えと、こういうことをするのは初めてなんですが、どうしても今回の動画は補足が必要だな、と思いまして。
毎回毎回、動画を作る上で、相当量の調査をしています。
しかし当然、それらが全部動画内に入り切るかというと入らない。で、話として面白いと思うもの以外はバッサリ切っているわけです。
それはそれで構わない。つかすべてを説明しようと思えば、んなもん何時間あっても足りるわけがないのでね。つまり何で調べるかと言うと「間違ったことを言わない」ためなんです。だからオミットしたとしても結果それは活かされてはいるわけで。
ただ今回の動画にかんしてはちょっと別というか、さすがに切り過ぎて「おいおい、そこを無視するって。もしかしてちゃんと調べてないんじゃね?」と思われるかもしれないレベルだと。
いやね、アタシが何と思われてもいいんだけど、切り過ぎてちょっと不親切な感じになってると。これがテキストなら何とも思わないんだけど、動画なんでね。アタシはエンターテイメントとして動画を作っているので、エンターテイメントならば「頭の中にクエスチョンマークを浮かばさせない」というのが絶対だと思うし。
で、動画外にはなってしまうんだけど、こうやって補足を書いておこうとね。
戦後すぐ、有楽町界隈にいたとされる「ラクチョウのお時」なるパンパン(途中からは元締め)を深堀りした動画なのですが、ふたつだけ補足を入れます。
あ、もちろん「すでに動画を見ていただいている」という前提で書いていきますので、是非とも先に動画を見てください。
1.性病蔓延について
特殊慰安施設協会、つまりはRAAが廃止となる最大の原因は何だ、という話なのですが、正直ね、GHQが「公娼という制度そのものを問題視していたのか」それとも「RAAで蔓延する性病問題諸々から公娼廃止議論にまで発展したのか」の確証が取れなかったんです。
動画では割愛していますが、中には1日60人(!)の客を取る<特別女子挺身隊員>(ま、公娼のこと)がいたと言われ、また衛生状況も最悪で、さすがにこれはマズいと一日一回の身体検査を実施しますが、進駐軍内で性病が蔓延して、その原因がRAAにある、となったら大問題になる。
要するに下手に国が絡んでるからややこしくなるわけで、だったら公娼というものなんかなくした方がスッキリする。私娼や街娼なら国は加害者ではなく検挙する側に回れるんだから。
だからね、公娼があれだけ早い時期に廃止されたことについて、GHQの強権ではなく実は相当日本からの働きかけもあったのではないかと睨んでいるのです。
しかしこれはあくまで<憶測>です。さすがに「都市伝説を検証する」という動画で、ここまで酷い憶測は喋れない。だからオミットしたと。
2.旧姓問題
動画では「ラクチョウのお時の本名は<西田時子>で間違いない」としたのですが、実は重大なことをオミットしています。
一応触れてはいるんだけど、西田時子さんは<あるタイミング>で結婚している。何しろ1940年代の話で、現今ですらまだまともな議論さえ行なわれていないわけで、つまりこの頃に夫婦別姓はあり得ない。だから旦那さんが婿養子にでもならない限り、結婚で姓が変わっているはずなのです。
で、お相手さんが、身寄りのない時子さんの家の婿養子に入る、というのはどうやっても考えられない。
そうなってくると、この<西田>という姓が、出生時の姓、つまり旧姓なのか、結婚して変わった姓なのか、これがわからないのです。
というか時子さんが結婚した時期がわからない。
おそらくですが、藤倉修一(「街頭録音」という番組で時子さんにインタビューしたNHKのアナウンサー)に手紙を書いた1947年12月の時点では独身のはずで(後述しますが、これも確証はない)、その時差出人として「西田時子」という名前を用いている。
で、1949年6月号の「月刊読売」のインタビューに答えた時は「結婚してる」ということになっており、常識的に考えれば1948年に結婚したと考えるのが妥当です。
しかしすでに結婚しているにもかかわらず「月刊読売」ではやはり「西田時子」名義になってるわけで、そうなるとパンパンの元締めを廃業して市川市の会社に就職した1947年の年末までに結婚したとも考えられる。つまり藤倉修一に手紙を書いた時点ですでに結婚していたと。
というかです。いつ「ラクチョウのお時」を辞めたのか、いつ市川市に転居したのかの時期もはっきりしない。
例えばWikipediaには放送日当日、つまり1947年4月22日、「ラジオで仕事のことを喋ったことで夜嵐あけみからリンチされた」そして「その日のうちに有楽町から姿を消した」と書いてるのですが、そもそも自分の肉声が実は隠し撮りされており、ラジオで放送されることは藤倉修一が事前に時子さんに伝えている。つまり「放送が始まっていきなり自分の声が流れてきたことにビックリした」というのは間違いです。
もちろん収録日当日、インタビューされた他のパンパン仲間にも伝えられているはずで、<夜嵐あけみ>なる、パンパンの元締めの元締めが仮に本当にいたとして、ラジオを聴いて激昂してリンチ、という流れがあり得ない。
そもそも夜嵐あけみという存在が不確かであり、そうなるとリンチ→放送当日に有楽町から姿を消す、というのはあまりにも不自然です。
何故、ラクチョウのお時が足を洗ったか、それは藪の中です。おそらく当局からの締め付けがキツくなって、抱えていたパンパン共々解散したというのが真相ではないか。
こうなってくると「いつ」廃業したかにかんしてはまったくわからない。とりあえず「1947年4月22日以降、1947年12月以前の間」というのはわかるのですが、何月頃、でさえ迂闊なことは言えない。
いや、もしですよ、仮に1947年の末の時点で結婚していたとして、だったら藤倉修一に手紙を書くかな、と思う。
それをきっかけに再び自分が注目を集めてしまうかもしれない。自分の過去が白日に晒されるかもしれない。せっかく手に入れた小さな幸せを手放さなきゃいけなくなるかもしれない、と考えたら、手紙なんか出さないと思うんです。
であればやはり「結婚は1948年」と考えるのが妥当なのですが、そうであれば今度は姓の問題が出てくると。
もうね、これだけいろんなことが絡まってくると旧姓問題はオミットせざるを得なかった。
何より「夜嵐あけみ」が本当に実在したのかを確かめなければいけないんだけど、こんなのわかるわけがない。
つか動画内でも喋った通り、時子さんは「街頭録音」での発言を含めて、あからさまに虚偽と思われることは喋ってないのですよ。ただしそれは酒造会社につとめる旦那と離婚するまでの話で、以降は唯一コンタクトが取れた藤倉修一にさえ所在がわからなくなった。つまり「ちゃんと時系列に並べ直す」ことは不可能なんです。
ま、RAAのことはもっともっと調べたら真実に近づける可能性はあるけど、旧姓問題に絡む謎はこれ以上無理です。取材しようにも存命の方もおられないだろうし。
つか公娼の話はいずれ別枠でやりたい。いや公娼に絞っても滅茶苦茶調べなきゃいけないことがあるので、いつになるのやらって話ですが。