神戸出身のアタシにとって、尼崎、という街に何のイメージもない、というのが、それこそわりと最近まで、具体的には2018年くらいまでは続いててね。
って一般に尼崎は「ガラが悪い街」と言われているし、いろいろと問題の多い地域が存在するのも事実なのですが、実際問題アタシは長年「そういう<噂>は聞いたことはあるけど、そもそも、ただの一度たりとも尼崎に降り立ったことがない」状態だったのです。
もう一度念押ししておきますが、アタシは神戸で生まれ育ちました。んで10代後半から10年ちかく大阪に住んでいたこともある。ということは何度も神戸大阪間を往復する機会があったということです。
なのに、尼崎は一回も行ったことはなかった。
もちろん<通過>はするんだけど、JRだろうが阪神だろうが阪急だろうが、尼崎駅はもちろん尼崎市内の駅で降りたことがなかったし、クルマでさえ「尼崎のドコソコへ行った」ということすらなかった。
要するにアタシは尼崎とは徹底的に縁がなかったのです。ここまで縁がない以上、そりゃあ<噂>は<噂>止まりでしかないのも当然です。
そんなアタシの、尼崎の「かすかなイメージ」は、JRの車窓から見える尼崎駅周辺の殺風景な景色だけで、JR尼崎駅前北口にあったデカい工場(キリンビールの工場と知ったのもずいぶん後年)だけが目立った、こんな殺風景な場所に人が住んでいるのか、とすら思ったほどです。
JR尼崎駅に新快速が停車するようになったのは1997年からだそうですが、それ以前から快速の停車駅であり、快速停車駅=それなりに乗降客がいる、というのがマジで信じられなかった、という。
この映像を見ていただければおわかりの通り、イメージだけでなく実際も、うらぶれた地方の駅舎というムードが濃厚で、もうこれは「ガラが悪い」というイメージすら湧きづらいと言っても差し支えない。
それが2019年、アタシは住み慣れた湘南の藤沢から神戸に一時帰郷することになるのですが、何故かこのタイミングで突然尼崎と縁が出来た。
この頃アタシは生活のために一時的に勤めに出ていたのですが、勤務地が尼崎で、ま、正確に言えば阪神出屋敷駅のほど近くです。
阪神出屋敷駅から北方向へ数分歩いた場所にあるもの、これまた正確には「あった」もの、それは「かんなみ新地」の愛称で親しまれた風俗街です。
アタシの勤務地は「かんなみ新地」とは目と鼻の先で、しかももう他の地方では絶滅寸前の大衆演劇小屋がふたつもある、という、とんでもなく濃い場所に毎日通うことになった。
それまでまったく尼崎と縁がなかった人間が、いきなり尼崎の中でもマックスレベルでディープな場所と縁が出来た、というのも面白い。
さて、阪神の出屋敷から阪神の尼崎までは商店街でつながっていると言ってもよく(厳密には尼崎中央商店街と三和本通商店街に分かれているんだけど、それは商店街に店を構える側だけであって、利用者は誰も分けて考えていない)、この、日本でも「ディープでありながら活気もある」という、ある意味唯一無二の商店街にアタシは毎日足を踏み入れることになったのです。
いやもう、簡単にディープなんて言っちゃうと「行ったことあるけど普通の商店街じゃん」と言い返されるかもしれませんが、まァね、アタシもいろいろ話を聞いたからね。んで話を総合する限り、やはりここはディープと言わざるを得ない。詳しくはヤバすぎるので一切書けないけど、ディープかディープでないか、と言われたら間違いなく、文句なしにディープだと言い切れます。
だからそっち方面の話は切り上げて、もっと明るい話をしたい。
「尼崎の商店街」と聞いて大半の人が思い浮かべると思うのが「日本一早い阪神タイガースのマジックが点灯する場所」ではないでしょうか。
この「鯉なのか何なのか」をモチーフとした謎の物体は「めでタイガー」という名前で、ちゃんと歌もある。
♪ タァイガァ タァイガァ め、で、タ、イ、ガ~
もうこの曲を何度聴いたか。おりしもアタシがこの商店街に足を運んでいた2019年、ちょうどこの頃流行っていたっつーか商店街のスピーカーからよく流れていたのがFoorinの「パプリカ」で、アタシの中では「パプリカ」と「めでタイガーの歌」がセットで記憶されているのです。
ま、そんなことはどうでもいい。
尼崎、と言えば、1980年代後半から「ガラが悪い」ともうひとつ、強烈な別のイメージが出来た。
もちろんダウンタウンです。
しかしダウンタウンはアタシがそのディープさをよく知る阪神沿線の出身ではない。前述した「デカい工場が鎮座してるだけの殺風景な」と表現したJR沿線出身です。
これもいろいろ偶然が重なったんだけど、阪神沿線の尼崎と縁が切れるのとほぼ同時期に、今度は尼崎は尼崎でもJR沿線、とくにJR尼崎駅近辺と縁が出来たのです。
しかも完全に縁が切れた阪神沿線とは違い、東京に転居した2024年現在でも縁は健在で、たぶん今後も行く機会はあると思う。
つか生まれてこの方50年ほど、一切縁がなかった尼崎と急にこうやって縁が出来るって、男の人生なんて何が起こるかわからない。(©近藤唯之)
とにかくここからはJR尼崎駅周辺のことを書いていきます。
先ほど阪神尼崎駅周辺を「ディープ」と表現したけど、じゃあJR尼崎駅周辺はディープじゃないのか、と言われると、やっぱりディープなんですよ。とくにまだキリンビールの工場があった頃の話を地元民の人に聞いたけど、ま、なるほどね、と。それくらいしか書けないのですが。
ひとつだけ言えることがあるとするなら、ダウンタウンのふたりが語る「幼少期の環境」はあまり誇張がない、ということですか。
ダウンタウンはアタシよりは5歳ほど年上ですし、この時代5年違えばだいぶ違う。そもそもアタシが幼少期の神戸だってたいがいディープだったし、さらにその5年前となればファッショナブルタウンと呼ばれた神戸でも相当レベルでディープだったのは間違いない。
ましてや工場が多く、ということはつまりブルーカラーが多い地域だった尼崎ならなおさらもなおさらで、そりゃあ、ダウンタウンの言う通りというか、実際の尼崎もそうだったんだろうな、と思う。
尼崎は阪神地区の中でも一風変わった場所だった。
兵庫県内の阪神地区と言えば、神戸市、芦屋市、西宮市、尼崎市ですが、神戸は先ほど書いた通り一般にはファッショナブルタウンと言われたような街だったし、芦屋は、ま、実際は六麓荘一帯だけなんだけど、世間的には高級住宅街というイメージです。
西宮は阪急沿線、JR沿線、阪神沿線で若干イメージが違う(山陽自動車道の西宮名塩SAのあたりはさらにイメージが違う)のですが、それでもそこまでイメージは悪くないし、令和においては行政面を含めて「阪神地区で一番住み良い」とすら言われているくらいです。
ま、だからってことでもないのでしょうか、尼崎は「阪神地区の暗部を一身に背負わされた」みたいになったということもあると思う。
ま、はっきり言えば1970年代くらいまでは神戸だろうが尼崎だろうが、いや東京でも横浜でもガラが悪いところはとことん悪かった。んなもん令和を基準で考えるならほとんどの地域はガラが悪いということになってしまう。
つまり尼崎も、実際よりも悪いイメージで語られたという側面もあったと思う。その悪いイメージがさらにガラの悪い人たちを引き寄せて「イメージに実態が合ってきた」って感じじゃなかったのか。
そんな尼崎もかつては、阪神地区で「娯楽の最先端」だった時期もあるんです。
ダンスホールは「西洋文化」の象徴として大正から昭和初期にかけ、東京や大阪などで流行した。大阪では風紀が乱れるとして1927年に営業が禁止され、兵庫県に相次いで進出。29年から30年にかけて尼崎市の阪神国道(現・国道2号)沿線に計4軒がオープンし、約40〜70人の女性ダンサーが活躍した。一流のジャズバンドなどが演奏、作曲家・服部良一がサックス奏者として出演したこともあった。また、各ホールは競って集客イベントを開き、人気歌手の藤山一郎や淡谷のり子らを招いた。映画俳優の長谷川一夫や佐野周二、作家の谷崎潤一郎、画家の藤田嗣治らも訪れたという。(ダンスホール 尼崎の隆盛: 読売新聞)
こんな時代もあったのです。
ま、たしかに戦前期のこの当時、上記引用にもあるようにダンスホール自体「風紀を乱す」と目されていたのは間違いない。しかし、それでもダンスホールイコール「娯楽の最先端」だったことも間違いなく、兵庫県を代表する歓楽街になる可能性もあった。
もちろん現実にはそうはならず、阪神工業地帯の発展にともなってブルーカラーが増え、ご存知のイメージになったわけで。
それでも、あまりにもイメージが悪くなりすぎた。ダウンタウンも悪気があったわけではないのですが、面白おかしく尼崎のガラの悪さを吹聴したのも、ま、イメージダウンにつながったのもある。
さすがに尼崎<市>としても「このままではマズい」という意識があったのでしょう。JR尼崎駅前にあったキリンビールの工場が撤退して、その跡地に出来たのが「キューズモール」です。
こうした動きは「東の尼崎」呼ばわりされることもある神奈川県の川崎に非常によく似ています。
JR川崎駅西口に鎮座していた東芝川崎事業所の跡地にラゾーナ川崎という巨大なショッピングモールが出来たのは2006年です。で、実際、ラゾーナが出来て以降、とくに川崎駅西口のイメージは劇的に良化した。
別に二番煎じを狙ったわけではないのでしょうが、尼崎もショッピングモールの誘致に成功し、キューズモールなるショッピングモールが誕生したのは2009年。ラゾーナ完成の3年後です。
こうした尼崎の動きは一定の成功を収めたといってもいい。まさか<あの>尼崎が「住みたい街ランキング」の一角を占めるとか、ほんの15年前、20年前では考えられないことです。
ただ、JR尼崎駅周辺にしろ、阪神尼崎駅周辺にしろ<ウラ>がなくなったわけではない。<オモテ>が強くなったので<ウラ>が目立たなくなっただけの話で、依然、暗部は暗部として残存している。この辺りの事情も川崎と酷似しています。
だからけして「めでたしめでたし」、いや「めでタイガーめでタイガー」って話じゃないんだけど、先ほども書いたようにアタシはこれからも尼崎と縁が続くと思うんでね、やっぱ、少しずつでもイメージが良くなった方がいい。
つかさ、尼崎もいろいろあって、悪いイメージが悪いスパイラルを生んだって感じだったろうし、となれば今の良いイメージのおかげで良いスパイラルになる可能性もあるってことだからね。
結局のところ、実態よりもイメージの方が大きいって話なんですが、さすがに尼崎は平成まで一貫してイメージが悪すぎたからね。 それを払拭するのは並大抵ではないし、わりと頑張ってる方だと思う。少なくとも悪い方向には行ってない。 そういう意味では川崎のがちょっと、何かよくわからんけど、躓き気味だな。「川崎の武庫之荘」とも言える武蔵小杉でさえ、例のタワマン騒動があったりね。 ただ基本的に尼崎も川崎も「異様な便利さ」がある街だから、今後イメージが180度変わる可能性もあるけど。松本があんなんになっちゃったからあんまり尼崎のことも言えないだろうしさ。 |
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