正解なんてどうだっていいじゃん
FirstUPDATE2024.8.14
@Scribble #Scribble2024 #事件 #SNS フィクション/ノンフィクション 野次馬 押し付け合い 絶対的正解 未解決事件 単ページ #フェイバリット #ノンフィクション #YouTube #本

こういうエントリタイトルにすると大いに誤解されると思うのですが、もちろん「正解を導かなきゃダメなケースや立場」はあると思うのですよ。でもそれ以外、そんな正解とか大事なことかね?と。

とくにSNSで交わされるような事象にかんしては、仮に政治的に重大なことであろうと、また著しく倫理に反することだろうと、SNSであーだこーだ言ってる人間は所詮は野次馬でしかないわけです。野次馬だから黙ってろって話じゃないんだけど、正解の押し付け合いってホント、ハタから見てると見苦しい。つか単純にカッコ悪いように思えてしまうわけで。

いやこれもね、アタシが勝手に「カッコ悪い」と思ってるだけの話であって、そうした議論=カッコ悪いってことじゃない。もしそれが正解だとしても押し付けた瞬間に限りなくカッコ悪いってことになるわけだから。
つかさ、もういつも思うんですよ。みんな熱くなってるけど正解なんてどうだっていいじゃん、と。んなもん世論なんて時代でどんどん変わるんだし、令和の時代から昭和以前を見たら狂ってるように見えて当たり前なんですよ。

だからって「令和が正解、昭和が間違い」、もしくはその逆「令和は間違い、昭和が正解」ってわけでもない。
こんなもんは全部切り取り方の問題であって、そりゃあ、とある事象のマイナス箇所だけを拡大して声高に叫んで、んでプラス箇所を黙殺すればたいていのことは愚策に見える。これは野球の采配みたいなもので「表には出せない事情があって、やむにやまれずこうした采配になった」なんて普通にあることだから。
この「表に出す出さない」もまた戦略であり、表に出した方がいい、というのもひとつの考え方であって、どちらが正解というわけでもないんです。

アタシは何度もしつこいですが「だてレビsideB」さんというYouTubeチャンネルの大ファンなのですが、ラスト、締めの言葉として毎回、キーフレームさんが「今回も結局、何もわかりませんでした!」と言うのが好きなんですよ。
あれだけ徹底的に資料を精査して未解決事件を紐解こうとされていても、言っても未解決事件なんですよ。犯人なんかわかるわけがないし、ましてや事件の全貌になど迫れるわけもない。
でもね、全貌に近づこうとすること自体が面白いわけで、アタシはね、この精神こそ野次馬に必要なことなんじゃないかと。

同じく未解決事件を取り扱ったノンフィクションの類いの書籍の感想でね、意外にも多いのが「最後、犯人がわからずモヤモヤする。犯人の名前を書いて欲しかった」という。
いやいやいや、これまた何度もしつこいけど、たしかにアタシもノンフィクションに真実性なんか求めてないと書いてきたけど、それはもう真実性云々という問題ですらない。つか完全な謎解きを求めてるのに未解決事件のノンフィクションなんか読むなよ。フィクションっつーかミステリだけ読んでおけよと思ってしまうわけで。

そんなことを言い出すのは一部のオカシイ人間だけだ、と切り捨てるのは簡単なんですが、やっぱね、絶対的正解は必ずある、そして一部の人間だけが絶対的正解を知ってる、みたいな陰謀論的な思考が根底にあるんじゃないかと。
アタシが政治の話が大嫌いなのは、◯◯党とか△△主義とか、国を運営するにはいろんな考え方があるんです。んでもって、どれが正解というわけでもない。どんな思想にもメリットデメリットが必ずある。つかデメリットのない<やり方>なんて存在しないと思ってる。

それをね、こっちのが良くね?とかいやいやこういうマイナスが出てくるよ、みたいな感じだったらいいんですが、さも自分の考えが絶対的正解みたいに押し付けてくるじゃないですか。
だからね、政治の話=主張の押し付け合いがデファクトスタンダードってイメージが強すぎて、政治の話=つまんなさそう、としか思えない。
これは何事もそうだけど、絶対的正解がある、と思ってる人の話はつまんないです。ファッションとかでもデザインとかでも、もしかしたらあからさまな間違いはあるかもしれないけど正解なんてないのに、んな正解のないこと押し付けてくる人間が闊歩してる界隈とか歩きたくないわ。

アタシにとっては「正解を知る」ことよりも「面白いかつまんないか」の方がはるかに重要なんでね、もちろんそれを誰かに押し付けたりする気は毛頭ないけど、そんなのもう、ほっといてちょーだい!







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