勝った側が言わないと何の説得力もない
FirstUPDATE2024.10.2
@Scribble #Scribble2024 #ことば #戦争 #スポーツ #物申す #違和感 #プロ野球 極論 オリンピック 共感 真珠湾攻撃 ナショナリズム クライマックスシリーズ 単ページ #2010年代

しつこいですが、アタシは完全なノンポリです。だから戦争にかんしても「悪いか、それともやむを得ないことなのか」の答えは持っていない。あ、あくまで「やむを得ない」であって「正しい」ではないからね。

というか、相手が攻撃を仕掛けてきた時、だまってやられるのが正しいのか、そういう話になってくる。
戦争と言われると、どうしても「こちらから先制攻撃を仕掛ける」みたいなイメージが強い。そう考えれば真珠湾攻撃の一般市民に与えた影響がどれだけ絶大だったんだろ、と。
でもね、戦争って、どちらが先に仕掛けたかなんてどうでもいいんですよ。つかこと近代において「それまでまったくその<気>もないのに、いきなり攻撃を加える」なんて戦争はまずない。やっぱ、それまでに散々折衝を重ねて、どうやってもお互い妥協し難いことがあったからこそ、だと思うわけで。

では何事もモメずにが正しいのかと言うとそれも違う気がする。こういうのって結局はバランスの問題であって、強気で行かなきゃいけないところで弱腰になったり、穏便に済まさなきゃいけない時に強硬な手段に出たり、そういうことがないようにやればいいだけなんですよ。つまり商売の基本である「押したり引いたり」です。
アタシはね、悪い奴らはやっつけてしまえ、であれ、とにかくどんな理由であれ戦争はいけない、であれ、どちらも「極論に走って一切バランスを考えてない」ようにしか思えない。

ま、それは大前提としてね、どうにも日本として、というか日本人が「戦争は良くない」と言うのは違う気がするんです。
いや「違う」は違うな。何と言うか、
エントリタイトル通り、説得力がないよ、と。
そりゃあね、これは何でもそうだけど、負けて気持ちいいなんてあり得ないわけですよ。つか「戦争」とするから大仰になるわけで、これが「スポーツ」とした方がわかりやすい。

スポーツには必ず勝ち負けがつきまとう。そういうものというか、スポーツには人間が持つ闘争心を発散させるためという側面もあるので、勝ち負けがないとスポーツとして成立しません。
だからスポーツにナショナリズム問題を持ち込みやすい。とくに国同士が争うオリンピックなどは毎回「ナショナリズム云々」とか「報道がまるで戦時中云々」と言い出す輩が出てくる。
もうそれはしょうがないというか、オリンピックはある意味そういう輩の発散の場でもあるからね、それが機能してるってことはちゃんとガス抜きになってるってことでしょう。

兎にも角にもオリンピックの是非は何度も議論になるし、アタシも最近の拝金主義的なオリンピックには違和感が強いんだけど、もう昨今のオリンピックって、競技自体も喧々諤々じゃないですか。
とくに各競技のルールにかんしては常にモメてるイメージで、もう何かあると「日本に不利なルールに改定された!」とか言ってる感じで。
しかしね、どうも、負けた側が言うのは違和感があったというか、ならば試合前にルールの是非について議論すべきだし、どうしても納得出来ないルールなら「参加しない」というのもアリなはずなんですよ。ま、実際はスポンサー云々の問題で難しいのはわかるけど。

とはいえね、やっぱ、試合前でもダメで、本気でルールを何とかしたいと思うなら「勝ってから」なんですよ。でないと「自分たちが損だから得なルールに変えろ」と言ってるようにとられてしまう。
これは損得の話じゃないんだ、そんなミミッチイ話じゃなくて、このルールじゃ不公平だし、何よりスポーツとしての魅力が削がれてしまう。だから変えなきゃいけない。
そういうことを声高に叫ぶたったひとつの方法は「勝つこと」なんです。というか勝てばこそ言えることがある。

野球の話で恐縮ですが、アタシはずっとクライマックスシリーズはいらないと言い続けてるけど、それを初めて表明したのは2014年です。
というのもアタシが応援する阪神タイガースが初めてクライマックスシリーズを勝ち抜いて日本シリーズに進出したからで、それまでずっと阪神はクライマックスシリーズで勝てなかった。というかことクライマックスシリーズには弱かった。
だから「阪神が弱いからクライマックスシリーズなんか止めろ」って言ってるように思われるのが目に見えていたので言えなかったんです。

自分が、もしくは自分が心を寄せるモノが得しそうだから賛成、損しそうだから反対、というのでは共感が生まれない。
もしかしたら自分は損するかもしれない。しかし今後の発展を願うならこう変えた方がいい、というのでないと人々を納得させるのは難しい。
そのためには勝利で証明するしかない。もしルール変更が行われたら、もう次は勝てなくなるかもしれない。それをわかって、それでもルール変更を叫ぶなら、これは負けた時に比べて数倍の説得力が生まれるんじゃないかと。

戦争なんかもっと極端で、勝者の歴史が正史になって、負けた方はすべての行動(政策)が間違ってたということになってしまう。
だから本当に地球から戦争をなくしたいのであれば、絶対的強者が「戦争なんて金輪際やらない」と言い出すしかないんです。
負けたら全部、何を言っても負け惜しみになる。日本人が戦争反対なんて唱えても、そりゃあアンタたちは負けて酷い目にあったからな、負けるのが嫌なだけでしょ?と思われて終わりというか。
それは意味がないよね、と。

冒頭でも書いた通り、アタシは戦争にたいして「悪いこと」と決めつけられないように、少なくとも「正しい」とも思っていない。んなもん戦争なんてやらないに越したことはない。当たり前です。
ただね、その声は誰にも届かない、と思ってた方が精神衛生上良い、くらいは理解している。日本は日本が直接関わった最後の戦争で負けた。負けた側の意見は参考意見にすらならない。負け惜しみと処理される。
と書けば「勝って終わるためにもう一回戦争しろ」みたいに思われたら困るんだけど、もちろんそういうことではありません。

まァね、いっこだけ言えることがあるとするなら、どれだけ酷いことされてもだまってろ、戦争をするくらいなら一切抵抗せずに日本人全員が虐殺される方がマシ、そこまで行かなくても他国籍にすべてを牛耳られて奴隷のように働かされる方がマシってのは絶対ない。それだけかな。







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