将、の資格
FirstUPDATE2023.9.15
@Scribble #Scribble2023 #プロ野球2023年 阪神タイガース ジャニーズ事務所 将と兵 岡田彰布 矢野燿大 バトルブロック 親父 笑将 単ページ

えと、野球ネタは日曜日に書く、と昨日書いたのてすが、予定を変更して今日と明日、つまり金曜日と土曜日を野球ネタってことにしました。野球に興味がない方は読み飛ばしてもらって結構です。

さて、何だか妙に上段に構えたようなエントリタイトルですが、ちょっとね、野球とは関係ない、こないだのエントリの続きみたいな感じで始めます。
こないだのエントリってのはジャニーズ事務所のネタなんですが、あれ、もうひとつ、とんでもなく悪手だと思うのは「トップが責任を取ろうとしてない」ことだと思うんですよね。
もちろん「辞めることが責任を取る」ことだとは思ってない。絶対に逃げ出さないのも、また責任の取り方ではあると思うんですよ。
でもとりあえず、今回のことだけに絞れば、仮に「ジャニーズ事務所」という名称を残したとしても、あの二代目が経営から外れて株を手放して完全にジャニーズ事務所から外れれば、あそこまでスポンサー離れは起きなかったと思う。
つまり所属タレントは不利益を被っているわけで、それは「タレントを守る」のとは正反対の自己保身にしか見えないんですよね。

こういう言葉を使うのが適切かわからないのですが、<将>と<兵>では明確に役割が違う。
たしかに<将>は<兵>を使って成功に導くのが仕事なんですよ。それはもう、間違いではない。
でもね、どれだけ最適な策をこうじようが常に成功という目が出るわけではない。やっぱり何をやっても上手くいかないタイミングがあるし、時には理不尽な不利益を被ることもある。
そういう時こそね、本当は<将>の出番なのです。<将>が自分のことなんかどうなってもいい、もしかしたら身内さえも裏切ることになるかもしれない、でも<将>である限り、身を挺して<兵>を守るんだ、みたいな。

綺麗事に聞こえるかもしれないけど、事実、ジャニーズ事務所の二代目社長や前監督の矢野燿大にはそういった姿勢が見えなかった。
ま、これは野球のエントリなので二代目社長の話はこれで終わりにしますが、矢野の時は、選手にはやたらチャレンジしろとか言ってたわりには「全部オレが責任を取るから」ってのが極端に見えなかった。大山や佐藤輝明がポジションをコロコロさせられても「そのせいで打てなかったとしても悪いのはオレ」みたいなのがあったのか、というと少なくともアタシはひとつも見聞きしていません。

まァね、正直、昨秋に岡田彰布が監督になる、と聞いて、選手としたら不安の方が大きかったと思う。
昭和の野球とかはどうでもいいんだけど、対話型だった矢野と違うのはあきらかなわけで、そりゃ不安に感じて当然だと思うんですよ。
昨年、岡田が解説でよく言ってた言葉に「選手が可哀想や」というのがありました。
正直言えば岡田の解説はグチっぽく、しかもぶっきらぼうで、間違っても「聞き心地の良い解説」ではなかった。内容をちゃんと聞かないとマジで「ただの老害の戯れ言」にしか聞こえなかった。
ただし、この場合の「選手が可哀想」というのは、これも誤解を生みやすいんだけど、「(この戦力で優勝出来ないのは)選手が可哀想」という意味です。となると岡田が実際に監督に就任してね、やることは「優勝させて選手を可哀想な目には合わせない」ということになる。

今回の監督就任で「岡田は変わった」とはよく言われます。
たしかにいろいろ変えてきたのは事実だけど、それでも「選手に良い目を合わせてあげたい」という姿勢は第一次政権の頃から何も変わってないし、何よりも「どんなことがあっても選手を守る」という姿勢も、やはり不変でした。
結果的にですが、あの京田のバトルブロックで完全にチームがひとつになったと思う。
それまで選手にとっては、チームを勝利に導いてくれる「ただの良い監督」だったのが、あの試合以降「選手を身を挺して守ってくれる」存在になったんじゃないか。
身を挺して選手を守る、というのは、もうこれは仕事を超えた話なんです。何というか、無償の<情>のようなもので、普通、社会に出てもそんな人にはめったにはお目にかかれない。というか唯一「無償の情」をかけてくれるのなんて親くらいです。

だからね、アタシは思うんです。あのバトルブロックの日を境に、選手にとって岡田彰布は<将>であり<親父>になった。
こうなると本当に強い。もし親父が何かヘマをこいたとしても、親父もしょうがねーな、と思えるし、あまり会話がなくても「ちゃんと言葉で伝えてくれや」と思える。仮にメチャクチャ叱られても「チッ!口うるせーな!」と思える。
でもそれは親子間の反発のようなもので、最後の最後は絶対、親父は守ってくれるはずだ、みたいな信用があるから「オレらが親父を男にする」と思える、と。

再び比べるのは申し訳ないけど、矢野自身、自分のことを「監督というより先生」と言ったのはある意味言い得て妙で、先生って良い方向に導いてくれる恩師にはなれるかもしれないけど、やっぱね、どこまでいっても生徒とは他人なんですよ。
ま、先生では本当の意味での<将>にはなれない、というか先生と先生に引率された生徒では優勝は出来ないですよ。「親父を男にしたい」のは余裕であるけど「先生を男にしたい」とは思わないよねぇ普通。
いやそもそも、岡田の親父としての姿勢は放任主義に近いもので、佐藤輝明にはかなり厳しいことを言ってますが、その内容といえば「打てんで悔しいんは自分やん。オレは知らんよ」という感じで、これも誤解を招きそうな言い方なんだけど、親父としてやるべきことはやるし、失敗しても責任はオレが取る、という「身内的な愛情のかけ方」なんですよね。

星野仙一は「闘将」、野村克也は「智将」と言われましたが、このふたりとも関係が深かった岡田はどちらのタイプでもない。
強いて言えば「情将」なんだろうけど、やっぱりしっくりこない。じゃあ何なんだ、となったら、個人的には「笑将」がピッタリくる。
実際、ベンチでも「親父の笑顔」がバロメーターになってたし、関西のプロ野球チームの将として<笑い>がベースになるってことを考えたら、やっぱり<笑将>がピッタリな気がするんです。







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