偶然なのかもしれないけど
FirstUPDATE2024.4.11
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1960年代後半から1970年代前半、要するに昭和40年代につくられた邦画を見てるとね、唐突に環境問題をブッ込んでくる作品が結構あったりします。

♪ 東京はァ銀座ァに丸のォ内
  スモォッグ ヘドロォに排気ィガァス~

これは「ツンツン節だよ全員集合!!」の中で歌われた「ドリフのツンツン節」の変詞ですが、意外にも「環境問題ブッ込み」は喜劇の方が顕著で「クレージーの怪盗ジバコ」や「日本一のショック男」なんかでも環境問題っつーか公害問題が出てくる。
正直、喜劇でこういうことをされても醒めるだけで、そうか、クリーンな地球を守らなきゃとはならないと思うんですがね。

昭和40年代と言えば公害による被害が<公>になった時期で、あ、あくまで<公>ですからね。実際にはもっと前からあったんだから。
このままでは健康被害が広がってとんでもない世の中になる。そのためにはひとりひとりの意識が大切だ、みたいなことが高らかに謳われだしたんです。
たぶんこれが日本で初めての社会現象にまでなった環境問題ですが、次が1990年頃。「ドラえもん」なんかでもやたら環境問題をテーマにした作品や企画としてソラえもん(ソーラー電源で動くクルマ)がフィーチャーされていました。
さらに次が2000年代の後半。割り箸ではなく「マイ箸」を持とう、なんて言われてた時期で、2008年に放送された「Around40~注文の多いオンナたち~」で藤木直人が「ケチじゃない、エコです」と盛んに言ってたのを思い出す。
んで、昨今のSDGsです。

つまりね、環境問題って本当に、定期的に問題提起されてるってのがはっきりわかる。
それは別に良いんですよ。環境問題というのは間違いなく大切なことだから。
ただ、もう、偶然なのか何なのか、とにかく「経済成長が一段落した段になると必ず環境問題が提起される」んです。
これ、因果関係というか、どちらが先かはわからない。経済成長が一段落した<から>環境問題が提起されたのか、それとも環境問題が提起されることで経済成長がストップしてしまったのか。

間違いなく言えるのは、環境問題が社会現象になってる時期は「景気が急降下している時」なんです。
しかしね、正直、こんな偶然あるのか、と思ってしまう。たまたまにしてはあまりにもタイミングが良すぎるし、もっと言えば「経済の停滞のタイミングを狙って環境問題を仕掛けてる」とも思えない。

何か、完全に陰謀論めいたことになってしまうんだけど、もうひとつ、経済成長の停滞、そして環境問題が浮上するのと似たタイミングで「女性の人権」ということも浮上するのです。
最初に書いた「ツンツン節だよ全員集合!!」や「日本一のショック男」が公開された昭和40年代後半、と言えば「ウーマンリブ」という言葉が持て囃された時代でもあり、ちょうどこの頃放送されていた「おれは男だ!」というドラマでは間違いなくウーマンリブがテーマのひとつになっていた。

もう一度言います。環境問題を考える、女性の人権を正当なものにする、んでこれらに付随する「子どもたちの未来のために」というのもきわめて正しいことです。
しかしこれは、正しいが故に「表立って誰も非難出来ない」とも言え、心の中では「なんか変だな」と思っても誰も「ウソつけ。テメエの私利私欲のためだろ」とは言えない。
いわば、これらは「無敵の論理」とも言えるわけで、経済を後退させたい時に「うってつけ」ではないのか・・・。

ここまで書いてきたことが陰謀論なのかどうなのか、それはね、わりとどうでもいいことなんですよ。
ただもう、これだけ「同じような<流れ>」を見てくると、そうした論調が高まってくると条件反射で「ああ、景気が悪くなる兆候だな」と思ってしまう。
景気が悪くなると「回らなくなる」業界なんて山のようにある。かくいうアタシが従事するシゴトもそんな感じです。
となるとですよ、もう、これまた条件反射的に環境問題などに「薄っすらとした嫌悪感」が生まれる。仮にそれが言い掛かりだとしても、ここまであまりにもタイミング良くそうなってきたっていう歴史的事実があるから条件反射までは変えられない。

誰がなんと言おうと一番大切なのは「己の生活」で、食うや食わずの状況で環境問題もクソもない。実際3日間飲まず食わずの状況で環境問題と目の前のパンひとつ、どっちを取りますかって話です。
そこまで逼迫してないんだろ?だったら己の生活よりも環境問題を優先しろ、なんてのも典型的な<まやかし>で、アタシから言わせれば冗談じゃない。つかそれこそ子どもたちの<未来>よりも子どもたちの<今>のが絶対に大事でしょうが。

だからと言って環境問題クソ喰らえって話じゃありません。
ただその基準は自分で考える。世間的にどうだとかどうだっていい。自分で考えて、それはいけないこと、と思えばやらない。それだけです。
というかさ、こうやってちゃんと歴史を見れば、陰謀論かはともかく、確実なのな「所詮はただの流行」なんですよ。つまり別に価値観が変わったわけじゃない。マイ箸だって一時期は持て囃されたけど、今ではむしろ環境に優しくないんじゃないかと言われてるし、昨今の紙ストローだって「本当に環境を考えるならマイナスの方が大きい」と言われ出している。

どうせまた変わるんでしょ?そんなのに振り回されるなんて真っ平御免だわ。







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