アーバンライフ感は、ゼロッ!
FirstUPDATE2023.9.2
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昨日の鎌田敏夫の話の続きじゃないんだけど、いろんな意味で「男女7人夏物語」は<転機>となった作品だと思うわけで。

今、たとえばレンタルビデオ然り、サブスク然り、いやTVerであっても、テレビ番組が「何曜日の何時から放送されていたか」とか「この番組は何チャンネルで放送された」とか考えもしない時代になってしまいました。
もちろんこれはビデオデッキが普及しだした1980年代から「土曜日の20時には子供たちがテレビの前に集まってTBS系にチャンネルを合わせる」みたいな感覚はなくなったとは思うけど、それでももうちょっと、曜日にかんしては意識していたと思うんですね。
だからその曜日、その時間帯、そのチャンネル独特の<空気感>みたいなのを感じることがあったんですよ。

「男女7人夏物語」はTBS系で金曜日の21時から放送されていました。んで続く22時台もやはり、ドラマ枠だった。
21時枠のドラマはややライトなテイスト、22時枠のドラマは若干重め、という違いはありましたが、どちらと徹底的なアーバンライフ感を醸し出していたんです。
アーバン=都会的な、という意味ですが、1980年代後半のTBS系のこの時間帯のドラマで言えば「アーバン」というのはイコール東京、もしくは東京近郊という意味で、むろんそうした流れを作ったのは鎌田敏夫に他なりません。

TBS系金曜日22時枠で放送された鎌田敏夫脚本の「金曜日の妻たちへ」は町田近辺のニュータウンが舞台になっており、21時枠の「男女7人夏物語」は清洲橋付近が舞台です。
どちらも実に、もう「アーバン」としか言いようがない<空気感>が充満しており、というかこれらのドラマのせいで「アーバン」と聞くと「1980年代の東京近郊」を浮かべるようになってしまった。
やがて、鎌田敏夫脚本に限らずTBS系のこの時間帯のドラマはほぼすべて「アーバンライフ感がきわめて濃厚」になっていったのです。

個人的にもっとも「これ、アーバンライフだなぁ」と思うのは「男女7人夏物語」の後番組だった「痛快!OL通り」のオープニングです。
このドラマのことは長い間忘れてた。忘れてたんだけど「そういや渡辺美里が主題歌を歌ったドラマを見ていたな」と思い出して検索したら出てきたと。

もうこれが本当に素晴らしい。まさに「アーバンライフ!」としか言いようがない。
主題歌は前述の通り渡辺美里で、曲名は「BELIEVE」。「♪ あッさ一番のホォ、ムゥの、冷えた静けさが好ゥきさ~」ってヤツですが、とにかく映像が素晴らしいんですよ。何というか、ダサすぎて素晴らしいというか。

何度もしつこく書いてるように、アタシは1980年代が大嫌いです。もう、あの時代独特のダサさが本当に許せない。何であんなダサいんだろ、と。
だけれども、そんなダサい時代を何のてらいもなく、余すところなく映し出した映像は、やはり素晴らしいと思う。

と同時に、ああ、この時代のアーバンライフを体感したかったな、と思う。ダサいったって所詮は傍観者が思うダサさであって、中の人であった方がもっと具体的に、どこがどうダサいのかの分析が出来たと思うから。
1980年代後半というと、アタシは関西に住む高校生→大学生でした。何度か東京に行ったことはあるけど、つまり「アーバンライフ」のうち<アーバン>は一応体験したけど<ライフ>は体験していないわけで。

で、今年の7月になって、通算4度目の東京在住者となった。
たしかに東京は東京です。しかし、もはやどこに行こうとアーバンライフ感なんか、ない。ゼロです。
いやね、行くところに行けば、東京ってまだまだ1960年代っぽいところや戦前っぽいところは残存しているのですよ。
そういや先日、久しぶりに国会図書館に行ったんだけど、あらためてマジマジと外観を見たら実に1960年代っぽいというか、中から外国人相手にインチキ英語を使う植木等が飛び出してきそうなんですよね。

なのに、時代的にはそれらよりずっと新しい「1980年代的東京=アーバンライフ感」が皆無ってのは考えようによっては面白い。
つまり「アーバンライフ」ってのは、いわば<キエモノ>だったんですよ。
もう、どこを探しても「痛快!OL通り」のオープニングのような<空気感>はないし、つくし野や中央林間のようなニュータウンに行っても、どうも「金曜日の妻たちへ」で描かれていたような<空気感>はなくなっている。

それで言えば清洲橋がほぼ変わりないスガタカタチで存在しているのが本当にすごい。
これはこないだ発見したんですが「日本一のゴマすり男」のオープニングに清洲橋が映ってて(もちろん古澤憲吾お得意の空撮で)、「ゴマすり男」は1965年の映画、「男女7人夏物語」は1986年、そして令和の今、清洲橋自体は塗り直されたり改修工事はされたりはしたけど、基本的には何にも変わっていないわけで、つまり清洲橋にアーバンライフの面影を探すのは難しい。というか清洲橋の存在感はキエモノなんかじゃない。
清洲橋の建立は1928年であり、つまり戦前モダニズムの時代には色は違うとはいえすでにあった。つまり隅田川沿いのさんまのマンションが出来る50年以上前から存在していたんですからね。

いや「さんまのマンション」って何だよ。それじゃ明石家さんまが物件を所有してるみたいじゃん。