アイコンの重要性
FirstUPDATE2024.1.30
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えと、以前「SPY x FAMILYはアーニャという<アイコン>があるのが大きい」と書きましたし、その影響もあって、昨年5月の当サイト大リニューアルの時に「Yabuniraくん」というキャラクターを作った、というようなことも書いた。あ、Yabuniraくんとは↓ね。


アイコンというのは本当に重要で、いわば全体のムードや機能を集約して「それがいったい何なのか」がパッと、瞬時に理解出来るものにしなければならないのです。
もちろん優れたアイコンを作るのは本当に難しい。つか完全にマトハズレになってるアイコンも普通にあるし、中には「最初は違和感があるけど、見慣れていくうちに、もうソレにしか思えなくなる」なんて高度なアイコンもあったりします。

ま、そういうことなのですが、日本でアイコンがこういう意味で使われ出したのは間違いなくパソコンやスマホにおける「GUIのためのアイコン」のはずで、そこの話をしたいな、と。

本来はプロダクトデザイナーであるはずのジョナサン・アイブがiPhone全体のデザインを統括するようになった時、マテリアルデザインを取り入れたアイコンに大幅変更されたのですが、このデザインを担当したのもアイブ自身でした。
しかし当初はあまり評判が良くなかった。ま、アイブは前述の通りプロダクトデザインが本職であってグラフィックデザインは門外漢なので、いきなり最適解が導けたとはアタシも思えなかった。叩かれるほど悪くはないけど、ではそれ以前のiPhoneのアイコンに比べて、となると、正直良くなったってほどじゃない、と思ったのを憶えています。
ちなみに初期のiPhoneのアイコンはこんな感じでした。


これ、個人的に面白いな、と思ったのは、多少の立体感はあるんだけど「平面上の立体」というか、何だかね、ぷっくりシールっぽかったんですよ。
あ、ぷっくりシールの画像も貼っておくか。

この「ぷっくり感」とでも言うのか、これは間違いなく、こうした電子機器に触り慣れてない人でも「ここは<押せる>んじゃないか」と思わせる効果があったと思うんです。
たしかに今見るとオシャレではないんだけど、このわかりやすさ重視こそが初期iPhoneがあれほど売れた理由なんじゃないか。もちろんアイコンが理由だけで売れたわけじゃないけど、こうした「細部まで徹底的にわかりやすくする」という理念が初期iPhoneの良さだったと。

たぶんアイブも「これだけiPhoneが普及したんだから、もうこの手のわかりやすさはなくても大丈夫」だと踏んでマテリアルデザインに切り替えたんだろうけど、うーん、これが本当に正解だったか。たしかにこのアイコンデザインが今の主流になったのは間違いないけどね。
つかね、Appleって、もう昔からですよ、もちろんアイブがAppleに入社するはるか前から、本当にアイコンの作り方が上手いメーカーで、初代Macintoshにも随所にアイコン作りの上手さが見られる。

これは初代Macintoshに標準で添付されたMacPaintというソフトウェアですが、このわかりやすさは驚異的です。
初代Macintoshはモノクロディスプレイであり、当然アイコンもモノクロデザインでなければならなかったのですが、一目で「何をするものなのかわかる」ツールアイコンの出来の良さは本当にすごい。これは後にAdobeのPhotoshopやIllustratorでも踏襲されることになるのですが、令和の時代になってもまったく色褪せていないというか、相変わらず「わかりやすい」んだからね。

というかAppleは各ソフトウェアメーカーにアイコン作成の指針のようなものを出していたと言われています。
その後、Macintosh、つまりMacもカラー表示に対応することになるのですが、ツールアイコンは極力モノクロで作成すること、というのがあったらしい。
Windows用ソフトではツールアイコンにカラーを用いたものもありましたが、それでも「ツールアイコンはモノクロの方がわかりやすいよ」というのが基本となってるわけで。

さてさて。アタシは一応はグラフィックデザインを生業にしておるのですが、んで正直そこまでApple信者でもないんだけど、もう昔っから、小さいところにグラデーションを多用したような質感にするのが大嫌いなのです。
それこそゲームのキャラクターがそうで、アタシがファミコン時代の方がスーパーファミコン時代よりも好きなのは、ファミコンの性能ではキャラクターに過剰なグラデーションを用いた質感を求めることが不可能だった。だから自然と、マテリアルデザインではないけど本当のデザイン力の高さが求められた。
しかしスーパーファミコンになるとスプライト性能が上がり質感重視が可能になった。でもこれはアタシからしたら実に面白くないんです。

手塚治虫は「マンガの描き方」という著作で「キャラクターの特徴は出来るだけシンプルにすべし」というようなことを書いています。(例外として「ブラックジャックは特徴がゴテゴテ多いんだけど、あのような変人キャラはそっちの方が良い」というようなことも書いてある)
つまりね、アイコンってのは「どれだけ削れるか」が勝負なんです。ま、足し算ではなく引き算の美学というか、どれだけ可能な限り引くことが出来るか、そして徹底的に削ぎ落としたものこそ「わかりやすいものになる」と。

だからと言って、カンドコロと言えるような場所まで削ぎ落としてしまうと、今度は何のアイコンなのかわからなくなる。
最近で言えば、SNSアプリである「Bluesky」のアイコンは正直、何がなんだかわからない。

旧の方は「青空」そのままで、名前の通りっちゃ通りだけどSNSだとわからないし、新の方は抽象化しようとはしたんだろうけど蝶っぽいシルエットからはSNSはおろか「ブルースカイ」という名前ともかかっていないというね。
今やSNSアプリは山ほどあるし、上手くアイコン化するのが難しいのはよくわかるんですよ。でも、少なくともパッと見で「何のアプリかわからない」のでは本末転倒です。

そういう意味でも、つくづくTwitterのアイコンは良く出来ていたと痛感する。青い鳥がパカッと口を開いて「これから何か呟こうとしている」というのが見事に抽象化出来ていたもん。
一方、今のXやFacebookはアルファベットの抽象化だけど、これらはユーザー側が「機能にかんしては織り込み済みである」というね、了承があって初めて成り立つものなんです。つまりメチャクチャ悪くはないけど、Twitterほどの出来ではない、と。

個人的に期待しながらなかなかコレというものがないのがLinuxのディストリビューションです。
Linuxのディストリビューションはいろいろあるけど、たんに機能や使いやすさだけではなく、アイコンを含めたデザインまで考え抜かれた、みたいなのがまだない。
使いやすいOSを作る才能と、アイコンを含めたGUIデザインを作る才能はまったく別物で、ZorinOSなんかは比較的デザインに優れていると言われていますが、まだまだMacOSの影響下から抜け出ていない。パクリとまでは言わないけど、そこまでクリエイティブ精神が高いものか、というと残念ながら、という以外にない。

いやね、MacっつーかAppleを真似るのは間違ってはないんだけど、真似るのは「デザインそのもの」ではなく「デザインにたいする考え方」だと思うんですよ。
それこそ初代Macintoshのツールアイコンを見て何を感じるか。もうそこじゃないかな。つかあの天才プロダクトデザイナーのジョナサン・アイブでさえ酷評を受けたんだから、そりゃあ、そんな簡単な話じゃないのは当たり前なんですよ。