マンデラエフェクトというにはアレだけど
FirstUPDATE2023.11.10
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昨日、都市伝説系の話を書いたので、ま、せっかくというかついでというか、いわゆる記憶違いなんじゃないかと思えることを書きたいと思いまして。

さて、クレージーキャッツ主演映画の一本に「クレージー大作戦」という作品があります。
この映画については「「クレージー大作戦」徹底解剖」にて長々書いてますが、正直、面白さではなく好き嫌いで言えば、もしかしたら東宝クレージー映画の中で一番好きかもしれない。
何よりメンバー全員が活躍するってのが、やはりファンからしたらたまらないんですよね。


アタシがこの映画を初めて観たのはたしか大学を辞めるかどうか寸前くらいだったと思う。
場所は神戸は新開地にある小汚い映画館で、しかし正確な場所がわからないのよ。
アタシは今年の6月まで神戸に在住していましたし、新開地に行く機会も度々あったので「あれ、どこだったんだろ」と思って探したんだけど、よくわからない。
それこそ時期を特定して、んで住宅地図をしっかり確認すりゃわかるんだけど、そこまでやる必要はないと思って調べなかったんだけど。

もちろん「クレージー大作戦」の映像は手元にある。だから何度も見返してる。
しかしね、やはりファーストインプレッションってのは強烈で、どうしてもこの映画を見返すたびに、あの小汚い新開地の映画館のすえたニオイを思い出してしまうっつーか。
ところがね、アタシが初めて観た時と、後にビデオで繰り返し見た「クレージー大作戦」に若干の<違い>を感じるのです。

具体的に行きます。
手元にある映像ではまず東宝マークが表示されて(厳密にはその前に「協賛 伊豆富士見ランド」→「東宝・渡辺プロ作品」というテロップが入るけど)、すぐに「クレージー大作戦」という文字が後ろから飛び出してくる。
んで、その後でスタッフ、キャストロールになるんだけど、これがね、アタシの記憶では違うんですよ。
東宝マークが出てくるところまでは同じなんだけど、タイトルの前にアヴァンタイトル、つまり物語のイントロダクションのようなものが挟まるんです。

アヴァンタイトルの内容は本編の序盤の展開と同じで、銀座に現れた石川五郎(植木等)が宝石店に強盗に入り逮捕される。んでお縄となったところでタイトルになる。ま、なるっつーか、そう記憶しているわけで。
さらに植木等の登場も微妙に違っていて、手元の映像では銀座の晴海通りを全速力で駆け抜けて「たるんでるよ(たるんどる節)」を歌うんだけど、記憶ではそんな激しい感じではなく、地下鉄の階段を上がってきて、つか地上出口から出てきて、やおら、「たるんでるよ」を歌う、みたいな感じ、というかね。

他、記憶にはあるのに実際の映像にはないシーンが結構あって、いやシーンというよりはカットといった方がいいのかもしれないけど、とにかく「こういうカットがあったはずなんだけど、ないなぁ」みたいになってしまうというか。
しかしね、そういう記憶をしている人をひとりも知らない。何人かのクレージーフリークの人とお話しさせてもらったことはありますが、誰も見たことがないという。
となると、もうこれは「実は別バージョンがある」というわけではないと。要するに、ただのアタシの記憶違いに過ぎない、という結論にしかならないわけで。

とまあ、長々と書いてきたんですが、一度整理します。
これはいわゆるマンデラエフェクトとは違う。マンデラエフェクトの正確な意味はココを参照してもらうとして、重要なのは

大勢の人々が事実と異なる記憶を共有している現象を指す俗語で


という箇所です。
つまり「大勢の人々」が「事実と異なる記憶を共有」してないとマンデラエフェクトとは言えないわけで、アタシひとりだけでは成立しないということになる。
それでもね、「天空の城ラピュタ」とか「千と千尋の神隠し」なんかの「存在してないエンディングがあったと主張している人々」と同じ現象であるのは間違いなく、彼らとて「自分は見た」と思ってるに過ぎず、「見たって人がいっぱいいるから自分も見た気になってるだけ」というのはやっぱり違うはずです。
ま、要するに作品がメジャーかマイナーかくらいしか違いがないというか。

「何となく見ていた程度」ならともかく、好きと自認するような作品に限って、そんな記憶違いを起こすわけがない、というのは一般的な考え方だと思う。
しかしね、アタシの場合でいっても「クレージー大作戦」は東宝クレージー映画で一番レベルで好きな作品で、なのに見事な記憶違いを起こしているってのはどういうことだろう、と。
もう一本、「クレージー大作戦」と同等レベルに好きな、しかも東宝クレージー映画の最高傑作と信じて疑わない「ニッポン無責任野郎」でこうした記憶違いがあるか、というとまったくない。
鑑賞した時間軸で言えば「ニッポン無責任野郎」の方が数年は前で、より古い記憶である「ニッポン無責任野郎」では記憶違いが発生せず、遅れて観た「クレージー大作戦」では記憶違いが発生しているのが本当にフシギなんです。

というか、ここまで大々的な記憶違いが発生している映画は、洋画邦画問わず「クレージー大作戦」だけなのです。
何故、この映画に限ってそういうことになったのか、それとも本当に別バージョンが存在していたのか、30年以上経っても藪の中って、どうもスッキリしないわ。