えと、阪神は9連敗ですか。ま、オープン戦なんでね、というか日本一の次のシーズンでオープン戦絶好調の方が逆にコワいので、これでいいっちゃいいわけで。
それより、先週も書いたけど、やっぱ小幡だよな。
何でああ、ケアレスミスがなくならないんだろ。関西弁で言うところの「緊張しぃ」なのかね。顔だけ見てたらそんなプレッシャーに弱そうなタイプには見えないんだけどさ。
アタシの個人的な考えですが、そりゃあね、西武時代のナカジレベルで守備範囲が狭ければさすがにアレだけど、基本的にショートというポジションは守備範囲は並でいいと思っている。
つかショートのお値打ちって「堅実さ」と「ゲッツーが取れるか否か」だと思ってて、木浪はね、両方あるんですよ。
つかむしろセカンドの方が守備範囲が欲しい。となると現状のセカンド中野、ショート木浪ってアタシの中では十分で、いくら守備範囲が広くてもポロポロやる小幡ではあまりにも心持たない、ということになるか。
このままじゃ小幡もちょっとヤバいね。何か根本的に考え直す時期なのかもね。
さて、表題の話をしたいのですが。
(前略)やっぱり守りのチームを作らなあかんいうことやろな。そういうことやろ、結局は。逆転されても、また8回に逆転したらええってチームはあんま勝てんと思うよ、はっきり言うて。強いチームになってくる方が面白くないチームになるよな、見てて。打つチームの方が面白いもんな。何点取られても取り返すような。(後略)
これは3月1日の記事からの岡田彰布の一問一答ですが、注目すべきは『強いチームになってくる方が面白くないチームになるよな、見てて』という箇所です。
強くなればなるほど試合としては面白くなくなる、つまりは「選手がやるべきことをやって、結果としては淡々と勝つだけ」みたいになると。
もうこれは「強いと言われるチーム」がずっと言われてきたことで、V9時代の巨人とか1980年代後半から1990年代前半の西武とか、強すぎて魅力がない、と散々言われた。
もちろんこの場合の「強いチーム」というのは永続的に、とまでは言わないにしても、10年ちかく強さが持続出来てるチームのことで、岡田が言うように「強力打線を擁して」とか「逆転勝ちが多い」みたいなチームってチーム力の持続がメチャクチャ難しいんです。つかそれこそ1985年のダイナマイト打線擁する阪神とか2000年のいてまえ打線の近鉄とか、実際、あっという間に崩壊したわけで。
古い話で恐縮ですが、1975年、広島東洋カープはルーツ監督がシーズン開始直後に退任し、後任に古葉竹識が就任しました。
この話、ソースがわからないというか、もういつ読んだのかすら憶えてないんだけど、監督に就任した古葉竹識がこんなことを発言していた記憶がある。あ、ちなみに「20勝出来ればトップ級のエース、15勝前後なら並みのエース、10勝前後でギリギリローテーションクラス」というような時代です。
「20勝投手を作るのは難しい。しかし10勝クラスの投手なら作れる。ならばなるべく多くの10勝クラスの投手を作れば、山本浩二と衣笠祥雄が元気なうちに優勝出来る」
これを現代に当てはめるなら「全部をマイナス5勝」すればいい。つまり15勝投手を作るのは難しいけど、5勝投手なら作ることが出来る。で、それをなるべく数多く作ればいい、と。
打線はとにかく軸になる人に頑張ってもらって、後は堅実な守備と<つなぎ>、つまり自己犠牲に徹する。
実際、これで広島はこの年優勝し、ま、この年の優勝は半分フロックだったけど、古葉竹識の構想通りになった1979年と1980年に連覇しています。
今、これをやろうとしているのが巨人の新監督に就任した阿部慎之助です。
さすがに時代が違うので先発だけでなく中継ぎも含むんだけど、とにかく「とりあえず使える<タマ>」をかき集めた。つまりは物量勝負です。
当然、いくら<タマ>がいてもしょうがないんだけど、そうした<タマ>には徹底的に自己犠牲精神を強いる。要するに「チームのコマに徹してくれ」ということです。
これね、非常に評判が悪い。とくに<なんJ>(今は<なんG>だけど)あたりでは「昭和の考え方」とか散々言われてる。
アタシもね、さすがに「3番4番が出塁して、ノーアウト1、2塁になった時のことを想定して5番にはバントが出来る選手を置きたい」というのはどうかしてるとは思う。
と言ってもバントが云々ではなく「3番から攻撃が始まって」「3番4番ともに出塁」「しかもともに単打、もしくは四球」なんてレアケースで、こんなレアケースを想定して5番に打力のない選手を置くのはやっぱおかしい。
でもね、少なくとも自己犠牲にかんしてはそんなに悪くないと思っているのです。
もう一度言いますが、このストーブリーグに「とりあえず<タマ>になりそうな選手」をかき集めた。トレード、現役ドラフト、戦力外選手の獲得、そしてドラフトでも「即戦力になりそうな」タイプを積極的に指名していった。
正直、彼らはFAで獲得したわけではない。つまり主力級の働きなんてハナから無理で、ま、良くて「ギリギリ一軍戦力になりそう」レベルです。
あえて逆の言い方をしますが、こうした立場の選手が自己犠牲も何もなく、自分勝手なプレーをしてたらどうなの?という話なのです。
というか野球はチームスポーツであり、個人競技ではない。チームとして優勝することが何より求められている。
いやね、主力級の選手にだって自己犠牲の精神は必要で、それは試合中の話ではなく、若手が落ち込んでいたらメシを食いに誘ったりするのも立派な自己犠牲です。
これまた、もし「は?プロ野球選手なんて個人事業主だろ。何で自分の時間を潰してまで若手にアドバイスしたりメシに連れてったりしなきゃなんないの?」なんて選手がいたとして、それでも弁護出来るのか、と。
あくまで個人的意見ですが、<なんG>にいるような人たちは「自分の時間を潰される」ことへの恐怖心が強すぎる気がする。
んなもん、何らかの組織に属してる限りは、多かれ少なかれ「自分の時間を潰してでも組織に貢献する」という意識が必要で、これは個人を尊重する意識が強い諸外国でも同じです。
おそらく阿部慎之助は「今の巨人には自己犠牲の精神が<極端>に欠けている」と思ったからこそこうした方針を打ち出したんだろうし、新しいことを浸透させるためにはこれくらいやらないとダメな気がする。
一方です。自己犠牲精神を「自己犠牲とも思わずに<やるべきこと>レベルで済ませて当たり前のようにチームプレーに徹している」のが今の阪神です。
岡田は繰り返し「普通にやったらええんよ」と言ってますが、練習で出来ないことを試合でやれなんて言わない。一番重要なのは練習と同じことを試合で出来るか、それが大事なんだ、という話です。
つまり「自己犠牲」という言葉があんまり良くないだけで、実際には「チームとして勝つためには、まず練習で普通レベルを上げる。そしてそれを<そのまま>試合で能力を出す」というのはイコール自己犠牲なんですよ。
たしかに岡田が言うように、これでは試合内容が面白くなくなる。でも「面白い試合をしたいのか」「それとも勝ちたいのか」ってのは<プロ>野球としての、というか「興行としてのスポーツ」の永遠の課題ですよね。
とくに巨人や阪神のようなチームでは。