オッサンは何故ダジャレを言いたがるのか
FirstUPDATE2024.1.31
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いやね、実際問題、本当に「オッサンはダジャレを言いたがるかどうか」は知らない。つかアタシなんか立派なオッサンだけど、アタシを含めて周りでもアタシと同世代の人間でダジャレを言いたがる人とかひとりもいないし。

さてアタシは繰り返し「アタマがヨイと思われてトクなことなどない」と書いてきました。
もちろんこれはあくまでプライベートに限った話であり、パブリックというか仕事なんかでは「アタマがヨイ」かどうかはともかく「(仕事が)デキる人間」と思われた方がトクなことがある。それはよくわかります。
如何にも仕事が出来なさそうな人と、仕事が出来そうな人なら出来そうな人に仕事を頼もうと思うのは当然でね、仮にイメージだけだったとしてもそれで収入が変わってくるのであれば、そりゃあ、実際はともかく仕事が出来そうなイメージだけを身に纏おうとするのは当然です。

あ、これはあくまで仕事が出来そうな<イメージ>の話です。つまりどうやったら、仮に嘘でもそういうふうに見られるかって話で。
身だしなみなんかは当然として、やっぱりね、一見「アタマがヨサそう」に思われる言動の中に「語彙力が高い」ってのも絶対にある。
これは近日中に詳しく書く予定ですが、某ホリエモンや某ひろゆきのように何かっつっと「馬鹿」としか言わない、つまりは同じ言葉を繰り返す人からは一切語彙力を感じない。つまり「お前は馬鹿=オレは賢い」と思われたいのかもしれないけど、語彙力が貧困な人間を賢いなんて思いようがないのですよ。

これは前にも書いたけど、語彙力を駆使した「言い換えの上手さ」がある人は、もうそれだけでアタマがヨク思える。
というかやたらにね、それこそすぐに、最近の流行で言えば「サステナブルに」とか言いたがる人間はいますが、そういうことではない。たしかに「最近の言葉を勉強してるな」とは思うんですが、相手の知識を考慮せずに、つまり意味なんか通じようがどうだっていい、通じない人間=馬鹿、と決めつけるようなやり方は「ただ自分を賢く見せたいだけ」の浅いやり方です。

つまりはね、言葉遊びなんですよ。
けして難しい言い回しは使わずに、なるべく平易な言葉しか使ってないのに、それでいて同じ言葉を重複させずに、上手い言い換えを多用する。そういう人と会話すると「ああこの人、アタマがヨイな」と思ってしまう。
こうした上手い言葉遊びの極北が謎掛けであり、あれはね、普段から「どうやったら言葉の重複が避けられるんだろ、どうやったら上手い言い換えが出来るんだろ」と考えてるような人間でないと面白さやすごさがわからないと思うわけで。

そしてもうひとつ、これは極北でも何でもないけど、言葉遊びのひとつに「ダジャレ」がある、と。
色川武大は「殿様気分の人がダジャレを好む」というようなことを書いてますが、ま、最初から殿様のような立場だったというよりは、苦労に苦労を重ねて、もはやそこまで言葉遊びを重ねて「仕事がデキるヒト」と思われる必要もない、後天的に殿様のような立場になった人が好むってことじゃないか。
そうは言っても今までの習慣もあって言葉遊びの楽しさは知ってる。でもその言葉遊びを使うチャンスがない、となったらダジャレというのは実に良い落とし所なんじゃないかとね。

要するにね、ダジャレの価値が下がったというか、人々がダジャレを軽視、もしくは馬鹿にするようになったのは「言葉遊びの重要性が薄れた」証拠です。
如何に上手い言い回しをするかよりも、如何に強い言葉を使って相手に「引っ掛かり」を与える。そのことの方が重要になった。だから強い言葉である「馬鹿」を多用する。もちろん言葉の重複などには気にも止めていない。

これでは謎掛けやダジャレが廃れるのも当然です。
ま、SNSとかでね、どれだけ語彙力のない言葉遣いでも構わないっちゃ構わないんだけど、アタシのような古い人間からしたら、単純に「面白くない人たちだな」と思ってしまう。
会話ってね、どこかに知性みたいなのがないとやっぱり面白くないんですよ。どれだけ良いことを言ってても強い言葉で相手を威嚇しようとするようなポストには知性を感じないんですよ。

そういう意味で、少なくとも「馬鹿」と連発するよりもダジャレの方がはるかに知的です。ま、それをSNSで求めること自体が間違ってるかもしれないし、そもそもアタシだってダジャレや謎掛けを面白いと思ってるかと言えば思ってないし。
つまり、結局はアタシも語彙力のない、言葉遊びが出来ない人間なんでしょうなぁ。







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