ま、確証バイアス以外の何物でもないのですが、<昔>を莫迦にする常套句として「「川口浩探検隊」とか本気で見てたんだぜ」ってのがあります。
ま、これは川口浩探検隊でも何でもいい。とにかく<作り物>と<現実>の区別がついてなかったというようなことが言いたいのでしょう。
しかしそんな人間はいつの時代にもいる。つか最近だって無数の区別がついてない書き込みはインターネットで発見出来る。つまり時代はまったく関係ないのです。
ま、今回はそれはいい。しかしですよ、では昔の人にとってテレビとは如何様な存在だったのか、これはリアルタイムを生きていなければなかなか掴みづらいものかもしれないな、と。
たしかに、ほんの20年ちょいほど前、と書いちゃうとアーカイブで読んでいただいた時にわかりづらいので、まァざっくり「二十世紀」と表記しておきますが、2000年くらいまではテレビは完全に娯楽の王様でした。
流行語を含む<流行り>はすべてテレビから生み出される、それは当然でしたし、それを自覚したテレビ局は積極的に<流行り>を生み出そうと躍起になっていた。
何故そんなことが可能だったか、それは「居間であろうが自室であろうがテレビのスイッチがオンになってるのは当たり前だった」からです。
つまりね、家にいる限り、基本的にずーっとテレビが点いている、そんな人が大多数で、だからこそ地獄のミサワじゃないけど「テレビ見てない」という謎の自慢、要するにマイノリティアピールが成立したのです。
で、ここからが重要です。
テレビってのはほとんど「ただ点いている」だけのものであり、あくまで基本的にはですが「見るものではなかった」わけでね、これも誤解を招く表現だけど、少なくとも集中してテレビを見るってのはきわめて珍しい状態だった。
もちろん好きな番組はある程度集中して見ていただろうけど、実はそんなに集中していない。ましてやたいして好きな番組がやってない時間帯など「テレビを消すわけでもなく、ただ、何となく点いている」って感じだったんです。
要するに大多数の人は大半の時間、テレビは点いてるけど、ただボンヤリ見てただけ、というね。
かつて萩本欽一は「視聴者はバカは嫌い」と発言し、一部のテレビマンは「視聴者はバカだと思って番組を作らなきゃいけない」と発言している。
これ、真逆のことを言ってるようだけど、実は同じことを言ってる。しかも別に視聴者を馬鹿にしての発言ではない。
「ボンヤリ見てる」ってのは脳ミソが動いてないんですよ。つまりそれは知能の問題ではなく頭空っぽのリラックスした状態で見てるわけで、真剣に見てないんだから「馬鹿でもわかる」くらいわかりやすくしないと何がなんだかわからなくなってチャンネルを変えられてしまう。だから「馬鹿でもわかるように」番組を作る必要がある。
んで萩本欽一の話は「ボンヤリしか見てないからこそ、何となくバカ(=空気をブチ壊してしまうキャラ)が登場するだけで不快に感じてしまう」という話です。
これも真剣に見てたら「何でここでバカが登場するのか」がわかるんだけど、そんなちゃんと、みんなテレビなんか見ていない。だったらそんなキャラは最初から出さないに越したことはない、という。
ビートたけしは当時「萩本さんの番組が視聴率30%とか言ってもほとんどの人はテキトーに見ている。オイラの番組は10%でも真剣に見てくれる」というようなことを発言していましたが、どう考えてもテレビというものがわかっているのは欽ちゃんであり、この「視聴者をバカにはしてないけど信頼もしてない」というスタンスを打ち出したことで「ミスターテレビ」と言われるようになったんだから皮肉なものです。
だからね、当時の子供を除いた視聴者の気持ちを、僭越ながらアタシが代弁させてもらうなら、たぶん「川口浩探検隊」を見てた人の大半は、そもそも「これはドキュメンタリーなのか、それともモキュメンタリーなのか」とさえ考えていなかったと思うのですよ。そんな「作り物か否か」にこだわるような真剣な視聴者などほんの一握り、それこそ視聴率には何の反映もされない程度の数しかいなかったと。
でもこれは何もテレビに限ったことではないかもしれない。
某巨大掲示板でもTwitterでもそうだけど、本当にボンヤリとしか読まずに書き込まれているものしかない。
<レス>とか<リポスト>とか<コメント>とか言うけど、すんげぇ、言葉尻だけしか捉えてないのばっかりで、最近ウチのTwitterにもそんなのがあったんだけど、紛れもないアタシへの罵倒なのにもう笑ってしまった。つか爆笑してしまった。
すごいな、こんなヤツまでSNSやってる時代なのか、と。
ココにミニテトリンをはじめとする「暇つぶしゲーム」について書いたけど、基本的に娯楽ってのは<ボンヤリ>楽しむものだと思う。せいぜい脳ミソは30%未満しか使わない、それが娯楽だと。
それを超えて100%に近いものは、それはその人にとって娯楽じゃない。趣味です。趣味ってのはやっぱり仕事や勉強に近いレベルの脳ミソの回転がないとつまんなくなるからね。
何が言いたいのかというと、たしかにテレビは「娯楽の王様」だった。しかし、間違っても「趣味の王様」ではない。趣味の一部として活用することは可能だけど、こと趣味で言えば王様までは行ってなかったと思う。
たしかにテレビ局は「どうせ視聴者なんかボンヤリ見てるんだから視聴者を欺く」ことは簡単だったろうな、と思う。しかし所詮はボンヤリ見てるだけなので記憶として定着しない。だから意外と実害はなかったのではないかと睨んでいます。
そして、所詮ボンヤリしか見てなかったんだから「昔テレビで見た!」と声高に吹聴するのは止めておいた方がいいと思う。つかそんな自分の記憶に自信があるの?何かそっちのが信じられないわ。