えと、かなり前に瀬戸弘司氏が「これからのユーチューバーは<ラジオのからだ>にならなきゃいけないのではないか」みたいなことを言ってて、ま、当の瀬戸弘司氏本人は<ラジオのからだ>にはなれなかったようだけど。
テレビとラジオの<喋り>の明白な違いとして
・基本的に無編集で話をつなげていかなければならない
・テンションの高さで面白さを「盛る」ことはせずに、なるべく低いテンションで純粋に「話として面白い」、つまり話の内容そのものが面白い必要がある
パッと思い付くのはこれくらいでしょうか。
瀬戸弘司氏が今でも意識してるってのはわかるけど、まだまだテンションを上げて盛ろうとしているところも散見出来、つまりローテンションで面白くするのはかくも難しいということなんだと思います。
というかね、マジでハイテンションって諸刃の剣だと思うんですよ。
ハイテンションで全編を貫き通すのは本当にしんどい。これはYouTube動画や漫才くらいの長さ、つまり15分程度であってもかなり難しい。しかも徐々に受取側もハイテンションに慣れてくるので「後半になればなるほど、さらにテンションを上げなければ尻すぼみみたいになってしまう」わけで、そりゃ難しいのも当然です。
だからこそアタマからケツまでハイテンションな芸をやってる人はすごいんだけどね。
となってくるとです。
ハイテンションは切り札的にとっておいて、基本はローテンションで喋る方がいい。
演ってる方もその方がラクだし、受取側も飽きることがないし好き嫌いも生まれづらい。
でもなかなか、それが出来ない。まず単純に「本当にこんなテンションでやって大丈夫なのか」という恐怖心に打ち勝たなければならない。とくにハイテンション芸をやってた人ほど恐怖心に苛まれやすいと思う。
さらにです。これが一番の問題なのですが、ローテンションで相手を引き込むにはメチャクチャ高等なテクニックがいるのです。
1980年前後に巻き起こったマンザイブームで活躍した漫才のそのほとんどはハイテンション漫才だった。とにかく高速で捲し立てるタイプが大半だった。
そしてそのカウンターとなったのがダウンタウンで、マンザイブームの頃の漫才とは真逆の、低速かつローテンション漫才をやったのです。
当然のように、若手はみなダウンタウン路線というか、低速ローテンション漫才を試みたけど上手くいかない。理由は簡単です。これを実現させるにはものすごいテクニックが必要だったから。
高速ハイテンション漫才はいくらでも誤魔化しが効くのですよ。でも低速ローテンション漫才は誤魔化しが効かない。稚拙な箇所が浮き彫りになりやすい。
新人でもっとも難易度が高い低速ローテンション漫才が出来たダウンタウンが如何に規格外だったかって話ですが、ではベテランになれば誰でもローテンションでやれるかというと、そういうわけでもない。持って生まれた才能はもちろんのこと、やはり修練も必要なんです。
漫才は漫才師に限った話だけど、ラジオでの喋りはタレントなら誰でも「出来なきゃいけない、出来るに越したことはない」能力です。
ところがラジオ特有の、低速ローテンションが苦手なタレントも多いわけで、瀬戸弘司氏じゃないけど「やろうと思えば誰でも出来る、ということでもない」んです。
テクニックだけではなくやっぱり向き不向きもあるわけで、向いてない人はとことん向いてない。伊集院光のようにテレビは向いてないけどラジオは向いてる人がいる一方、テレビではイッパシのタレントなのに、どうやってもラジオに適応出来ないタレントもいるわけで。
さて、話をYouTubeに戻しますが、ユーチューバーにはラジオ番組をやってる人も結構いるのですが、やっぱり向き不向きがあるなぁと痛感している。
つまり普通の動画なら別に問題ないのに、ラジオ番組になると、何か、つまんないよなぁ、みたいな人も多いんですよ。
これ、いったい何なんだろうな、と。もちろん、先ほどより書いてるようにテクニックの問題もあるんだけど、単純にテクニックだけじゃないような気もしてるわけで。
この答えが知りたい、となったら、もう、自分でもやってみるしかない。
そんな理由で、不定期ではありますがラジオ番組を始めてみたのですが、ウチのチャンネルは顔出しをしてないので通常動画との違いが出にくいのです。
唯一違うのが、通常動画が「先に内容を全部決めて素材を用意してから喋る」のにたいし、ラジオ番組は「まずは喋ってみて、その後で素材を探す」というふうにした。つまり手ぶらであろうが喋りたいテーマがあろうが、まずは喋り始めてみる、と。そうでないと通常動画との違いが出ないから。
実際、自分でやってみて思ったのが「脳内の<当たり前>を如何に排除出来るか」だなぁと。つまりそれがメチャクチャ難しいわ、とね。
要するにです。文章の場合、これ説明が足りないなぁと思えば後からいくらでも付け足すことが出来るんですよ。でも喋りだとそうはいかない。もちろん説明だけを後で録音してもいいんだけど、それだとまったくラジオっぽくならない。だからその場で「この説明はいる、いらない」の判断を瞬時にやんなきゃいけないのです。
しかしです。例えば「植木等が~」とか、そういう話になったとしましょう。アタシにとって植木等が如何様な存在なのか、もう空気みたいなものなので説明しようとも思わないんだけど、これがいけない。
つまりね、こういう場合、せめて「植木等の説明いるかな?」と一瞬でもいいから考えることが出来るか、それが大事なんです。一瞬でも考えた上で説明を省こうとなったら、それはそれで構わないと思うんですよ。でも「考えもしないで説明をすっ飛ばす」って、そりゃあ聴いてる人は何のことかわかんなくなるわさ。
こうした「当たり前」とか「常識」を排除するのは本当に難しい。
いやこれが映像込みならまだ何とかなるんですよ。それこそ最悪、タイムボカンシリーズみたいに「説明しよう」と映像とナレーションを挿入したらいいんだから。でもラジオでそれをやると聴いてられない。つかラジオはそうした蛇足的要素を極力排除しなければラジオ番組でなくなってしまう。
最初にアタシはラジオ番組を成立させる最低限、つまり「無編集で話をつなげる」ってのと「ローテンションで喋る。話の内容で勝負する」というようなことを書いたけど、こうした「当たり前とか常識をどれだけ捨てることが出来るか」も、ものすごく重要な要素なんじゃないかと思ってる。
しかしなぁ、タレントをやってきたわけでもなく、タレントを志したわけでもないオッサンにこんなことが出来るのか。ま、テクニックはともかく向き不向きがわかるくらいまでは続けるしかないのですが。