職場から去る、ということ
FirstUPDATE2025.1.14
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こういう場合、仕事を辞める、とか会社を辞める、というよりはポジションや人間関係をリセットするという意味において「職場から去る」というのがもっとも適切なのではないかと思いまして。

おそらくね、職場から去る、というか去る決断をする一番多い理由は人間関係だと思うのですよ。
それも決定的な「何か」があったわけではない。もう、はっきりとした記憶がないような、本当に些細なことだったり、かなり古いことが積もりに積もって、もう自分のいる場所ではない、ということもわからないまま、どうしても、何でか「組織の一員としてやるべきことをやろう」という積極性が失われ、どっちでもいい→辞める、になるような。

というのもですよ。
とくに何の疑問も感じてない時、職場に行くのは「朝、顔を洗う」とか「メシを食う」とか「もよおしたらトイレに行く」くらい、当たり前のことなんです。そこに疑問は感じないし、どうせやるなら前向きにやった方が楽しいしラクなわけで、これが周りから積極性に見える。
もし職場の人間から辞めたいというような相談を受けても、自分に置き換えない。それよりも辞められることで組織に生じるデメリットを考えてしまう。
それは実に素晴らしい状態であると言える。そして何より「楽しくてラク」なんだから「幸せ」と言い換えていいのかもしれません。

そうじゃなくなる、なんてことは誰にでもあるし、普通のことでさえあると思う。
しかしそこから再び前向きになるのは極めて難しい。よほどのことがなければ以前のモチベーションに戻ることは出来ない。そんなことは当たり前なのですが、辞めることを思い留まった=以前のようなモチベーションに戻るだろ、と安易に考える人間が多いのもたしかなんです。
もしそんな安直な人間が直属の上司であれば、どのみち、おそらくかなり近いうちにまた辞めようとするし、結局は引き止められなくなる。だから「上に立つ人間」は本当に難しいんだけど、まァ、その話はいい。

アタシは自分が辞めたことも、そして辞められたこともあります。辞める時も喧嘩同然でって時もあったし、一応は円満というふうになったこともある。
しかしこの「円満」というのが曲者なんですよ。
みなみかわが半分ギャグで「(松竹芸能を)辞めた人間で円満退社なんてひとりもいない」と発言していましたが、アタシはね、あくまで<表面上の>円満退社はあると思っています。つまりこれは、辞める側の心理の問題で「どうせもう関係なくなるんだから」というのが絶対的にあって、だから「喧嘩したって構わない」と考えるか、それとも「うわべだけでも円満にやった方が後々トク」と考えるかはその人次第です。で、ある意味計算高く、うわべだけの円満を選べば円満になる。それだけの話だから。

つまり辞める側の本心なんか関係ないんですよ。いくら不満タラタラだったり、一部の職場の人間にたいして怨みにも近い感情を持ってたとしても、それを「辞めて行く組織の人間に伝えるかどうか」を考えればおのずとわかるはずです。
もう一度言いますが、何もない限り、職場に行くことは当たり前なんですよ。メシを食うのと同じようにただのルーティーンに過ぎないのですよ。で、何かがあったからそのルーティーンが崩れたのですよ。しかもその「何か」というのは、もしかしたら辞めていく人間にすらはっきり記憶がないほどの「小さいことの積み重ね」である可能性もあるわけですよ。

何だか何のまとまりもないことをゴチャゴチャと書いてますが、先日というか昨年末のカジサックのチャンネルでアタシがずっと「あのチャンネルの核」だと思ってた山口トンボ氏が<卒業>した。
もちろん<卒業>なんて言い方が綺麗事なのはここまで読んでいただけたらわかると思うのですが、とりあえずは綺麗事を言わないと始まらないのも当然のことなので、これは構わない。しかし、どうも、当該動画を見て、ああこれ、主宰であるカジサックまで本気で綺麗事で片付けようとしてる、と感じた。いや視聴者には綺麗事でもいいけど、<長>が本気で綺麗事で終わらせちゃダメだろ、と。

実は職場で起こる「小さいことの積み重ねの不満」って、発見がメチャクチャ難しいのですよ。それはもう、本当にわかる。わかるんだけど、その解明を放棄して、辞める人間の言葉を鵜呑みにして、綺麗事にするのって一番やっちゃいけないことだと思うんですよ。
というかね、新しいことにチャレンジするために今の職場を辞めたい、なんて一番信用ならないセリフです。んなもん、学生、いや学校を出て10年以内の<若造>ならともかく、食っていくのがどれだけ大変か骨身にしみている大の大人が本気で口にするセリフではない。

だけれども、喧嘩して辞めたくはない、可能ならばやはり円満で行きたい、と思うタイプの人は、当人すら綺麗事だと理解しつつも、これまたとりあえずはそう言うしかない。たぶん「お約束」だということがバレてるとわかっていながら、それでも自分は貴方達と喧嘩別れしたくないんですよ、というサインのつもりでこうした見え透いた綺麗事を言ってるわけです。
それはそれで構わないし、<長>はそれを最大限に理解して「綺麗事なのはわかってるけど、喧嘩したくないんだよな」という気持ちを受け取らなければいけないと思う。

それがまさか、ストレートに取られた。これ、ちょっとね、考えられないんですよ。
いやね、もう、このタイミングでしか小休止はあり得ないのです。とにかく一旦立ち止まってみる。もしかしたら立ち止まっても何も見えないかもしれない。でも同じように走り続けたら離脱者が増えるだけです。
なのに立ち止まろうとしない。新年一発目の動画でも盛んに「我々は前を向いている」ということをアピールしまくっていた。
これはもう、振り落とされようが知ったこっちゃない、というふうにしか思えないんですよ。というか辞めていく側の精一杯の気持ちを踏みにじる行為に捉えられても仕方がない。

何故走り続けるのか、これはもう、メチャクチャ簡単なことで、結局は不安だからです。
不安だから走り続ける。その心理は理解出来るし、完全に個人でやってるのならぶっ倒れるまで走り続ければいい。
しかし「組織」だとそうは行かない。いくら給金を弾んでも限界がある。というか漠然とした不満はカネでは解決出来ない。だとしたらです。もうとりあえず、この流れを食い止めるのは「どれだけ立ち止まることが怖くても、とにかく一旦立ち止まる」しかないんですよ。
もしこの恐怖心に打ち勝てないのなら、その人は<長>には向いていない。これは断言出来ます。

アタシで言えば、もう、間違いなく、<長>に向いてないのですよ。だから何かやるにしても「こじんまり」としか出来ない。組織を率いる能力がない以上、自分ひとりだけで出来ることは何かを探っていくしかないんです。それはサラリーマンをやってた時に痛感した。
たぶんカジサックもアタシと同じだと思う。もし個人の力では無理なことをやりたかったとしても、組織にはせずに基本外部スタッフを都度招集するという形にするしかない。
もちろんアタシはカジサックがどんな人間か知らない。実際に喋ったこともないもん。でも、如何にも<長>に向いてない感じはまるで鏡を見ているようで、何だか共感性羞恥心さえ覚えるほどなんですよ。

何かね、パワハラとか、そういうことじゃないと思うんですよ。本当に。むしろそれなら解決は簡単なんですが、向き不向きは努力じゃどうしようもない分、劇的に変われるわけがない。それはアタシ自身が痛感してるから。
だからと言って急に組織を解散して、というのも難しいのもわかるから、せめて立ち止まろうよ、と。もう今、それくらいしか出来ることはないよ。







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