しつこいですが、最近のアタシにとって「だてレビsideB」はもはや生活の一部で、もう本当に面白い。何でこんな面白いんだろ。時間が食われて困ってるんですけど。
以前も書いたように「だてレビsideB」の未解決事件をテーマにした番組を中心に見ているんだけど、そういうのをずっと見てると「人を殺すっていったいどういう心境なんだろ」というのを考えてしまうのですよ。
もしですよ、怒りが頂点に達して、コイツだけは生かしておけない、みたいな心境になってね、刃物を振り上げて、それをそのまま相手に叩きつけるだけで命を奪える、くらいの状況になっても、たぶん、絶対に躊躇してしまうと思う。
それはけして「殺してしまったら刑務所に入らなきゃいけない、下手したら死刑になるかもしれない」みたいな<俗>な恐怖心ではないんだろうな、と。
人を殺す、殺したいという気持ちというのは量刑で抑えることは出来ない、というのがアタシの考え方です。
じゃあギリギリでどういう理由でそうした気持ちを踏み止まるのか、これは言葉では説明出来ない。モラルや倫理観とも違うし、遺族のことを考えてってのもやっぱ微妙に違うんです。
アタシの文章力というか<学>では到底説明出来ない。たぶん哲学が一番近い気かするけど、アタシは残念ながら哲学の知識がないので説明は不可能です。
だから発想を変える。理由はともかく「刃物が振り下ろせない」のがデフォだとするなら、じゃあ逆にどんな条件が整っていたら刃物を振り下ろせるのかを考えたい。
要するに「どういう考え方なら自分自身を説得出来るか、決断するまでに到れるか」を考えてみたいと。
んでエントリタイトルになるんですが、もう「これは<正義>の行動なんだ」と自分を言い聞かせるしかないと思うんですよ。それこそ仮面ライダーとかウルトラマンとかと一緒で、どれほどの残虐行為も<正義>の名の下であればある種の正当化が出来るのではないかと。
つまり<正義>は日常の自分であれば絶対に出来ないような残虐行為もを可能にする、いわば「無敵の免罪符」なんじゃないかとね。
自分が正しいと思った瞬間、人は残虐になれると言いますが、これは当たってるような気がする。つかそういうのがなければ、いくら戦争でも人を殺せないですよ。
ただし戦争の場合は自分で自分を洗脳する必要はない。洗脳は国がやってくれる。その洗脳に素直に従えばいいだけだからある意味ラクです。
しかし殺人となると誰も指示してくれない。自分自身で洗脳をやんなきゃいけない。となるともう、念仏のように「これは正義なんだこれは正義なんだこれは正義なんだ」と唱えるしかないような。
だてレビsideBさんでも繰り返し「強盗をやったから、ストーカー行為をやったから、レイプをしたから、そういう人間は人も殺すと考えるのは非常に危険。それらの犯罪と殺人は違う。大きな飛躍が必要」と語られていますが、サイコパスでもない人間が個人的な理由で人を殺すのはあまりにもハードルが高すぎる気がする。
実際問題、そういう状況になって、呪文のように「これは正義なんだこれは正義なんだ」って唱えたところで本当に殺人にまで到るのか、本当に「殺人」というハードルを飛び越えられるのか、これは「わからない」としか言えないのです。
そうこう考えると、もしかしたらアタシはメチャクチャ正義感が薄いのかもしれない。
著名人が何かやらかしても怒りの感情が湧くことなんかないし、せいぜい「あーあ、やっちゃったな。やらかさなければまだまだ稼げたのに」くらいしか思わない。間違っても「こんなヤツ絶対に許せない」みたいな感情になることはありません。
どころか殺人事件などでさえ「何でここまでに到っちゃったんだろ」と考えてしまって、やっぱ、どう考えても怒りの感情とは違う。先日書いたように例外はあるんだけど、あくまで例外レベルの頻度しかない。
もしアタシが正義感が強ければもっと怒りの多い人間になってたんだろうな、と思う。
つかもっとそもそもの話をすれば、アタシは自分が正しい人間だなんて小指の先ほども思っちゃいない。大雑把に「品行方正」か「クズ」かで分けるなら間違いなくクズに分類されると思っている。
自分のクズさを棚に上げて社会正義なんて聞いて呆れる。テメエ、人のこと言えるような人間か?と問われたら何も言い返せない。自分もクズなのに芸能人が不倫してたからって怒りが湧いてくるか?もしそうだとするならあまりにも支離滅裂すぎます。
アタシはアタマも悪いし人間のクズだけど、少なくとも支離滅裂、もしくはダブスタが過ぎる人間ではないと自負しています。
これは殺人者に限らず犯罪者全般に言えることだけど、ある種の一貫性のある犯罪者と支離滅裂な犯罪者に分かれる。支離滅裂には「あまりにも自分勝手な理屈が過ぎる」ってのも含まれるんだけど、そういう犯罪者には1ミリも同情心は生まれないし、被疑者の心理を考えようとも思わない。
一方、一貫性のある犯罪者には同情までは行かないけど、何となく行動原理は理解出来る。出来るんだけど、それでも殺人まで到っちゃったら、しかもサイコパスの要素が皆無の被疑者の場合、何でそんなことになっちゃったんだ、絶対に途中、どっかで違うルートに行けただろ、という疑念が湧いてしまうわけで。
そして何より、よく最後の最後、刃物を振り下ろすことが出来たな、と。いや凶器が刃物かどうかではなく。
そうこう思案してみると、若い頃にいろいろとチャレンジするってのは大事なのかもね。
オツムに自信があるならメチャクチャ難しい研究に取り組んでみるとか、肉体に自信があるなら、ま、いろいろあるでしょ。
そういう挫折が万能感をへし折ってくれる。何だよオレ、自分でアタマが良いと思ってたけどいくらでも上には上がいるじゃんってのを理解するのも大事なことかもしれません。
ま、それも結局はバランスの問題で、自己肯定感をむやみに下げるのも良くないわけで、やっぱ人生は難しいわ。