いくら考えても「中居が悪い!」と叫べない
FirstUPDATE2025.4.10
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もう半分、釣りみたいなエントリタイトルですが、別に、中居は悪くない、とかそういうことを言いたいんじゃないんですよ。ましてや被害者が悪いとも思っていないわけで。

でもね、もう最近つくづく思ってることなんだけど、物事を「正しい」か「間違ってる」かで判断するとおかしな方向に歪みやすいんじゃないか、ということです。
世界の人口が80億として「80億個の<正義>がある」と思うし、これは事件モノを見て思うんだけど、じゃあ殺人を犯した人は「悪いことをしてる」という自覚の元にそういうことをしたか、というとそんなことはない。殺人者にもその人なりの、その時の<正義>を実行したに過ぎないんですよね。

とはいえ一応、法の下の正義はあるんだけど、それは秩序を保つために必要なだけで、とりあえず法的に正しいか間違ってるかは裁判所で決めればいい。
では一般市民は、というと、あくまで基本的にはですが「正義感などまったく不要」としか思えない。つか当人は冷静ぶって感情抜きに「これが正しい」と言ってるつもりなんだろうけど、第三者が、さらに客観的な目で見たら「いやアンタも余裕で感情論だよ」みたいなことって本当に多いな、と。

ここからは完全にプライベートな話だし、詳細に書くつもりはないけど、ここ最近もそういう<揉め事>があった。
これ、本人はね、絶対自分の意見が正しいと信じてるのですよ。少なくともアタシの意見よりも自分の意見の方が正しいと。
で、ここからが重要なのですが「自分は正しい」と思った瞬間、相反する意見はすべて「間違ってる」ってことになる。

自分=正しい

相手=間違ってる

ということになって、もうこうなると絶対自分の意見を曲げないどころか、一縷も相手の意見や感情を受け入れようとしなくなる。
この手のタイプの人に「対話」はまったく成立しない。自分の意見(=正義)を完全に押し通すか、それとも相手の意見を100%受け入れるか、もうどちらかしかない。対話で妥協点を探りながら、お互いにとって気持ちの良い着地点を見出そうという発想がまるでないからです。

これが、正しい間違いで判断する怖さです。
つまりです。自分が正しいかどうかはどうでもよくて、自分が正しいとなった瞬間、相手は間違ってるということになる。間違ってるんだからそんな意見、そんな存在、そんな人々を叩き壊しても何の問題もない。これ、マジで独裁的な発想で、誰がそんな独裁的な人間と付き合いたいと思いますか。

話を戻します。
アタシの中居にたいしての意見は一貫している。

「ダッサいことしたなぁ、と思うけど、悪いか悪くないかはアタシが決めることじゃない」

という。
これは松本人志についてもまったく同じなんだけど、ましてや芸能ムラという特殊な社会で何の関係もない第三者が正しい間違いを判断出来るわけがない。
つまり「中居が悪い」と叫べないのは、間違っても中居は悪くないと思ってるってことじゃなくて、そんな判断そもそも出来ないよ、という話です。
さらに言えば「被害者の意見を聞いた上で」なんて一番ヤバい判断方法で、それこそ裁判でもそんなやり方は絶対しない。被害者の意見を聞くなら加害者側の意見も同等に聞かなきゃいけないし、でも加害者とされる方が沈黙してるんだから余計に判断しようがない。

つかね、ニュース記事を読んだだけの<たかが>野次馬が、よくもまあ正しいとか間違ってるとか簡単に言えるよな、と。
中居のことに「何とも言えない不快感を覚える」ってのはわかるんですよ。そうした人の感情までどうこうとは思わない。アタシだって中居の行為は愉快か不快かで言えば不快です。
でも「自分が不快=相手が間違ってる、相手が悪い」という話でもない。間違ってるのは自分なのに相手にたいして不快感を持つとか普通のことだから。

アタシは正しい間違いで判断するのは危険だと思うけど、誰かの言いなりになるってのも良くないと思ってる。
つまりね、常に、どんなことであっても「自分の中のベスト」は考えるべきなんじゃないかと。
「80億個の正義がある」というのはピンときづらいけど「誰にでも<自分の中のベスト>はある」というのは理解しやすい。お互いベストがあって、それをすり合わせてお互いがベストではないかもしれないけどベターを導く。それが対話です。

いやむしろ、誰であっても<ベスト>は持ってて欲しいなと思う。
相手のベストがわからないとこっちも妥協しようがないのよ。アタシは「だったらこっちの都合の良いようになっていい」とは思わないし、となったら「100%叶うわけないけど、とにかくこれが自分のベスト」は提示して欲しいなと。でないと考えようがないから。

そういった対話、調和の気持ちがある人間に「正義の押し付け」なんてサイアクの行動で、あ、そう、そっちがそうならこっちも考えがあるよ、となる。ま、自分の正しいを押し付けようとしたからにはそれなりの制裁を受けてもらいますよ、と。
わざと、ちょっと脅迫じみた書き方をしたけど、他人の気持ちを踏みにじって正義という名の<ワガママ>を押し通そうなんてヤツは、アタシは認めない。許す許さないではなく認めない。

というかさ、アタシからすれば「正義の押し付け」ほどカッコ悪いことはないね。そうだな、どれくらいカッコ悪いかと言うと、だいたい中居とか松本と同じくらい、かな。







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