ぶっちゃけ、相当時間がかかってしまって、というかホント、アタシは物事を噛み砕くのが遅いわ。しかも「本当にちゃんと噛み砕けてるのか?」と言われたら何も言えないし。
さて先日、いやぜんぜん先日じゃねーな。もう先々月だもん。
とにかく2024年8月に「ニッポン・スウィングタイム 戦前のジャズ音楽 vol.2」というCDが発売されまして、当然「vol.2」というくらいだから前作もあるんだけど、これはもう、何度聴いたかわからないくらい聴いた。
ってさ、当たり前だけど、こういう戦前の日本のジャズを好んで聴く時点で、こう言っちゃアレだけど、マジョリティではないんですよ。それはよくわかってるし、マイノリティな側から多少なりともマジョリティに向けて、こんな良いCDがあるよ!と紹介するのは本当に難しい。
ただね、これだけは確実に言えることなんだけど、ある意味対象者を絞ったら簡単なのかというとそうではない。
こういうね、ま、いわばマイノリティ向けの商品には必ず口うるさい人間がついて回る。とくに今回のようなアンソロジーアルバムには、何か違う、あそこがああでなければおかしい、選者は何もわかっていない、云々。
アタシだって、じゃあ「ただありがたく聴かせていただくだけ、絶賛すれど批判なんか滅相もない」と考えているかと言えば考えていない。
実際よく、何か、どうも、それは違うんだよなぁ、なんてね、やっぱり思っちゃうんですよ。エラソーにもね。
「ニッポン・スウィングタイム 戦前のジャズ音楽 vol.2」の選曲と膨大なライナーノーツを執筆したのは音楽評論家の毛利眞人氏です。
アタシは毛利氏と面識がある。というか「戦前のジャズのことでわからないことがある」となったら、すぐに毛利氏に問い合わせるくらいで「アンタは毛利氏のことを超正確超詳細なWikipediaかなんかと勘違いしてるんじゃないか」と言われたら何も言えません。いやそんなことは思ってないけど、本当に助けていただいています。
ははぁん、わかった。そこまで世話になってる知人のCDだから褒め称えようって魂胆だな、と思われるかもしれません。
いやね、アタシは知人だろうがなんだろうが、違うと思えばそれを書きます。というかその手の忖度をして喜ばれたことなど一度もないし、むしろ腰巾着と思われてアタシのイメージが悪くなる。
でもね、もう、腰巾着でも何でもいいわ。とにかくですよ、このCDは素晴らしいです。というか聴いてて何度も手を叩いてしまったレベルです。
何が素晴らしいのか、もちろん一冊の書籍に出来るレベルで調べ抜いてあるライナーノーツも本当に素晴らしいのですが、アタシが心の底から感心したのは曲順です。
アタシはね、つまんないこだわりかもしれませんが、発表順、というか録音された年月日を無視して、<音>のつながりだけを最優先したようなアンソロジーアルバムが嫌いなのです。
完全に、ではなくてもいいんですよ。でも年代がバラバラだとどう聴いていいのかわからなくなる。
「ニッポン・スウィングタイム 戦前のジャズ音楽 vol.2」はちゃんと「基本は年代順」であり、それでいて<音>のつながりと考慮してある。つまりキチンとせめぎ合いをしてるんです。
具体的に行きます。
まずいきなり「アラビアの唄」、しかも<二村定一の>アラビアの唄から始まる。何しろ「<二村定一の>アラビアの唄から日本ジャズソング史が始まった」と言える超重要曲なので妥当っちゃ妥当なのですが、ここで変なひねくれ方をした場合が結構多いんですよ。
ましてや毛利氏と言えば「沙漠に日が落ちて-二村定一伝」の著者ですからね、王道だとしても気恥ずかしさからハズしてみたくなる気持ちもわからんでもない。
でもね、変なひねり方をせずに「てらいなく」ちゃんと二村定一から始まる。もうそれだけで気持ちがいい。
そうは言っても、当たり前だけど、これは二村定一単独のアルバムではない。それはそうなのですが、っぱ、二村定一だよなぁ、と思い始めてね、3曲目がかかってぶったまげた。
3曲目は「大学生活」。作間毅の独唱ですが、アタシはこの曲を、というかタイトルを聴いてもわからなかった。わからなかったからこそ、メロディが流れて腰を抜かしたんです。
歌詞こそ違いますがこの楽曲「エノケンの青春酔虎伝」という映画で二村定一が歌った歌で、二村定一の歌唱じゃないのに、脳内には「♪ オオッ春、輝く空、高鳴る胸、ラ、ラ~」という二村定一の歌声が鳴り響いた。
何と言う仕掛け!!
他にも「そろそろまた、二村定一成分を」と思ってると小林千代子の楽曲が流れたり(戦中、二村定一は小林千代子の一座に在籍していた)、岸井明の楽曲が続いた後に平井英子の曲だったり、とにかくそんな仕掛けが山ほどある。
個人的に面白いと思ったのは、生真面目な藤山一郎と、今で言う帰国子女でフラッパーなヘレン隅田のデュエット曲「公園で」でして、もう、どう聴いても昨今の漫画(それもエ◯系の)でよくある「生真面目陰キャチー牛とギャル」の組み合わせにしか思えない。
さらにニクいのが続けて藤山一郎の2曲が「ギャルへの思慕を抑え切れない」ラブソングになってるところで、とくに「夜風(告白)」は生真面目クルーナーの藤山一郎にしてはかなり熱い歌唱なのも「感情を抑え切れなくなったチー牛」っぽくていい。
いやぁ、あと「岸井明って作詞家専業でも十分イケたんじゃないか」とか「平井英子って実は笠置シズ子に匹敵する才能を持ってたんじゃないか」とか、もういろんな思考が脳内を駆け巡って、忙しいったらありゃしない。
とまあ、ここまでそこそこ長めに書いてまいりましたが、これ、まだ2枚組のうちの1枚目ですからね。
当然、2枚目にも様々な仕掛けが施されており、でもそんなの、全部書いていったらキリがないよ。
何だかね、変な言い方だけど、選曲と<並べ方>だけで、これだけ<表現>が出来るんだ、と強く感じ入った。
マジでこれこそアンソロジーアルバムのお手本のようなもんで、ここまでちゃんと、隅々まで計算してるアルバムってどれほどあるんだろ、と。
まァね、アタシはたしかにマイノリティ寄りだけど、正直、マニアと言えるほどの知識はない。たぶんマニアの人が聴けばもっともっと、アタシなんかでは到底気付かない「仕掛け」があるに違いない。
だけれども、アタシ程度の濃度の人間でもわかる仕掛けも入ってるってことは、どれだけ多重的な仕掛けを施してるんだよ。
だからね、このエントリは間違っても<褒め>じゃないしステマでもない。ただただ、参りました、と。
ステマじゃないので「是非買ってください」とは言わない。でも、何らかの方法で一度聴いて欲しい。聴いてもらえればきっとアタシの言いたいことが、・・・わかるかなぁ。