某巨大掲示板なんかにはよく「自分は仕事がデキるのに上司が~」なんてスレが立てられているのですが、よくもまあ、自分で「仕事がデキる」なんて言い切ることが出来るな、と。
いやね、その道で10年以上やってるなら「もしかしたら、人より多少は秀でてるかもしれない」みたいに思うことはあるかもしれないけど、ほとんど新入社員に近い<歴>の浅さで、そんな判断が出来るもんなんだとね。
つまり「本当に仕事が出来るか否か」は問おてない。しかし「仕事が出来るか出来ないかを、客観的に、俯瞰的に見て判断する」なんて、やっぱすぐには無理なんですよ。
これが通用するのはスポーツの世界だけ。何故ならスポーツは数字がすべてだから。優れているか劣っているかは数字で簡単に判断出来る。
でも、仕事、でしょ?
おそらくね、自分で仕事がデキると言い切っちゃうような人って「作業がデキる」人なんだと思うんですよ。
つまり「コレコレ、コーユーことをやりなさい」と言われたことをキッチリとこなせる人。もちろんそれはそれで能力ではあるんだけど、作業ってのは仕事の一部分であって、作業がデキる=仕事がデキる、ではないと。
だから、作業がデキない、というより「そもそも作業なんか一切やらない」人でも「仕事がデキる人」はいるわけで。
ではその「仕事がデキる」ってのはどういうことなのか、これは難しい。もちろん業種によっても職種によっても変わってくるわけだし。
難しいことをどれだけ考えても答えなんか出るわけがない。そういうのを時間の無駄という。だから発想を変えて、じゃあ「仕事がデキない人」ってどういう人だろう、と。
これはわかりやすい。簡単に言えば「極端に他人への共感力が薄い人」です。
もうこれこそどんな職種、どんな業種にも言えるのですが、どんな職種、どんな職種であっても絶対に「サービス業」の要素が内包されているのですよ。
他人さんからお金を頂こうと思えば、他人さんにサービスを施さなきゃいけない。となれば「その人の立場になって、どういうことをすれば喜ばれるか、逆にどういうことをすれば不快感を持たれるか」を理解する必要がある。
だから仕事って「自分的にこういう方が素晴らしい」なんてどうでもいい。もちろんそういうのも大事なんだけど、あくまで「他人さんが見ても素晴らしい」という大前提があっての「自分が見ても素晴らしい」なんです。
そうなってくるとですよ、お客様やクライアントだけに限らず、見ず知らずの人、赤の他人であっても、可能な限り想像力を膨らませて共感を寄せる力がどれだけあるか、それが問われる。
そんなことを考えてるタイミングで、こんな記事を読んだ。まァ引用を読んでください。
ぼくはね、名も無い誰かの恋みたいなものに対して、ものすごく応援したい気持ちがあるわけ。電車の中で見つめ合う高校生とかいるじゃない? 今はスマホ見てるから少なくなったけど、冬にほっぺを赤くした若い高校生とかが見つめ合ってるのを見ると、がんばれ‥‥! って思うんだよ。(ほぼ日刊イトイ新聞「僕の君は世界一。」その2 まずは状況から話そうか。糸井重里のコピー 10 )
<ぼく>というのは糸井重里ですが、もうこの共感力が「コピーライター糸井重里」を支えてたんだな、と痛感した。
もし「他人の恋愛?それの何が面白いの?」なんて人なら「僕の君は世界一。」なんてコピーは作れない。いやコピーに限らず仕事なんか出来るわけがない。それは表面上は機械を相手しているSEやプログラマーであっても一緒です。何故ならコンピュータってのはただの仲介役でしかなく、その向こうには必ず人間がいる。向こう側にいる人にたいして「赤の他人がどうなろうが知ったこっちゃない」という考えでは、もう「自分がやりたいように、やりやすいように」だけを考えるようになってしまう。
そんな人間が仕事がデキるのかって話で。
つかさ、もっと根本的な話だけど、じゃあ稀代の経営者、それこそ松下幸之助や井深大や中内㓛といった人が自ら「オレは仕事がデキるから~」とか言うか?もしかしたら「仕事デキますよね?」と振られても否定はしないかもしれないけど、どう考えても自分から言い出すとは思えない。
これは何でもそうなんだけど「誰も言ってくれないから自分で言う」んですよ。つまり「自認」はしてるけど「他認」はされてない状態の人が口に出すことだと。
最初はしょうがない。誰でもそんなもんです。
そこで「まだ足りないんだ」と思える人と思えない人に分かれる。当然「まだ足りない」と思える人は向上心があるということであり、思えない人っつーか「周りが悪い」と言う発想になる人はいつまで経っても現状維持のまま。
自分が向上心もなく現状維持なのに「そんな自分に共感しろ」と思ってる。でも自分は他人に共感しない。なんだそのダブスタ。
つかさ、本当にそんな上司がいるという体で書くけど、その上司の判断は的確だよ。そんな共感力のない、<作業>と<仕事>の区別もついてない人を「優秀な人材」と認識するわけがない。だって優秀じゃないもん。
ま、気持ちはわからないでもないんですよ。どうしても若いうちは直属の上司にたいして「不当に自分を低評価して高笑いしてる」みたいなイメージを持ちやすいから。
でもそれもせいぜい20代前半までですよ。つか20代前半までならギリギリ許されるけど、20代後半にもなってこんなことを考えてるようじゃあ、ねぇ。
人間というものが集団でないと生きていけない存在なので、となったら「他人さんが何を考えているのか」を感じ取ろうとするのはメチャクチャ重要だし、いくらAIが発達しようが関係ない。
むしろ、もしもっともっとAIが発達したら「共感力」こそが人間のアイデンティティでありストロングポイントになると思うんだけどな。