そういやさいきん三宅裕司を見ないな、とふと思ってね、いや別にファンでも何でもないんだけど、どうしているんだろ、と。
つまりエントリタイトルの「あんなタレント」というのは三宅裕司のことなんですが、どういう経緯で読んだか、まだインターネットもない時代なので何かの書籍か雑誌だったんだろうけど、とにかく日の出の勢いだった頃の松本人志がこんな発言をした、とされている。もちろんターゲットは三宅裕司です。
「華もないし毒もない。あんなタレントにだけはなりたくない」
ポイントはふたつ。まず「華もない」「毒もない」としながらも「芸もない」とは言ってないところ。もうひとつが扇動してるわけではなく「(自分自身=松本人志個人が)あんなタレントにだけはなりたくない」って言ってるだけで、一見これ以上はない罵倒に思えるけどよくよく精査すると別に悪口ではないんですよ。
というか、東京出身で典型的なクラスの人気者タイプ、幼少時から植木等や加山雄三に熱を上げ、コメディ要素の強い劇団(スーパー・エキセントリック・シアター、以下、SET)を主宰した三宅裕司と、尼崎出身でクラスの中心から一歩外の立場から笑いを掻っ攫っていた、そして吉本に入った松本人志では素養が違いすぎて、なりたくないもなにも、なろうとしてもなれるわけがないのです。
アタシの個人的三宅裕司体験は薄いと言わざるを得ません。
三宅裕司が司会の番組はいろいろ(「驚きももの木20世紀」とか)見てた記憶はあるけど、伊東四朗とやったコント番組「いい加減にします!」は半分くらいしか見てないはずです。
他は「ぼっ!ぼっ…ぼくらはテレビ探偵団 : 懐かしがってばかりはいられない」という書籍があり、当時三宅裕司が司会をしていた、TBSで放送されていた「テレビ探偵団」絡みの書籍、つまり昔のテレビ番組についての書籍と勘違いして買ったんだけど、内容の大半は三宅裕司による幼少期のテレビ体験を中心とした自伝で、要するに完全に期待外れの内容だったのですが、それでも読むには読んだ。ほとんど憶えてないけど。もう手元にもないし。
つまりアタシは三宅裕司のファンではなかった。「ヤングパラダイス」も聴いてないし(そもそも当時在住していた関西でネット受けされてたかも不明)、そういや主演映画シリーズの「サラリーマン専科」もビデオですら見たことがない。
当然SETの公演に行ったことはないんだけど、かなり記憶があやふやで申し訳ないけど、何か、SETがやったコントというかラジオ音源みたいなのは聴いたことがあって、例の「♪ ひとつ出たホイのよさホイのホ~イ!」って春歌をコーラスでマジメに歌う、みたいな内容だったと思う。
ただしこれも絶対にSETだったって証拠がないのですがね。
こうやって俯瞰で眺めれば、三宅裕司ってわりとアタシの<好み>に近いことをやってるんですよ。
そのわりに三宅裕司という<タレント>にはほぼほぼ興味が皆無だったし、じゃあ今から深堀りしようかという気にはならない。
本来であればアタシの好みからかなり遠いところにいるはずのダウンタウンはその存在に圧倒されてきたわけで、結局は<好み>に近いから好きになるかどうかは関係なくて、やってることの<好み>ではなく<存在>の方が好きになるかどうかが違ってくるんだろうな、と。
松本人志が言ったとされる「華もない」「毒もない」という言葉が三宅裕司に当てはまってるかどうかはわからない。むしろ毒気はかなり強かったような気もする。
ただし、ダウンタウンに比べるとエネルギーみたいなのが少ない。何というか、非常に器用で芸達者で万能なんだけど、圧倒されるようなことがない。
たぶんアタシの好きなコメディ/ヴォードヴィリアンって「放出されるエネルギーの量順」な気がするんですよ。
となったら植木等が一番なのは当然で、さらに言えば植木等を「器用な面白いタレント」の枠に閉じ込めず、とにかく植木等の持つエネルギーを放出させることに全力を注いだ青島幸男、萩原哲晶、古澤憲吾、渡辺晋に敬服してしまう。
前に書いたので簡単に済ますけど、ホント、大泉洋はエネルギーを放出させて受取手を圧倒させる可能性があったのにね。でもざっくり「三宅裕司方面」か「植木等方面」かで言えば三宅裕司方面に行っちゃったのがマジでもったいない。
というか三宅裕司自身だって周りの導き方次第で植木等方面に行けた可能性があったんじゃないか。そうであればさすがに植木等ほどの華は無理にしてもダウンタウンに近しい華は得られたような。
もっとそもそもの話、ダウンタウン自体、初期の頃は「ベラボウに上手いけど、とにかく地味」だったんだよね。
そう考えると松本人志的には「三宅裕司が良い悪いの話じゃない。ただあの方向性は非常に危険」と感じての発言ならば、まァ、いろいろと納得出来るわけで。