何かこないだの続きになっちゃいそうな気もするのですが、他に書くこともないので。
ぶっちゃけね、芸能界という「あまりにも特殊すぎる世界」にたいして「襟を正せ」も「膿を出し切れ」も何もないと思ってて。
こんなことをくだらない正義感でどうにかしようとしても意味がないし、すべてを可視化することなんか不可能なんだから、結局何も変わらないと思う。
しかし「正義感」とはまったく別のところで、変わっていく可能性はあるとは思っているのですよ。
ここで、まったく芸能界と関係ないっぽいAIの話をします。
ここんところ、実はAIが一番得意なのは「クリエイティブなこと」ではないかと言われだしています。
これは当初の予測とは真逆で、本来コンピュータというものは<曖昧>が苦手だった。しかしその曖昧さが人間にとって非常に重要なものであることはわかっており、何とかコンピュータで曖昧を実現出来ないか、ということでファジーやらニューロやら1/fゆらぎなどという言葉が盛んに謳われた時代があった。1990年代前半の話です。
ま、ここまでのアタシの説明が何より曖昧なのですが、正直AIについてよくわかってないのでさらに曖昧になるんだけど、とにかくアタシ同様、何故かAIはものすごく曖昧なんですよ。つまりコンピュータと聞いてイメージするような「きっちり正確に」みたいなことはイマイチ苦手というか。
だから現今、AIでやるに向いているのは「ざっくり」したもので、そうなってくるとクリエイティブなことと相性が良くなる。
つまりね、すんげぇ簡単な構想のようなものをAIに投げて草案を作らせる。んでAIが作った草案を手直しして「イメージ」を作っていく、みたいな。
これが最終までAIに任せるのは不安すぎる。例えば「AI審判」なんて言われるけど、とてもじゃないけど現状「最後の最後」をAIに任せるのは怖すぎる。当然、さらに厳密さを要求される公共交通機関関連をAIにとなると、まだまだ高いハードルがあるようです。
つかね、クリエイティブなことって「絶対的正解」がないんです。数字でどうこうという世界ではないんだから当たり前なのですが、ざっくりとやって大丈夫な、それこそ台本で言えば準備稿のようなものこそAIに向いている。
もうひとつ、AIの特徴と言えば「責任の所在がない」ところです。
だから厳密なことには使えない。もし何か問題が起きたら責任はSEに行ってしまうんだけど、正直SEも「AIのやることを全部把握する」ことは不可能であり、つまりSEにも責任は問えない。
しかし「責任の所在がない」というのは、使いようによっては面白いことになるんじゃないかと。
さて芸能界の話に戻ります。
芸能人の仕事で一番オイシイと言われているのがCM出演で、ごく短時間の拘束でギャランティをもらえる。ま、ギャランティの相場はタレントのランクによっても変わるんだけど、著名になればなるほどランクは上がるわけで、そりゃあみんな、CMをやりたがるわけだ。つか「CMのために他の仕事を頑張る」というスタンスもアリなわけだよな、と。
当然、CM出演にはリスクが付いてくる。
CMはいわば「スポンサー直結」なので、もしタレントが何かしらの不祥事を起こせばスポンサー契約している企業のイメージまで悪くなる。
実際問題、本当に違約金が発生するのか、本当に莫大な違約金を払ったタレントや芸能事務所があるのかはわかりません。しかし少なくとも何らかの報復はあるはずですし、企業側はタレントの管理までしているわけではないので契約という形で縛るしかない。とはいえ契約があろうが結局「やるヤツはやる」わけで、企業側としては「頼む!契約が終わるまで何も起こしてくれるな!」と祈るしかない。
でもね、この広告というものの意義が問われる昨今、そんな、ある種の運頼みの「タレントを起用したCM」を作る意味があるのか、それってリスクヘッジ的にどうなのよ?となるのも時間の問題な気がするんです。
こういう場合、今まではアニメキャラを使うケースが多かった。たしかに「アニメキャラ」としては絶対に不祥事は起こさない。そういう意味では安心なのですが、それでも作者が不祥事を起こしたり、不祥事とまで行かなくても「何となく薄暗いイメージが付いてしまう」ことは余裕であることで、完全にノーリスクではなかった。
いよいよここから芸能界の話とAIの話がつながります。
もし本当に企業がリスクヘッジ最優先で広告を作るなら、タレントを起用するよりAIキャラにした方がリスクがない。
アニメキャラの場合は「アニメ絵」という制限があったけど、AIなら実写と見紛うばかりのCGも可能です。
いやそれは今までも可能は可能だった。でも今までのCGキャラには必ず「制作者」の存在が付いて回った。つまり「責任の所在」自体ははっきりしていました。
ところがAIになると制作者すらいない。そりゃあAIプログラマーはいるんだけど、じゃあChatGPTの開発者なんかに責任の所在があるかと言えばない。
つまり、ほぼほぼリスクゼロなのです。
ほぼほぼリスクゼロかつ自我のない(「こういうことはやりたくない」とか言い出さない)AIキャラを使わずに、リアルに存在するタレントを使うとなればよほどの理由がいる。
もちろん単純な知名度もあるけど、もう知名度だけじゃ「たいしたメリットじゃねーな」と思われかねないというか、それだったら社内で独自のAIキャラを開発して、超ロングスパンで使っていけば「そこいらのタレントなんかよりもはるかに知名度のある」AIタレントが誕生するはずです。
つまりです。芸能界というか芸能人ですが、実はわりと瀬戸際に立たされているんですよ。
CMのような「オイシイ」仕事がなくなれば、もうテレビに出て、やりたくないことをやらされるテレビ仕事なんか誰もしなくなる。
アタシは別にそれで構わない。つかテレビなんて本来、所詮その程度のメディアだってずっと言ってるし、芸能界のような特殊すぎる世界のことをただの部外者がとやかく言ってもしょうがない。
しかし、これも考えてみれば当たり前の話なのですが、目指す人が減れば減るほどレベルが下がる。それこそスポーツが競技人口とレベルが直結すると言われているように、テレビで活躍したいと思う人が減れば間違いなくタレントのレベルは下がります。
んで「子供のなりたい職業」のずっと上位にいるユーチューバーの方が「テレビタレントよりも競争が激しくなる=レベルが高くなる」なんて余裕であり得る話なんです。
こういうのって結局は自浄作用の問題なんですよ。
自浄作用ったって襟を正すとかそういうことではなく、もう単純に「ヤバい!食い扶持がなくなるかもしれない」という危機感ですよね。そうした危機感こそが「変わる」きっかけで、外野がどれだけとやかく言ったとしても変わらないけど、自浄作用でなら変われる可能性があるぞ、と。
そういう意味ではAIの存在は面白い。ある意味「AIが発展してなくなる仕事」として考えるなら、それこそテレビタレントは上位に入りそうなんですよねぇ。