クリエイティビティと商売ッ気
FirstUPDATE2024.5.18
@Classic #クリエイティブ #デザイン #ネガティブ #フィクション 文系理系 芸術系 天才肌なのに凡人 石川啄木 秋元康 クズ ビジネスセンス カネのニオイ アート 理屈と屁理屈 頑固さ 単ページ

 ま、本当ならば、クリエイティビティ、と来たのならば「商売ッ気」ではなく「ビジネスセンス」とした方がキレイなんだけどね、あえてここは商売ッ気にしようと。

 さて、ネットでは意味のわからない「理系による文系叩き」が一時期盛んだったけど、反対、つまり文系の理系叩きは見たことがない。
 何をそんなに目の敵にする必要があるのかさっぱりわからないんだけど、そもそもアタシなんか理系か文系かという分け方自体がよくわからないのです。
 アタシ?アタシはね、どっちでもないと思っているのです。ってもこれは大学の学部とかは関係ない。じゃあ大学に行けなかった(経済的事情を含めて)人はどうなるんだ、とかいろいろ言えるのでその辺はどうでもいいんですよ。
 というかアタシからすれば、理系も文系も、どちらもかなり健全な脳を持った、ね、やるやらない、性格的なことを抜きにするなら、どっちもフツー寄りだと思っているんで。

 理系文系の対立よりも、もっと根深い、絶対に理解し合えないと思っているのが、文字数を合わせるなら「芸系」とでも言うのか。ま、芸術系です。
 正直、理系文系と芸系の決定的な<溝の深さ>は理系と文系どころの差ではない。理系と文系なんかまだ罵倒し合えるくらいには相互理解は出来てるんだけど、これが芸系になると「関わろうと思わないくらい、ナニを考えてるかワカラナイ」って感じだと思う。お互いに。
 つまり「違いすぎて罵倒に相当する言葉さえ浮かばない」レベルだと思うんですよね。

 何が言いたいのかと言えば、アタシは芸系だってことです。
 こんな駄文を好き好んで書いてるくらいだから文系と思われるのはわかるし、プログラミングとか科学的な発展みたいな理系が好きそうな話も大好きなのですが、それでも、やっぱり、アタシはどちらでもない。
 はっきり言えば、芸系ってだけで悲劇なのですよ。
 別に悲劇のヒロインぶるわけじゃないけど、アタシだって本当は理系か文系に生まれたかった。誰が芸系なんかになりたいんだよ、と。
 たしかにね、文化の一翼を担っているのは芸系は芸系なんです。でもそれは一部の天才だけ。つまり理系文系で言えばノーベル賞がもらえるレベルの人たちです。
 ただし、理系や文系の場合、天才ではなくても普通に仕事は出来る。最低限「社会の歯車」になるだけの能力は有していると見做していい。
 ところが「天才ではない芸系」、もっと言えば「天才肌なのに凡才」なんて、社会的にはゴミでしかない。はっきり言えばチ◯カスです。

 それでもね、アタシの場合は時代的に恵まれている方だと思うのですよ。
 もし、アタシがあと15年ほど早く生まれていたら、冗談抜きにゴミ中のゴミ、チン◯ス中のチンカ◯だったと思う。
 今の時代はね、パソコンなんて便利なものがあるからアタシレベルの超絶不器用人間でもデザインなんてことが出来る。しかしパソコンもない時代にグラフィックデザイン、図案家ですね、をやれなんて言われても絶対に不可能です。
 もちろん器用か不器用かで言えば、今の時代であろうが昔であろうが器用に越したことはない。不器用ってだけで制限が大きすぎる。
 <天才ではない><超絶不器用>、ついでに言えば<自堕落>な人間に芸術家の魂が宿るなんて悲劇以外の何物でもない。こういう辛さは理系や文系の人には理解出来ないはずです。

 昨今、石川啄木などの昔の文豪のクズっぷりをあげつらうのが流行っていますが、彼らは<文豪>ではあるけど<文系>ではないんですよ。そこを履き違えちゃいけない。

 彼らは間違いなく<芸系>です。自己表現手段として文章をしたためるってのを選んだだけの話です。
 芸系なんてね、多少の個人差はあれ、みんな石川啄木みたいなもんなんですよ。つまり「クズ中のクズ」か「比較的マシなクズ」かの違いでしかない。これは時代は関係ない。昔であろうが今であろうが芸系みな社会的クズです。
 そもそも何で芸系が社会的クズなのかと言うと、ビジネス感覚が根本的に欠如しているのです。
 天才的ではないけど、それなりに優れたモノをこしらえたとしても、それをビジネスに結びつける才能がない。っても芸系=社会的な常識がないってことでもないんですよ。
 ビジネスマナーも理解しているし、とくに対人が苦手だということがなかったとしても、カネを生むってのがどういうことなのかが感覚でわかってないから一切ビジネスに直結しないのです。

 こういう話になると、もっとも微妙なケースが秋元康でしょう。

 この人のことを「クリエイティビティな才能もある商売人」という評価をする人がいますが、アタシも、理系文系かそれとも<芸系>かで言えば、やっぱり芸系ではないと思う。
 秋元康は自身でも「貴方はピカソか広告代理店マンか」という質問に

ピカソになりたい広告代理店マンかな。でも「なりたい」と思った時点でダメなんだよ



 と答えていますが、まァ、個人的な感想を言えば「非常に優秀なビジネスマン」としての鮮やかな答えで、正直根っからの芸系にはこういう答えは絶対出てこないと思う。

 もう少し秋元康のことを続けますが、秋元康の場合、<芸系>ではないだけで、クリエイティブな能力は感じる。つまりね、クリエイティブ能力の有無と<芸系>か否か、はさほど関係がないんです。
 何故ならクリエイティブな能力はある程度、後天的に得ることが可能だからで、それが発想力だったとしても修練で「発想力を得る」テクニックを身につけることが可能か不可能かで言えば、アタシは可能だと思う。
 しかし<芸術>を後天的に学ぶというのはほとんど不可能に近い。つまり芸術は学校で勉強することではないのです。

 日本には国公立私立問わず、数多の◯◯芸術大学や◯◯美術大学がありますが、ま、美術大学、つまり美大は百歩譲って構わないとして、本当は全部の芸大は「◯◯クリエイティブ大学」とするべきなんですよ。
 こうやって書いたら「アーテイストにもテクニックはいるし、優秀なアーテイストはみな優れたテクニックを有している。それを学校で学ぶことの何が悪い」と言われるかもしれませんが、あくまで個人的には「独学で得ていないテクニックなどいくらあっても、それはアーテイストではない」と考えています。
 もちろんこれは暴論なのですが、さらに暴論を続けるなら、アーテイストなんてなりたくてなるもんじゃない。「ああもう、アーテイストくらいしかなれるものがない」と観念してなるものだと思っているのです。
 つまりアーテイストなんて目指してる時点でその人はアーテイストになんかなれっこないと。

 その点、クリエイターは「目指してなれるもの」なんです。
 アタシはクリエイターを生業としてきましたし、何の偶然かアーテイストの<真似事>もさせてもらう機会を得たりもした。
 でもアタシはアーテイストとしては所詮は真似事にすぎなかった。ってもそれはテクニックの問題ではない。いやテクニックが及んでなかったのも事実だけど決定的な理由ではない。
 先ほどから書いてように、アタシには芸術家の魂が宿っています。が、芸術家の魂が宿ってようがなんだろうが、それでもアーテイストにはなれなかったし、出来ればなりたい、と思った時点で先述の通り、そして図らずも秋元康も言っている通り、もうアーテイスト失格です。
 でもクリエイターにはなれた。アタシの場合はグラフィックデザインについてはソフトウェアの使い方を含めてすべて独学で覚えたのでややこしいんだけど、クリエイターというのは才能なんか1ミリも関係ない。しっかり修練を積めばよほど向いてない人以外は誰でもなれる。それこそ本質が文系の人も理系の人もクリエイターになることは可能です。
 だからこそ、クリエイターこそ大学なり専門学校なりで学ぶというのは有効な手段なんです。

 不幸にもアタシは本質が芸系なので、商売ッ気がまるでない。でも「クリエイターであり、商売も上手い」人はアタシの周りだけでもそれなりにいます。
 彼らはセンスも良ければテクニックもある。しかも「カネのニオイにも敏感」なので己の能力を生活の糧にすることが出来るのです。
 そして共通して言えるのは「意味不明な頑固さがない」というところで、ま、頑固な人もいるけど「芸系だけが持つ意味不明な頑固さ」ではないんです。つまり理屈がしっかりしている。
 言い方を変えるなら、芸系の人間に理屈なんかない。いやね、アタシのように一見理屈っぽいことを書いてる人間でも「それってこの話と関係ある?」みたいな、本筋とは関係ない得手勝手な理屈を捏ねてるだけで、いわゆる「真っ当な」理屈ではない=ただの屁理屈なんです。
 つか本当の芸術家肌の人って、理屈としてはあきらかに破綻してるんだけど、テクニックで破綻してないように見せかけているだけです。つかさ、とくに物語の創造なんて理屈最優先では出来ないですよ。フィクションである限り矛盾はなくせないし、矛盾が出るほどストーリーに飛躍があるから面白いものをこしらえることが出来るんだから。

 とまあ、ここまでこうやって書いてきましたが、このエントリを読むだけでもあきらかに構成が破綻してるもんね。もちろんアタシなりに破綻しないように必死で気を配ってるわけで、もし仮に、この駄文を読んで「言うほど理屈が破綻してるか?」と思われたとするなら、それは貴方の読解力をアタシのテクニックが上回ったからだけの話で、読む人が読めば「ただの屁理屈」でしかないんだから。

まず裏話的なことを書けば、本当はさいとう・たかをについて途中まで書いてたんだけど、話がとっ散らかりすぎてオチまで辿り着かなかったので、そこはバッサリカットしました。たださいとう・たかをの話は面白いので、またいずれどこかで。
それはともかくアタシはね、結構、相手をケムに巻くための理屈は得意な方です。
何で得意かと言うと、振り返られることがないから。もしこれが文章だったり録音されてたりしたら一発で理屈の破綻を見破られるんだけど、たかが会話では録音されることはないし、その場の勢いで、何となく押し切ってしまえるというか。
つかね、理屈の弱さを押し切るのって<勢い>しかないんです。逆に言えば勢いさえあればわりとピンチを切り抜けられる。
って、勢いなんてね、老いてきたら失くなるもんなんだからさ、つまり今後、いよいよピンチになるのか。
あー、もう、芸系なんかに生まれるんじゃなかった!




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