別にたいして興味はないんだけど、この件にかんしてどう思っていたかの記録としてね、こんな駄文を書き残しておこうと。
さて、三木のり平も言ってたように(←カンケイナシ)、戦後の三大未解決事件に数えられる帝銀事件ですが、逮捕されて獄中死した平沢貞通は「主犯(銀行に押し入った当人、つまり実行犯)ではないが、一部に関与していたのではないか」という説があります。
このことにかんしては詳しく調べたわけではないことをご了承いただきたいのですが、アタシ程度の知識でも、それこそ逮捕の決め手となった名刺の問題などを考えると「まるで無関係」と言い張るのは若干無理があり、ほんの一部分には関与していたと考えた方が自然なのです。
その「ほんの一部分」が犯行にどれほどの影響があったかなかったかは関係ない。たとえ一部分であろうが関与がゼロでなかった時点で、どこかで「受け入れるしかないのか」みたいな心境になるんじゃないか。
これが無罪が確定した袴田事件なら様相が変わる。
どう考えても袴田巌氏の関与は「ゼロ」であり、もし無理矢理関与を探すなら「被害者宅の近隣に住んでいた」くらいしかない。さすがに「近所の一家が惨殺された事件の犯人にされる」ことを受け入れるのは困難です。
微妙なのが和歌山カレー事件です。
あの場合、たしかに「事件への関与はゼロ」なんですよ。いやそうとしか思えない。
しかしあの一家って言っちゃうとアレだけど、あの夫婦は間違いなくグレーな夫婦であり、保険金詐欺にかんしては親族すら認めているし、ヒ素を保険金詐欺に活用したことも認めている。
だから「和歌山カレー事件」にかんしては<無実>というか「関与ゼロ」かもしれないけど、刑を受け入れる素地はあるな、と。
さて、長々と関係ありそうでなさそうなことを書いてきましたが、今回の主題は松本人志です。
実際、あんまり興味がないのでぜんぜん追ってないのですが、間違いなく言えるのは、あれって「関与ゼロ」ではないんですよ。つかどう見ても「類似したことはあった」「10のうち7とか8は事実だけど、残りの2か3が違うと言い張ってるように見える」というか。
たしかに松本本人にとっては「残りの2か3が事実か否か」はメチャクチャ重要なことかもしれない。だからこそ芸能活動を休止してまで争おうとしたんだろうし。
でも、ぶっちゃけ、世間は「残り2か3」にたいしては「どうでもいい」ですよ。問題はほぼ事実であったろう「7か8」の方なんです。
先の和歌山カレー事件で言えば、世間にとって林真須美は「悪い奴」なんですよ。それは保険金詐欺をやってたってだけで十分で、カレー事件が仮に無罪だったとしても「でも悪い奴には違いないよね」となる。
松本の場合もそうで、「7か8」の箇所が著しく松本人志という<タレント>イメージを損ねるものだった。
もともと松本人志は「カリスマ」とか「崇拝」の対象だったけど、好感度の高い<タレント>ではなかった。そして崇拝していた人間にすら「あの行動はカッコ悪いよね」と思われることをしてしまった。さらに上塗りで訴訟を起こすというのもやはり「カッコ悪い」行動だった。
良い悪いは別にして、少なくともビートたけしはフライデー事件の時もバイク事故の時も「カッコ悪」くはなかった。とくにフライデー事件の時で言えば、やり方には少々(じゃないけど)問題があったとは言え、行動原理は理解出来た。だから後藤田官房長官に「ビート君の気持ちもわかる」と言われたわけで。
そして非常に残念なことに松本人志の「やったこと」にたいして「行動原理が理解出来るか」と言われると、正直「まったく」としか言いようがないし、後藤田正晴も現官房長官である林芳正も「ダウン君の気持ちもわかる」とは言わないと思う。ま、後藤田正晴はとっくに逝去されてるけど。
何度も書いてるけど、人間というのは失敗する生き物です。だからアタシは失敗自体は責める気にはならない。
そして、その失敗に「人間臭さ」が垣間見えたら、どこか親近感も湧くし、もしかしたらその人をもっと好きになるかもしれない。
その逆、それも人間臭さだろ、と言われたらそうかもしれないけど、失敗の陰に「姑息さ」とか「気の小ささ故の神経質さ=自分を守ること最優先」が垣間見えたら、アタシなら失望する。
たけしの失敗が「人間臭い」失敗とするなら松本人志の失敗は宮迫博之のケースに非常に似ていて「自分可愛さ故」の失敗に思える。だから松本の行動に理解が出来ない。というか理解したくもない、という心理が働くんだと思う。
とにかく最悪なのは宮迫で言えばロンブー亮であったり、松本で言えばスピードワゴン小沢が巻き添えになったことです。
そんなことを言えば、フライデー事件でたけし軍団が巻き添えになったんだけど(フライデー事件当時、一番問題視されたのは「何で軍団を連れて行ったのか」だった)、その代わりたけしは「軍団の食い扶持はオイラが一生みる」と宣言したので許されたところもあった。
松本人志がテレビに復帰するかどうか、これは実はどうでもいいんです。
松本は最初にやるべきことは「まず小沢を復帰させることに全力を尽くす。自分の復帰は小沢が無事復帰出来たら考える」だった。しかし、それにかんして「とくにコメントしてない」ことが問題なのです。
ここでも最優先事項を間違えてるわけで、変な話、宮迫とまったく同じ轍を踏んでいる。松本も宮迫も「復帰したら自分がメインMCの番組にゲストで呼んで」とか甘いことを考えていたのかもしれないけど、それは順序が違うよ。
たぶんね、もう二度と、少なくともアタシの中に「松本人志=カッコいい」というイメージは生まれない。
もちろん、だからと言って「松本人志=面白かった」というイメージが崩れることはないけど、ただその場で面白いことを言うだけなら別に松本人志である必要もないわけでね。
真摯に、<笑い>にたいしてストイックに向き合ったことで生まれた、カッコいいというイメージは完全に崩れ去り、保身最優先のみっともないオッサン、に成り下がってしまった。
つかもう、つくづく思うけど、関与がゼロではないことで何で訴訟を起こしちゃったんだろ、と思う。
いやね、アタシが言いたいのは松本人志ほどの立場があれば「司法に判断を委ねる」以外の方法なんかいくらでもあったと思うし、いくら司法とは言え「どこぞの赤の他人に判断を委ねる」って松本が一番嫌なことじゃなかったのか、と。
もしですが、和解が成立せず、裁判が進んで「文春の主張がほぼ認められる」なんてことにもなった可能性もあるわけですよ。そうなった時に本当に「納得」出来たのか、という話です。
それこそ「キャンディキャンディ裁判」の時もそうだったけど、原告側が「自分が勝つことしか想定してない」場合、あとでどえらいしっぺ返しがくる。
当然のことながら自分が正しいと思ってるからこそ訴訟を起こしたんだろうけど、仮に負けようが心の中で「それでも自分が正しい」と思うのは勝手だけど、だからと言ってそれが必ずしも司法で認められるかはまたぜんぜん別なんてすよ。
もし、自分が負けたら、心の中でどう思ってようが相手に謝罪するつもりがあったのか。ないなら訴訟なんかしちゃダメだよ。そこを一番に考えてなかった時点で、和解だろうがなんだろうが松本人志の<負け>なんですよねぇ。