背負うという覚悟
FirstUPDATE2023.8.11
@Scribble #Scribble2023 #アニメ・漫画 背乗り 憑依 声優 イクラちゃん こち亀 両さん タレントの声優起用 松井秀喜 単ページ

上手いタイミングで、アニメーション演出家の水島努氏が本エントリの趣旨に沿うツイートをされていたので、その引用から話を始めさせていただきます。

「ジョーカー」「ルフィ」などキャラ名をニュースの見出しにするのを本当にやめて欲しい。作品が可哀想です。
自分たちのキャラがその様に使われたらどう思うか、想像して欲しい。
「ドーモくんに懲役23年」
「ガチャピン、ムックらに逮捕状」
嫌でしょうに。


これねぇ、実はかなり難しい問題だと思うんですよ。
煉??獄杏寿郎のコスプレをしていろいろ問題を起こした煉獄カズアキ(コロアキ)もそうだけど、コスプレまでやっちゃったら、やっぱ背乗りをしているのは事実なんですよね。
ところが<自称>だったり、はたまたただのニックネームの場合は実に難しく、松井秀喜がゴジラというニックネームだからって、もし松井秀喜が不祥事を起こしたとしても東宝は遺憾の意も表明することは出来ないわけで。

ま、ゴジラは他称というか自発的に「これからオレをゴジラと呼んでくれ!」とかウーチャカみたいなノリでなかったのは間違いないけど、あきらかに自発的なオリックスの杉本裕太郎の「ラオウ」なんかはさらに難しい。
いや実際、西武の山川穂高がいろいろ問題になってるけど、もし「山川のせいでアグー豚のイメージが落ちた!」なんて沖縄の養豚業界が騒いだらどうするんだろ。
仮に法律で「ニックネーム一切禁止!」とかになったとしても、オウムの頃なら「麻原」って名字の人や、つい最近のパンデミックの時とか某エアコンメーカーとか某ビール会社とか絶対風評被害受けてるもんねぇ。

ま、それは話を広げすぎだけど、アタシはね、ただたんなる名称くらいなら、せいぜい「出来ることなら止めて欲しいなぁ」が関の山だと思うんですよ。
そういうノリのおかげで人気が盛り上がることもあるだろうし、とくにアニメの場合なんかだとニックネームに使われるって親しみを持たれている象徴でもあるだろうから。

ただね、じゃあ声優はどうなんだ、と思う。
某人気歌手の旦那である某声優が不倫したかなんかで干されたとかいや干されてないとかあるみたいだけど、声をアテるって、まァ、憑依ですらあると思うんですよ。
声優という仕事は役者以上に<まったくの別人物>になり切らなきゃいけないというか「人格はおろか見た目や年齢、さらに性別さえも共通項のない人物の声をアテる」というのは普通です。
それこそ「サザエさん」のイクラちゃんなど何十年にもわたって「声優本人とキャラクターの共通項が何ひとつない」形で続いているわけで。

にもかかわらず、いや「にもかかわらず」って正しいのか?ま、いいや。とにかく、声優本人とキャラクターの共通項があろうがなかろうが、声優はキャラクターを背負わなければいけない。
しかもアニメの場合、実写と違って数十年にわたって続く可能性があるので、その間中<禁欲>は言い過ぎにしても担当するキャラクターのイメージを著しく損ねるような言動は控えなければいけない。
桂玲子さんはご高齢なのであり得ないけど、もし何か問題を起こしたら、もう確実に「イクラちゃん不倫!」とか「イクラちゃん傷害罪で起訴」とか書かれるのは確定ですからね。

さて、実はここまでは前フリです。
こうしたキャラクターを背負うということにかんして、もっとも微妙なケースに思えるのが両津勘吉というかラサール石井の場合です。
ここ数年のラサール石井のSNS上での政治的言動は正直目に余るものがあり、いやね、もうこの際ラサール石井の発言が正しいかどうかはどうでもいいんですよ。
でもさ、現実問題、もう二度と「こち亀」のアニメ化は、スペシャルであっても不可能だと思う。声優総取っ替えするならともかく、今の感じのラサール石井が当たり前のように両さんの声をアテるのは、何より原作者含む制作者サイドが嫌がるんじゃないか。

リアルタイムで憶えておられる方なら「両さんの声をラサール石井がアテる」という一報を聞いた時、みな一様に驚いたはずです。
ラサール石井はテレビでは関西弁を使いませんが関西生まれの関西育ちであり、その芸名の通り鹿児島のラ・サールに通った、まァ言えば「ガリ勉キャラ」だった。
つまりね、両さんとラサール石井は見事に共通点がないんですよ。
こういうケースはかなり珍しい。いやタレントが声優をつとめることはままあることだけど、やはりタレントイメージとキャラクターイメージが重なり合う、ということで起用されたと思える場合がほとんどでしたから。

しかもラサール石井の地声、いや地声かはわからないけどテレビで発する声と両さんの声のイメージが違いすぎる。
「こち亀」は1996年にアニメ化される前に一度イベント用にアニメ化されており、これで両さんの声をアテたのは内海賢二だった。
内海賢二が両さんにピッタリかはともかく大枠としては外しておらず、上手く言えないけど漫画を読む限り「軽くて野太い系」みたいな感じに思える。野太い系は野太い系だけど野太過ぎず、どこか軽さを感じさせる声、というか、ま、大雑把に言えば則巻センベエと同系統の声質に思えるというか。だから内海賢二が両さんの声と聞いても違和感は最小限でした。
正直、ラサール石井がそんな声を出せるとは思っておらず、実際に第一回目を見た限り、演技はともかく声にかんしては想像以上に「両さん」だったのでビックリしたんです。

だからね、両さんの声にラサール石井を!と考えて抜擢したのは慧眼だったとは、思う。
しかし今にして思えば、今後数十年続く可能性のある、つまり国民的アニメとして成り立っていけるだけのポテンシャルのある「こち亀」の主役に、タレントを声優として起用するのが果たして正しかったのか、とは思ってしまいます。
変な話、俳優や芸人などのタレントと、肩書きが「声優」になる人たちとの一番の違いは<自我>だと思うんですよ。
完全に専業でなくてもプロの声優は<自我>を殺せる人であり、あの物申す型の山田康雄でさえもある程度はわきまえていた。
しかし<余芸>として声優をつとめたタレントに「今後のタレント活動で一切<自我>を出すな」というのがもう不可能な話です。

つまりね、制作スタッフはそこまで深く考えずに「おお、ラサール石井の声、両さんにピッタリじゃん!」てな感じで決めたんだろうし、ラサール石井はラサール石井で「両さんという絶対的なキャラクターの声をアテる、ということは今後一生、両さんを背負っていかなきゃならない」という覚悟もなしに引き受けた結果だと思う。
もし本気でラサール石井が両さんを大切にしていたらSNSであんな言動はしないと思うし、もしどうしてもSNSでああいう発信をしたくなったのであれば完全に両さんと縁を切ってからやるべきだった。
もうアニメはとっくに終わってるとはいえ、両さんの声優という立場を保持しながら、ああいう発言をするのはさすがに違うし、いくらなんでもこち亀ファンに失礼すぎる。

というかさ、声優業と<自我>の発信ツールであるSNSとの相性が悪すぎるわ。そもそも、いや、まァいいか。