間違えると怒る心理
FirstUPDATE2023.9.20
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これ、こないだの、こないだって一ヶ月以上前ですが、PCエンジン云々の話を書いたんだけど、やっぱ、もうちょい補足しておきたいな、と。

とにかくエントリタイトル通りなんですが、とくにSNSが普及してから「間違えると怒る」人が目立ち出した気はします。
しかし、あくまで「目立ち出した」だけで、昔からそんな人はいた。メチャクチャわかりやすい例で言えば学校の先生です。
まず大前提として、学校というのは「習う」ために通う施設です。んなもん、ハーバードやケンブリッジを首席で卒業出来る人間が小学校に通い直すなんてあり得ない。
習う、というのは、言い方を変えれば「その時点では知らないことを教えてもらう」ということです。だから間違えるのは「ごくごく自然なこと」なんですよ。

にもかかわらず、挙手を求めて指された子が間違うと怒る先生がいる。アタシも小学2年の時の担任がそういうタイプだった。
ま、その担任は子供からの人気はまったくなかった。みんな、だんだん挙手することを恐れだして、学期が進む毎に授業中の空気は凍りついたようになっていきました。
大人になった今なら「怒ってもしょうがないでしょうが」と思えるけど、当時はただただ、ヒステリックに怒りをあらわにする担任が大嫌いだったんです。

生徒と先生の関係はSMに似ています。あ、SMはまんま、サディストとマゾヒストのことね。
<S>が攻め、<M>が受け、それはその通りだし、一見<S>が完全に主導権を握ってるように思えるんだけど、実際に主導権を握ってるのは<M>の方で、<S>は<M>が悦ぶような仕打ちを繰り出さなきゃいけない、なんて話を聞いたことがあります。
学校の授業も似たようなもので、完全に先生が絶対権力者になってしまえば生徒が付いてこなくなる。だから先生は押したり引いたりの、ま、駆け引きをしながら生徒の心を掴んでいく必要があるんです。

さて、先日「テレビというメディアは人によって向く向かないがある」みたいなことを書いたんだけど、やっぱね、インターネットにも向いてる人と向いてない人がいると思うんですよ。
アタシが「向いてないな」と思うのは、とにかく「一拍置く」ってのが出来ない人です。
昨今はアンガーマネジメントなんて言葉があるように、どうやって怒りを鎮めるか、というのが話題になってますが、んなもんね、時間さえ置けば自然と怒りの感情は薄まる。もちろん怒り自体は残存してるんだろうけど、いわば「静かな怒り」に変わるというか。
ま、そこまで長期間<怒り>を堪え忍ばなくても、ほんの一瞬でも呼吸を整えるだけでわりと冷静になれるもんなんです。
ましてやインターネット上のやりとりなんかリアルの会話とは違うわけで、5秒だろうが10秒だろうが<間>が出来たところで何の問題もない。
つまりリアルの会話よりも圧倒的にアンガーマネジメントしやすいはずなんですよ。
ところが一拍も置かずに、怒りの感情をキープしたまま書き込む人がいる。こういう人は本当にインターネットに向いてないと思うし、何なら「インターネットで我慢出来ないならリアルの会話なんか気が変になるだろ」と思ってしまいます。

そしてもうひとつ、それがエントリタイトル通り「間違えると怒る」人です。
これだってアンガーマネジメントが出来てればいいのかもしれないけど、そもそもインターネット上にあることで腹を立ててもしょうがないんです。
じゃあ逆に、どういう人がインターネットに向いてるのかというと「間違えてる、と気づいた時にニヤニヤしてしまうような人」です。
ああ、コイツら、何にも知らないんだな。悲しいねぇ知識がないってのは。悪いけどそんな程度の知識のヤツとは関わりたくないよ、みたいな人というか。

これはあくまで「インターネットに向いてる人向いてない人」という話です。つまり「人間として」という話ではない。
ま、ニヤニヤタイプなんてはっきり言ってただの嫌なヤツです。関西弁で言えば「根性ババ色」ってことになる。
一方、怒りをおぼえるタイプは「真面目でいいヤツ」かもしれない。んでこれは間違いないと思うけど、かなり正義感も強い。
でもね、こういった「真面目で正義感の強いタイプ」って如何にもインターネットに向いてない。
松本人志じゃないけど「ネットが荒れる」ってね、ただの煽り厨だけじゃたいして荒れないんですよ。んなもんどこにでも煽り厨はいるわけで、でも他が冷静なら本当に荒れない。
荒れるのは「正義感の強い連中が<怒り>をあらわにし出した時」です。これはヤフーニュースもまとめサイトも同じ構図です。

別にこれはインターネットに限った話ではなく、たとえばメチャクチャ腹の立つ目にあったとしてね、それが個人的な怒りで留まっているうちはわりと早く怒りって鎮まるんですよ。
でもだんだん主語がデカくなってきて、悪いのは敵対したソイツオンリーなのに、だんだん「組織が悪い、家族が悪い、それを放置している国家が悪い」とかなっちゃいだすと、もう止まらない。私怨が「正義のための行動」にすり替わってしまう、というか。

たぶん「間違えると怒る」人って、どっかに「こんな間違った情報が拡散されたらとんでもないことになる」って意識があるんだと思うのですが、そんなの余計なお世話ですよ。間違って憶えて本当に困ることなら自分で調べるだろうし、間違ったまま記憶して何の問題もなく生活してる人にとっては「間違ってようがどうだっていいこと」なんです。
で、正義の拳を振り上げた結果、別に正しい情報が拡散されるわけでもなく、ただただ「ネットが荒れ」だだけ、というね。

よく言われることですが、人間、正義の名の元にであれば、わりとどんな残虐なことでもやってのけられるんですよ。
そもそも何が正義かは人によって違うわけで、つまり「正義のために」なんて何のエクスキューズにもならないんですよ。つかむしろ正義感には弊害も多い。
もちろんそれが行き過ぎてしまえば戦争とか犯罪になってしまうわけで、そう考えるなら正義感で「ネットが荒れる」くらいたいしたことがないのかもしれない。
アタシは極論が嫌いだけど、もし、あくまで極論として、そして弊害が大きいのは百も承知で言えば、「インターネットで正義感からの行動禁止」となれば、間違いなく今よりは平穏なインターネットになると思う。
平穏だったからと言って全部が全部正しいのかと言うと、それも違う。
でもここまま「行き過ぎた正義感」が蔓延っていけば、もう正義感からの行動を禁止するくらいしか対策がなくなるんです。

そんなの嫌だよね、と思うならば、一瞬<間>を置こうよ。間違った書き込みを見て怒りをおぼえるような人はインターネットとの向き合い方を考えようよ、という話なんですがね。







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