別に老害と呼ばれてもぜんぜん構わない
FirstUPDATE2024.5.30
@Scribble #Scribble2024 #老いらく 老害 ふしぎなメルモ 面倒 老害 楽しむ姿勢 同世代 単ページ @戦前

いやもう、どうやったって、つまりトシを取ってるって理由だけで十把一絡げで「老害!」なんて言いたがる人間がいるのはわかっているのですが、そういう人から「老害と呼ばれないためには」なんて方法はないからね。メルモちゃんから赤いキャンディでももらわない限りは。

いやね、アタシもたいがいいいトシですが、やっぱ年齢を重ねる毎に「面倒」という気持ちが日に日に大きくなってるな、と。
これ、結局は体力がなくなってるからなんでしょうが、体力ばかりじゃなくて変に経験だけは積んでるので「面倒を押し切って無理矢理やった後の自分の状態が見えるようになる」んですよ。つまりヘロヘロになるのがわかり切ってるから余計いろんなことが面倒に思える。
それは本当に良くないことなんだけど、なかなかねぇ、面倒を押し切るのは大変だわ。

しかし、もしですよ、面倒という気持ちを全部後ろに隠しちゃって、それこそ若い頃と同じように物事に取り組むことが出来たなら、冒頭に書いたような極端な人以外からは老害と思われないんじゃないか、という気もする。
たとえばです。思えばアタシの場合で言えば、かなり古いことが好きなので、結構年配の方々と接してきました。んで、そうした年配の方々にいろんな話を聞くのが本当に楽しい。

んで、これは無意識だけど、やっぱり年配への気配りもあってそういう方々とお話しさせていただく時って自分を出さないんです。
さらに、あらかじめ話していただける内容を噛み砕けるように予備知識を学んでいくことも珍しくない。でないと失礼なのはもちろん、どうしても浅い話に終始しちゃうから。つかそれはもったいないよね、という話で。
つまりね、それこそ同年代の、仲の良い友人なんかと喋ったりする時に比べたら相当「面倒という気持ちを押し殺している」んです。
いやこう書くと語弊があるな。とにかく面倒をやっとかないとむしろ楽しくなくなる、と言えばいいのか。

さあ、ここからが問題です。
じゃあ、そんな年配の人にやるような気配りという<面倒>を若年者にたいしてもやってるか、というと、やってない人の方が多いような気がする。
やっぱ、どうしても、こっちが年長者なんだから若年者であるそっちが合わせろよ、みたいな気持ちが強いんじゃないかと。いや仮に話を合わせようとしても、合わせて「やってる」って気持ちでやってるんじゃないの?とね。
それってもう、人間としてメチャクチャ失礼なことなんですよ。「年長者だから」「上司だから」向こうがこっちに合わせるのが当然で、しかもこちらとしても歩み寄ってるのに、何なんだお前らは、みたいな。

これ、アタシから言わせればどちらも失礼なんです。
会話っつーか「掛け合い」ってのは「相手の言う事を可能な限り理解しようとして、可能な限り楽しもうとする」ものだと思っている。
たしかに若年者にも合わせようという意識が希薄かもしれないけど、それはおそらく社会的な経験の足りなさから「合わせることの重要性」をわかってないだけって可能性が高い。
となると年長者が手本を示さなきゃいけない。ほら、会話ってのはこうやって楽しむんだよ、という。
なのに年長者ってだけでハナから相手を見下して、話が上手く通じないことを嘆いて、世代間の壁なんて言っちゃう。これじゃあ、そりゃ老害呼ばわりされるわ。

もうこれは絶対の自信を持って言えるけど、アタシたち世代の若い頃と今の若年者なんて、ほぼ、微粒子レベルでしか変わらないです。んなもんたかが30年や40年で人間が変われるわけがない。
いや、それどころか、戦前の作品をいろいろ見ても、やっぱ若年者なんていつの時代も同じです。
つまりね、この程度であれば「合わせようと本気で思うのなら比較的簡単に合わせられる」んですよ。難易度なんてぜんぜん高くないし、ちゃんと若年者の話を面白がる姿勢さえあれば、もうそれだけでコミュニケーションが成立する。

だからね、変な話、若年者と話が合わないなぁ、とか思ったことがない。あ、向こうは知らないよ。あくまでこちらの感覚としてね。
当然、考え方の特徴はあるし、こっちが知らないことを向こうは知ってるなんてケースはいっぱいあるけど、それをどれだけ面白がれるか、もうそこなんです。
しつこく書いてるように、アタシなんかむしろ同年代と喋るのが一番つまらない。うんと年長者やうんと若年者と喋る方が「へぇ!」と思うことが多くて本当に楽しいんですよ。

前も書いたように、面白い、という気持ちだけが<面倒>という気持ちを押し退けられるわけで、同年代と喋ると<ラク>かもしれないけど面白くないので<面倒>が強くなる。
でも違う世代と喋ると面白さが<面倒>に勝つ。だからなるべく違う世代と喋っていたいのです。
もし、アタシのような考えで、それでも老害呼ばわりされるなら、もうそれはしょうがないわ。これだけ「聞く姿勢(聞いて<やろう>ではない)」を持って、それでも、となったら、もうソイツが人間としてバイアスまみれのつまらない人間でしかない、ということで気持ちの整理をさせてもらう。

違う知識や考え方があるから面白い、こんなの当たり前というか「世紀の面倒くさがり」であるアタシでさえそう思うのに、ねぇ。







Copyright © 2003 yabunira. All rights reserved.