正直、メチャクチャ関心があるわけじゃないんだけど、後々自分で読み返した時に触れておいた方がオモロイかね、と。
さて、「セクシー田中さん」の原作者が急逝し(自殺を発表済み)、以降、あきらかに収拾がつかなくなってきてますが、これね、もう、誰が悪いかと言えば、んなもんプロデューサーに決まってるのですよ。つか全体を統括していたであろうチーフプロデューサーが文句なしに悪い。そりゃ脚本家がSNSで余計なことを書かなきゃこんなことにはならなかったって言えばそうなんだけど、それを換算したところで、それでも一番の問題はチーフプロデューサーです。
というのは大前提の話でして、ま、アタシとしてはもっとそもそもの話をしたい。つまり漫画なり小説をアニメーションや実写に置き換えることは基本的には「ほとんど無理」だと言うことをね。
これね、メチャクチャわかりやすく言うならゲーム化の話でもいい。
漫画やアニメなど、どれだけあるのかわからないレベルで数々の作品がゲーム化されましたが、成功したものなんて「ほんのひと握り以下」です。あ、この場合の成功とは「内容的にも」そして「商売的にも」、つまり両方あって初めて成功ということで。
近年では「ホグワーツレガシー」は、ま、成功と言えるけど、他は?ファミコン時代の「スウィートホーム」とか、あと何かあったっけ?
ではその逆、つまり元がゲーム作品をアニメ化実写化で成功とか「バイオハザード」と「トゥームレイダー」と「妖怪ウォッチ」と、うーん、後はもう、死屍累々のイメージしかないわ。
これは別に「ゲームだから」ってのは関係ないんですよ。
どのメディアからどのメディアであっても、違うメディアに置き換えるというのは本当に難しい。んなもん、こんな難しいことをするくらいなら最初から「メディアに合った」作品を創作する方がはるかに簡単です。
なのに何故、メディアの置き換えがなくならないのか。もう単純な話、下駄が欲しいだけです。制作者側が「その作品が好きで好きで、自分が関わってるメディアで何とか<形>にしたい」ということも皆無ではないけど、きわめてレアケースです。
アタシはね、ずいぶん山崎貴のことをあげつらってきましたが、山崎貴に限らずメディアの置き換えをする側に「元の作品への愛情なんかまったくない」と考える方が賢明で、そういう意味では山崎貴は特殊ではない。所詮は「ただの仕事」としてやってるだけに過ぎないし、よしんば中に作品のファンがいてもマニアックな小ネタを放り込んで「どうだ!オレはこれだけ詳しいんだぞ!」と自己顕示欲を示してるケースばっかりです。
これで「設定等が変わっているのはやむなしとして、作品の根幹がわかってる見事なアダプテーション」なんて出来るわけがないのです。
アタシとしては「作品は自分の子供」と考えるような作者は、何をどう言われたところで、どんなことがあったとしても「メディアの置き換え」は拒絶するべきだと思う。
これを書くと叩かれちゃうのはわかっているけど、今回の漫画の原作者や、あと「おせん」や「いいひと。」の原作者の人も自作にたいしてセンシティブすぎた。と同時にロマンチックすぎたのかもしれない。
たしかにね、漫画が原作の実写化でも名作はあるんですよ。でもそれは先ほども書いた通り「ほんのひと握り以下」でしかなく、逆の言い方をしたら「99%失敗してる」ということになる。
1%しか成功の可能性がないのに、ドラマにかんして本来まったくの門外漢である漫画家本人が1%の可能性を上げていくなんてほぼ不可能で、いったい何人「自分は権力を持ったテレビ局のような大企業とでも五分に渡り合えるよ」なんて漫画家がいるのか。
そんなネゴシエーションに長けた人なら漫画家になってないでしょうよ。マジで。
そう考えるなら「アニメ化にしろ実写化にしろ所詮は二次創作。どう変えようが一向に構わないので好きにイジっちゃってください」というスタンスであれば、まァまだいいのかもしれない。
にしてもやっぱ、一個だけは条件をつけたいはずで「内容にかんしては一切口出ししないけど、とにかくヒットさせてくれ。頼むから大爆死のようなことだけは止めてくれ」と思ってるはずです。
どうせ自分(漫画家本人)への実入りなんてほとんどないんだから内容がどうかは関係ないし、そこそこヒットしてくれたら十分。ただし大爆死になると漫画へのネガティブな印象が生まれるので、そこは避けて欲しい、と。
さてさて、ここからはもっと具体的な話をしていきます。
チーフプロデューサーこそ違うとは言え、同じく漫画作品が原作で、制作会社も同じAX-ON(日テレアックスオン。日本テレビホールディングスの連結子会社)のドラマが2021年に放送されたことがあります。
タイトルは「ハコヅメ~たたかう!交番女子~」(原作のタイトルは「ハコヅメ~交番女子の逆襲~」)。こちらはかなり評判が良く、1話を除いて二桁の視聴率を記録しましたし、この年の年末には一挙放送もされている。
このドラマはアタシも見てましたが、内容もしっかりしており、戸田恵梨香と永野芽郁のコンビも良かった。あとムロツヨシを上手い使い方をしていたのが印象深い。
作者は泰三子という人ですが、この人、相当変わった経歴をお持ちで、警察官として10年勤務した後、見様見真似で漫画を描き始めたらしい。
Wikipediaによると
警察官をやめて漫画家になった動機は、「漫画家になりたいから」ではなく「警察のことを知ってほしいから」だという。警察官時代は、交番勤務や防犯の広報などをしていたという。
だから警察内部の描き方にたいしては相当こだわりが強く、ドラマ化が決まって脚本を読んだ際、ちょっとソースが見つからないのであやふやだけど「警察をコメディとして描く覚悟を持って欲しい」というようなことをドラマ制作者側に要求したらしい。
ここまで強気で出られるのは相当な<やり手>で、違う言い方をするなら自作がテレビドラマ化されて浮かれてる様子が微塵もない。要するに<軸>がブレてないからこそ制作者側も原作者の意思に沿うしかなくなり、結果としてクオリティの高いドラマになったんじゃないかと。
ただね、これはあくまで可能性の話だけど、日テレ側というかAX-ON側に「「ハコヅメ」の時に凝りたので、原作者とは極力没交渉で願いたい」という意識が芽生えたのかもしれない。
たぶんそれくらい「ハコヅメ」の作者はバチバチでやったんだろうし、AX-ONも相当身構えて「原作者の意向とか取り入れてちゃキリがない。どんな要求が原作者と出版社からあろうとも、全部「知らぬ存ぜぬ」で通そう」としたんじゃないか。
ま、本当はそこら辺を徹底的に調整するのがチーフプロデューサーの役割なんだよね。つかこの人こそ「おせん」の時の騒動で懲りなかったのかね。
ま、何の結論もない話ですが、結局は「コタローは一人暮らし」の作者みたいなスタンスが一番いいのかもしれない。
ま、ドラマ版「コタローは一人暮らし」も見ていたけど、原作にたいするドラマ制作者の愛情はあったとは言え、原作から改変されたところも多かった。
ただ、放送のたびにSNSで作者が毎回「今日も感動した~!」といったことを呟いていたのは実に微笑ましかった。何より「自分が原作者だとか関係なく、ただただ純粋にドラマを楽しんでいる」という姿勢は、ああいいな、と思った。
つかさ、こういう感じに思えないなら漫画家はアニメ化も実写化も許可しちゃいけないわ。もし出版社っつーか編集部から「だったら打ち切る」と言われても、それでも断る勇気が必要だし、編集部も「この漫画家のメンタルではとても耐えられない」と思うなら「改変不可」みたいな条件を出すよりスッパリと拒絶するべきだよな。