションに近いと思っています。
 何しろシミュレーションなんだから、なるべく詳細なデータが欲しい。いや、よくよく考えたら、太平洋戦争が始まる戦前期ね、アタシがもっとも興味がある時代だけど、興味があるからいろいろと調べてはいる。いるんだけど、それでもわからないことだらけなんですよ。
 例えばお金の話。いやそれこそ当時の平均月収は、みたいなことであればいくらでも調べがつく。でももっと大金になるとどうやって管理していたかまるでわからない。たぶん銀行に預けて、とかなんだろうけど、そもそも戦前期の通帳がどういうものだったのかさっぱりわからないし、どれだけ厳密に管理されていたのかもまるでわかりません。

 変な話ね、米穀通帳とか配給切符のようなことなら逆にわかったりするのですよ。それは「これはいずれなくなるものだから、後世に伝えていかなければいけない」というような意識を持った人がいたからだろうと思う。
 でも今も存在としてはあるようなモノ、ただし形状や<仕組み>は変化しているモノ、の方が逆にわからない。
 例えばフライパンとか、いったい庶民はどこで買っていたのか。たぶん金物屋とかなんだろうけど、どれほどの選択肢があったのか、高いとか安いとか、都心部と地方でどれだけ違っていたのか、というか当時の人の<相場感覚>みたいなものって絶対わからないんです。
 いやそんなことを言えば、では令和元年の時点での相場感覚すらもはや誰も憶えていない。調べりゃわかるだろ、と言われても、誰も憶えてないことは早晩調べることも不可能になっていく。そういうものです。

 だからこそ、いやだからこそってのは変だけど、もしかしたらタイムスリップの一番の面白さって<そこ>なんじゃないかと思う。
 誰も憶えていない、誰も「これは重要だから記録として留めておかなきゃいけない」と思ってるようなこと、これこそがタイムスリップの醍醐味のような気がするんです。
 しかしね、それだけじゃやっぱダメっていうか、もしタイムスリップ先に5年10年留まることになれば、今度は令和の感覚が抜けてしまって、そのギャップを楽しめなくなる。
 アタシは何度もイギリスに行ったことがあり、イギリス在住の知り合いも何人かいるけど、イギリス在住が長い人に「面白い場所」とか「美味しい食べ物」を聞いてもダメなんですよ。
 何でダメかというと、彼等から「日本に住んでいた頃の感覚が抜けすぎていて、イギリスに旅行で来た日本人の感覚がわからなくなっている」んです。
 だからもし仮にタイムスリップするとしても、本気で堪能しようと思うなら絶対「令和の日本」という感覚を抜いちゃいけないと思う。

 さてさて、前置きが長くなってしまいましたが、もしアタシが、時流に流されてタイムスリップしてしまったら、みたいなことを書いていきたい。
 あくまでタイムマシンのような<仕組み>ではなく、偶然、何の心の準備もないまま、今の貨幣がまったく通用しない時代に流されてしまったら、という仮定で話を進めたい。
 当然のことながら、流された先では戸籍も何もない。となると運転免許も取得出来ないということになってしまうわけで、これはかなり絶望的な状況です。いくらアタシが好きな戦前期や昭和30年代にタイムスリップしようが先立つものがないと何も出来なくなってしまう。
 さすがにここまで絶望的な状況では生活力旺盛とは言えないアタシが生きていくことは不可能です。なので、多少ではあってもチートを使うことにする。でないとただ野垂れ死にしましたで話が終わっちゃうから。

 現実問題、肌見放さず持っているのはスマホだけです。しかし当たり前だけどタイムスリップした時点でインターネットにはつながらない。つか昭和なら電波さえ飛んでないし、仮に流された時代が二十一世紀だったとしても戸籍もない人間には回線の契約も難しい。
 だからいくらスマホがあったとしても「常時圏外の状態のスマホ」なわけです。さすがに昭和期以降であれば電気はあるので充電くらいは出来ますが、せいぜいカメラで何か撮影するか、スマホ内にすでに入ってるデータだけで勝負しなきゃいけないって寸法です。
 そうなってくると、どれだけスマホのローカルにデータが入っているか、もっと言えば如何に別の時代でも役立つデータが入っているかの勝負になってくるわけで。

 そんなことを四六時中考えている、ノイローゼ気味の人間からしたら、スマホに「オフラインで閲覧出来るように、Wikipediaのデータを入れておく」というのが必須なんですよ。
 これで最低限、いやもう本当に最低限ですが、未来予知的なことは出来るようになる。もちろんね、オフライン状態で見れるWikipediaがあろうがなかろうが、1945年の8月に広島や長崎には行かないですよ。それくらいは調べなくてもわかる。でも、だったら1945年当時、日本各地であった空襲の具体的な日付まで記憶しているか、と言われるとしてない。いや大半の人はそんなことは憶えていない。憶える必要がないから。
 ところがタイムスリップ「するかもしれない」となると話が変わってくる。それだけで生死が変わるんだから。

 実際ね、どこまで出来るかはわからないけど、多少は金儲けのツールにもなってくれるはずで、これも丸裸の状態で別の時代に飛ばされるよりはオフラインWikipediaがあった方がはるかにマシです。
 さらにオフラインWikipediaがあれば、令和のことも調べられるので、ギリギリ「令和の感覚」を失わずに済むかもしれない。やっぱそれは重要だから。
 いや、なるべくなら公営ギャンブルの結果も、全部スマホに入れておきたい。これなら極端な話、10銭でも拾うことが出来たらそれを元手に生きていく程度を稼ぐことが出来るはずです。
 カネの心配がなくなったら、そこから初めて<生活>をすることが出来る。当時の人の<相場感覚>だったり<常識>を、ある意味上から目線で眺めることが出来る=楽しむことが出来るんじゃないかと。

 ただね、それでも、やっぱりずっと住むのは本当に大変なのはわかっています。
 やはり戸籍がないってのは大きい。例えば終戦直後とかなら戸籍乗っ取りみたいなことは可能かもしれないし、記憶喪失ってことで戸籍を作れるかもしれない。
 つかカネの次が戸籍なんですよ。つか戸籍もなしに家とか借りれるのか?何か戦前期とかなら借りれそうな気もするけど、いろいろと不確定だもんなぁ。
 いくらカネがあってもずっと旅館暮らしは辛いし、やっぱ自分の部屋も欲しくなる。そうなったらアレか?いわゆる<ねんごろ>になりゃいいのか?

 いやいやいや!もうすぐ還暦のジジイなんだよ。タイムスリップしても若返るわけじゃないんだし、誰がこんなジジイを相手にするかよ。つか当時の寿命とか考えたら完全に変態性欲ジジイだよ。
・・・よし、もしアタシが戦前期にタイムスリップしたら、まずは谷崎潤一郎先生のところに行こう!

何だこのオチはって話ですが、こんな内容に結論もヘッタクレもないわけでね。
それはともかく、かれこれ数十年、こんな妄想ばっかりしてるアタシはモノホンのノイローゼなんだろうな。ノイローゼの変態性欲ジジイ。しかも変態性欲ジジイの隠れ蓑である作家にもなれそうにないし、うん、こんなヤバいヤツに捕まっちゃダメだぞ!!




@Classic #妄想 #フィクション #ドラえもん #藤子不二雄 #スマホ @戦前 SF 擬似体験 タイムスリップ タイムマシン 異世界 なろう小説 相場感覚 スペースオペラ オフライン Wikipedia 戸籍 PostScript 単ページ







Copyright © 2003 yabunira. All rights reserved.