でないともうすぐ忘れ去られる
FirstUPDATE2025.4.12
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たぶん早いところだと1990年代後半、いや末くらいから出来始め、2000年代に隆盛をきわめ、2010年代半ばにはほぼ姿を消した、そんな業態の店舗はなーんだ?と聞かれて答えられるでしょうか。

たった15年ほどで「誕生→隆盛→消滅」というのは凄まじすぎるのですが、これ、答えを言っちゃえば、ま、ケータイショップです。
と書くと鼻で笑う人もいるかもしれない。んなもん今でもいくらでもあるじゃん、と。
しかしアタシが言うところのケータイショップとは、ドコモやauなどの、いわゆるキャリアショップではない。はたまたイオシスやじゃんぱらなどの中古ショップでもない。つまり扱ってるのは「新品」であり、キャリア問わずその場で回線の契約や機種変などの手続きが出来るショップを指します。

これも完全になくなったわけではない。ヨドバシカメラやビックカメラなどの大手家電量販店に行けば今でも似たようなことはやってる。
こうした大手の大型店舗ではなく、下手したらコンビニよりもずっと小さい店舗で、ドコモだろうがauだろうがボーダフォン(現ソフトバンク)だろうがツーカー(実質消滅)だろうが、様々なケータイ端末を発売する店がね、本当に街のあちこちにあったのです。
もう、それこそある程度の都市であれば、ああまたケータイショップが出来るのか、みたいな感じで雨後の筍の如く、潰し合いもヘッタクレもない感じで、やたらあった。

ま、さすがに、当時すでに一定以上の年齢だった人は憶えてるかもしれないけど、記憶力の悪いアタシが何でとくによく憶えているのかと言うと、当時アタシは広告代理店に勤務していて、この手のケータイショップのチラシをアホほど作らされていたからです。
ま、ぶっちゃけ、ケータイショップのチラシほど作っててつまらないものはない。とにかく店側の<推し>機種の画像をただ並べていくだけで、デザインもヘッタクレもない。しかもデータが多い。データが多いということは打ち間違いの危険性が高まるので、面白くないわ、七面倒だわ、ミスの可能性が高いわで何も良いことがないんですよ。

当時、分量としてはパチンコ屋のチラシのが多かったんだけど、パチンコ屋のチラシはまだぜんぜん遊べるんですよ。データ的なこともないし、とにかく派手にさえすればクライアントが喜んでくれるので、ま、面白い上にやりやすいという。
だから誰もケータイショップのチラシをやりたがらない。当たり前です。

その頃のアタシはやたらとヤル気だけはあった。あったけど、デザイナーとして才能がないのはわかっていた。そんなアタシの唯一の取り柄と言えば仕事が滅多矢鱈に早かったことだけです。
だったら誰よりも早く会社に来て誰よりも遅く帰って誰よりも作業量をこなす、つまり「数で勝負」しようと本気で思っていたんです。
そうなると当然、ケータイショップのお鉢はアタシに回ってくるわけでして。

もう少し自分の話を続けさせてください。
上手い下手、能力の高い低いとは別のところで、自分のスピードと長時間労働を活かして、とにかく<数>で他の社員との<差>をつける、というやり方はあるんです。
この精神はYabuniraにも受け継がれている。アタシはけして文章が上手い方じゃないけど、とにかくマメに、長期間やることでエントリの<数>だけは胸を張れるレベルです。
能力で勝てないなら手数で勝負する、これをずっとやってきたと言ってもいい。つかこれしか自分の生きる道がなかったと言うべきか。

とか考えてたらね、何だか、当時のケータイショップと同じだな、と。
ケータイショップにはもちろん個人経営の店もあったけど、大手ではないもののチェーン展開してる企業もかなりあって、それらの企業は同一地域にこれでもかと言わんばかりに店舗を展開していました。ま、イメージとしてはコンビニとかマクドナルドに近い。多少競合しようがチェーン店同志で食い合おうが、そんなの知ったこっちゃない。それよりもとにかく<数>で圧倒してやるんだ、みたいな。

ケータイショップを展開していた企業が「スマホ時代」を予見出来ていたとは思わない。それでも「とにかく今これが売れるんだ、だから仮に短期的であっても売り抜ける」みたいな刹那的な感じは間違いなくあった。
アタシだってそうです。この体力がどこまで続くかはわからないけど、とにかく今はアホみたいな仕事のやり方が出来るんだからこれを武器にする、くらいの意識は確実にあったわけで、つまりアタシもケータイショップも同じじゃねーかと。

ただね、企業がスマホ時代を予見してようが、アタシが若い頃の体力がキープ出来るほど鍛えてようが、結局<数>で勝負って続かないんですよ。
つか当たり前だけど、数で勝負してる時点でいろんなことのコントロールが効かなくなるわけで、そりゃあ堅実にやってる人たちよりも綻びが出やすい。つまりどっかで足元をすくわれるわけで、どのタイミングで「いち早く」数勝負から脱却出来るかが鍵になってくる。そうしないと何もかも弾けて、忘れ去られてしまう。

ま、アタシがYouTubeをやり始めたのって、実は「数で勝負からの脱却」という意味もあります。
別にScribbleにしてからは数で勝負してるつもりはないんだけど、より内容重視というか、もっと「誰に見られても恥ずかしくない」ものを標榜するには文章では無理だと。これは卑下してるわけではなく流行り廃りの問題に近く、アタシの文章では先が見えすぎているし、何よりどれだけリキを入れて書いても調べても、もはやいろいろ手練れすぎてマンネリが避けられない。
でも動画の場合、いろいろとまっさらで、少なくとも自分では新鮮な気持ちで取り組める。これが大きい。

やっぱね、発信側の気持ちがマンネリになっちゃ終わりなのよね。だからと言って文章を止めるって話じゃないけど、動画は稚拙すぎるという自覚があるから向上心を持てるし、となったらマンネリにはなりづらい。つか動画作りがマンネリになるっていったい何年先なんだろ。







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