何かiPhoneのとあるアプリをディスった(?)ポストが軽くバズったみたいなんですがね。
これ↑、一定以上の年齢の方には「ああ、こんなアプリ、あったなぁ。たしかNHKの時報の映像をまんま模してるんだよね。懐かしいなぁ」ってなったはずなんですよ。
つまりこのアプリについて価値がわかる、いやわかりやすいのは二重の記憶が必要になる。
ひとつは「かつてこの映像がNHKの時報で使われていた」という記憶、そして「iPhone黎明期に「あのNHKが」時報をまんま模したアプリ出してきた」という記憶です。
この二重の記憶がなければ、そりゃあ、ちょっと信じられないくらい「ただ時計が表示されるだけの舐めたアプリ」に思えるわな、と。
ただね、だったとしても、やっぱりこのポストにはっつーかこのポス主には共感出来ないんですよ。
たぶんこのポス主は二重の記憶どころかiPhone黎明期のことも知らない若い人だろうし、知らないのは知らないで別に何の問題もない。
ただここからがわからない。「知らない」のはいいとして、何で「令和の世にNHKはこんな時間だけが表示されるアプリを出してるんだ」と疑問に思わんのかね、と。
疑問さえ持ちゃね、今の時代、検索すればこのアプリの初版が2009年にリリースされたことくらいは一発でわかる。しかもさらにちょっと調べたら「昔の時報を模したもの」なんだから余計な機能が必要ないアプリだってのもわかるわけです。
これは知的好奇心なんて立派なモンじゃない。ただの好奇心です。しかし、まだ若いのに、この程度の好奇心もないなんてオッサンからしたらフシギでしょうがない。
何か疑問に思うことがあってね、それをダメとか馬鹿とかで片付けるってメチャクチャつまんないんですよ。つかどれほどくだらないことでも「何でこんなことになったの?」という疑問からいろいろ調べていったら、まさかの事実があきらかになるってのが一番面白いのに。
つかね、最終的にこれは「面白いって何なんだろう」という話なんですよ。
すんげえ浅いところで切り捨ててね、もちろんそれはそれでいいんだけど、何でもかんでも浅いところで切り捨ててたら「レベルの低いモノを馬鹿にして面白がる」それだけになってしまう。
世の中にはいろんな面白いの種類がある。感情だけで言ってもガハハと笑える面白さもあれば、恐怖心を掻き立てられる面白さもある。事実はこうだったのか!と知ることで得られる面白さもあるし、何気ない雑談が楽しくってしょうがない、みたいなしみじみした面白さもあるわけで、それがたったひとつしか面白さがないなんて、何ともったいないことよ、と。
そういや勝俣州和が「今の人は会話を楽しまないで、すぐにツッコんじゃうでしょ?あれがもったいない」みたいな話をしてましたが、話を極限まで広げることで出てくる可笑しみのあるエンターテイメントって、やっぱ減ってるような気がする。
これを言っちゃうとアレだけど、先のNHK時計アプリのポストって「毎回オチが同じの4コマ漫画」みたいなんですよ。「かりあげクン」で言えば課長が「・・・・・」で終わってるようなもんで、いやいや植田まさしだってそんなワンパターンじゃないよ。
4コマ漫画だってもっとバリエーションがあるし、もう少し長いストーリー物ならいろんな面白さの種類があるのは当然です。
つまりね、エントリタイトルじゃないけど、これってもはや老害とか「物事の本質が見れないガキの意見」でもなくて、ただただ、オモロない奴なんです。
これはイジメと非常に似ていて、これも以前書いたけど、イジメの首謀者ってとにかくオモロないんですよ。もうとにかく「誰かを馬鹿にして笑い者にする」、もうそれしかバリエーションがない。つか笑いのセンスのない人間って本当に「馬鹿にする」こと以外に面白いと思うことがないのか、と思うほどワンパターンなんです。
というかさ、今の若い人でも、笑いのっていうかエンターテイメントのセンスが普通レベルである人なんかいっぱいいるわけで、つかここまでセンスのない人間のがあきらかにマイノリティなのに、ごく少数のセンスのない人間のせいで、またぞろ「最近の若者は」と言われるんだから、そりゃあ、たまったもんじゃないと思うわ。
ま、別にいいけどね。たぶんその人たちの人生ってメチャつまんないと思うから。