別に文章の動画化をやろうとしてるわけじゃない
FirstUPDATE2025.4.2
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先日アップした「孫悟空」の動画ね、ま、くぅ疲になっちゃうけど、あれは本当に大変だった。ま、大変だったからこそ多くの人に見てもらいたいと思ってるわけで。


アタシの中でね、この動画って「手抜き」の一環だったんですよ。
ちょっとさすがに忙しすぎるので、まともに動画を作ってる時間などなく、だったらせめて調査を大幅に割愛出来るという意味で「複眼単眼」でも書いたことがある「孫悟空」をテーマにしようと。
でもこれがえらい見当違いで、メチャクチャ手間暇がかかった。実はあれでもだいぶ割愛したくらいで、本当はもっと、とくに「シネオペレッタ」について深堀りしたかったんです。

つまりそれだけ「やるべきことが多くなってしまった」からで、総天然色映画にかんしてはもっともっと簡単にやるつもりだった。
「複眼単眼」でもそう書いてるし、動画内でも「「孫悟空」という映画が総天然色で作られたかの確証は何もない」と言っているのですが、何もわからない以上、もうこれは簡単に話を終わらせるしかないだろ、と思っていたわけで。
ところが「せめて黎明期の総天然色映画のことを調べてみよう」と思ったら、もう出るわ出るわで、話としても面白いので割愛出来なくなってしまった。

で、これは円谷英二のことっつーか特撮の話もなのですが、テキスト版とは相当違ったものになってしまった。
テキスト版はあそこまで深堀りしてない。もっとざっくりと、わからないことは「わからない」で話を済ませている。
でもYouTubeでやるとなったらそういうわけにもいかないので、せめて「やるべきことをちゃんとやったけど、わかりません」というふうに見せなきゃいけないので、相当丁寧に深堀りしたらあんなことになったと。

つまりね、手抜きどころか、数ある動画の中でもトップクラスに手のかかる動画になってしまった。
こんな計算違いはよくあることなんだけど、それにしても手抜きを標榜した時に限ってそういうことになる。
いやね、映画じゃない時、つまり15分程度の中編を今年になってから始めたのですが、これも「テキストとして書いたことがある」ネタを引っ張ってきているんですよ。でも時間の関係でそこまで深堀り出来ないし、わりと良い感じで手抜きになってはいるんです。

でも映画ネタのような長編でそれをやると、もう、てんでダメ。つかあらためて気付いたけど、アタシの文章って<浅い>なぁ、と。同時に「あんまり面白くないなぁ」と。
わからないことはわからない。ある日突然わかることはあるけど、そんなの本当にレアケースで、たいがいのことは何年、下手したら何十年経とうがわからないままです。
でも「どうせわからないんだから調査もあまりしていません」ってのと「ここまで深く調べたけど、結果、何もわかりませんでした」ってんでは<重み>がまるで違う。
「わからない」をエンターテイメントとして見た場合、前者は何も面白くない。でも後者は、仮に何もわからないという結論でも、それなりには面白くなるのです。

アタシにとって動画はエンターテイメントです。これは「見る」に限らず「作る」場合であっても一緒で、間違ってもエデュケーションではない。
エンターテイメントである限り、面白いか否かにこだわるのは本当に大事なことであり、面白くしようと極力チャレンジする。そうでないと誰にも見てもらえないから。
これね、逆に言えばですが、そもそもテキストはあんまり面白くしようって感じがないんですよ。ただ、書きたいことを書いてるだけ、みたいな。だから食いつきも悪いし、あんまり面白くならないんだろうな、と。

でもさ、YouTubeとテキストを同じようには出来ないよ。テキストでそれをやると確実に病むから。テキストはどこまで行っても「書きたいことだけを書く」場所として置いておきたい。
でもYouTubeは「やりたいことをやる場所じゃない」んです。少なくともアタシの場合は。むしろ「出来るだけたくさんの人に見てもらって、出来るだけ面白がってもらおう」ってのを突き詰める場所だと思ってる。

だからね、今後もテキストとして書いたことをベースとした動画を作るけど、あくまでベースとして活用するだけ。言い方を変えれば「テキストをベースに、ポップなエンターテイメントとして作り変える」という作業になってくる。
つまりね、文章を動画化するかどうか、早い話が「メディアの置き換え」はたいした話ではない。それよりも「エンターテイメントになってないものをエンターテイメント化する」という方が重要だし、そこをやらないのであればYouTube動画にする意味がない、と。

ただ今後、間違っても自発的にはやらないし、もし仮に求められたらの話ですが、ポップでエンターテイメントな文章も書けるようになればいいなとは思う。
実は「何故深堀りするのか」の答えって、話を専門的にしたいわけじゃなくて、それもポップにする手段なんですよ。つかね、受取手第一で考えれば、そこで話を終わらせるのかよ!みたいなのはないに越したことはない。で、徹底的に調査はしてるんだけど、その調査結果を生の状態ではなく、丁寧に取捨選択をして、簡潔に、わかりやすくまとめて提示する、それが受取手がストレスをおぼえないポップさだと思うから。

まァね、それならそれで、どれだけバイアスを抜けるかが勝負になってくるんだけど、その話はまた今度。