コメディアンでもヴォードヴィリアンでもなく
FirstUPDATE2024.10.22
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アタシはかねがね、別個の名称を付ける方が絶対いいと思ってたし、周りの人(芸能界外)からわかりやすいだけではなく、当人たちにとっても、未来へつなげる意味でも都合が良いような気がして。

アタシは以前、小林信彦が何度もしつこく取り上げる、週刊文春1964年6月22日号に掲載された「文春えんま帖・お笑いタレントを斬る」という記事について「<お笑いタレン>のベストテンに新劇人である小沢昭一が入ってるのはおかしい」と書きました。
小沢昭一の場合、どう考えても「コメディアン」でも「ヴォードヴィリアン」でも、はたまた「お笑いタレント」でもない。もし現今、何かひとつだけ肩書きを付けるなら、もうそれは「役者」もしくは「俳優」です。いくら著作がいろいろあろうが、長年ラジオのパーソナリティをやろうが、そこが揺らぐことはない。

では何故、当該記事で(一応<別格>という扱いながら)「お笑いタレント」の枠の中に括られているのか、それは当時、小沢昭一は日活の喜劇映画などにおいて「人を笑わせる」役者だったからです。
実際問題、コメディアンとヴォードヴィリアンの境界線からして難しいのに、いくら<笑い>を提供していたと言っても新劇人まで入れちゃあ、もう何のことかわからない。ま、だから、「お笑いタレント」なんていう曖昧な括りにしたんだろうけどさ。

ただね、コメディアンでもヴォードヴィリアンでもないにもかかわらず、世間からは「笑わせてくれる人」みたいな認識の役者は小沢昭一に限らず、わりといつの時代にもいたりします。
ざっと名前を挙げていけば
・石立鉄男
・西田敏行
・柳沢慎吾
・大泉洋
・阿部サダヲ
・ムロツヨシ
この辺りの人たちです。
それこそ「なんJ」で「大泉洋やムロツヨシの「自分、笑いがわかってますよ」感が嫌い」なんてスレが定期的に立ってますが、何でこうした揶揄をされるか、それはこのタイプの人たちに「括り」がないからなんです。

今回、もう世間に浸透しなくてもいいから、せめてウチのサイトだけでも個別の名称を付けたい。
そうですね、たとえば「コメディアクター」なんてどうでしょう。ただ合体させただけですが、これなら「あくまで軸足は役者」というのがわかりやすい。
んで昔の人たちにも「コメディアクター」がいるかと言えば、いる。それこそ藤山寛美なんて典型的な、そして頂点のコメディアクターですし、ハリウッドで言えばジャック・レモンなんかもコメディアクターに該当すると思う。

あくまで軸足はアクター、つまり役者なので「<平場>の面白さ」はまったく問われない。逆に言うなら大泉洋のように平場に強くてもいいし、阿部サダヲのように弱くてもいい。
しかし、ガッチリとしたストーリーの中で「面白い(笑わせる)ことを演じる」ことに長けている、という能力は必要で、いわば「肩書き」というよりは「称号」に近い。
ただしすでにコメディアンであったりヴォードヴィリアンであったりといった肩書き持つ人には与えられない。あくまで「役者」という肩書きの人だけに与えられる称号だと。

アタシが小林信彦が言うところの「喜劇人」という名称がイマイチ好きでないのは「喜劇人」としてしまうと小沢昭一や阿部サダヲは入るけど、明石家さんまやダウンタウンなんかを入れづらくなる。
かと言って、その小林信彦が「あまり好きではなかった」という、香川登志緒考案の「笑芸人」という言葉もやっぱりピンとこない。こっちはこっちでヴォードヴィリアンに寄りすぎというか。
当然のことながら「お笑いタレント」なんて論外です。

だからアタシはね、<笑い>を提供する芸能人をひと括りにする名称なんかいらないと思っている。そんなことより、小沢昭一のような「笑わせる役者」に相応しい名称というか肩書きというか称号を与える方がいいと考えているのです。

ま、これが長い前フリなのはお気づきだと思うけど。

ではもっとも長期間に渡って「コメディアクター」の称号を手中に収めた人間は誰か。
小沢昭一はわりと早めにその手の作品に出なくなったし(アタシの世代ですでに「小沢昭一的こころ」とか、泣きながら「♪ ハーモニカがァ欲しかったんだよォ~」と歌っているイメージしかなかった)、石立鉄男は日テレユニオン映画の主演シリーズが終わると以降はコメディへの出演は散発的になった。
柳沢慎吾は何故か役者よりもヴォードヴィリアン寄りになっていったし、大泉洋、阿部サダヲ、ムロツヨシは年齢的にまだそこまで長期間ではない。

そうなると必然的に西田敏行がせり上がる。
西田敏行は青年座出身の、れっきとした「役者」です。しかし<平場>に滅法強く、歌える動けるとコメディアンの必要能力を高次元で備えており、劇中のアドリブも得意で、晩年に至るまでずっと「コメディアクター」の称号に相応しい仕事をしていました。
つまり「コメディアン」と「ヴォードヴィリアン」の能力を兼ね備え、喜劇作品においても<笑い>の軸を担えて、なおかつそれを生涯全うした、まさに「ミスターコメディアクター」なのです。

正直、これから西田敏行ほどの人が出てくるのか、甚だ疑わしい。
大泉洋はいまだに「喜劇映画の主演作」がないのが痛い。阿部サダヲは平場に弱すぎる。ムロツヨシは癖がありすぎて舞台ならともかく映画やテレビドラマの喜劇で主演は向いてないように思う。
他は、佐藤二朗は絶対ワキで輝くタイプだし、安田顕あたりも喜劇作品の主演って感じじゃない。

そう考えたら余計、西田敏行の偉大さがわかる。
もちろん時代が良かったのもある。それこそ大泉洋なんか時代が時代なら主演喜劇映画シリーズ、せめて主演喜劇ドラマが作られたに違いないしさ。
それでも西田敏行の才能が突出していたことは疑いようもなく、コメディアクターという称号は当然として、やはりこの人は「天才」にカテゴライズしてもいいのではないか、そう思っています。

にしてもさ、早すぎるんだよ。つか一回西田敏行と「阪神タイガースの話<だけ>」をしてみたかった。仮に野球の話に限定しても、十二分に「芸能人としての達者さ」は感じられたはずだし。







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