掛け合いは本当に難しい
FirstUPDATE2023.8.1
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有言不実行も過ぎるというか、ずっと「YouTubeやります!」と宣言しながらいつになったらやるんだってことなんですが。

いやね、準備はもうずっとしてて、それこそ3年くらい前からやっててね、でもなかなか実行出来ていない。
当初と構想が変わった、というのはたしかにある。んで今現在の構想を鑑みれば、どう考えても東京に引っ越してからやるのが妥当だろ、と。
で、実際引っ越しは終わったわけで、そろそろとは思っているのですが、やっとこれから「もう少しで撮影出来る」程度なのでね、たぶん秋くらいになると予想しています。

何が言いたいのかというと、アタシもYouTubeを始めるつもりなのですよ。つまりユーチューバーとしてもやるわけで、あんまりユーチューバーをディスる方向の話はしたくない。
でもどうしてもひとつだけ気になることがあるのでね、せめてYouTubeを始める前に書いておきます。

YouTube動画の中に「ゆっくり実況」というものがあります。
昔の言い方なら「音声合成」なんだけど、正直これのメリットがよくわからない。まさか<身バレ>を気にしてるわけじゃあないんだろうけど(声紋判定なんて異様に難しいし、素人の出来るこっちゃない)、じゃあ何なんだ、と聞かれても、やっぱよくわかんないんです。
考えられるのはふたつしかない。

① 己の喋り方(声)がキモいという自覚があるから
② 匿名感を出したい

まァね、これが事実とするなら両方とも一定の理解は出来る。正確には「出来ないこともない」レベルだけど、これらの理由で「ゆっくり実況を使う」というのはわかります。
仮に①だけが理由ならば、今はもっと高度なっつーか限りなく人間の話し方に近い音声合成ソフトがあるのでそっちを使えばいいと思うんだけど、②も理由のひとつであるなら、ゆっくり実況にこだわるのもわかる。

ソフトウェアの作られた時代を思えば当然なんだけど、ゆっくり実況(ゆっくりボイス)は如何にも低性能で、しかしその独特の棒読み感が徹底的な無個性を演出しているのも事実です。
つまり、表面上は「ゆっくりしていってね」(元は「東方Project」という同人ゲームらしい)というキャラクターを用いながらも何とも言えない匿名感があるんですよ。

ただね、成り立ちを考えればこれまた当然なんだけど、ほとんどのゆっくり実況は「会話劇」という形で動画が作られています。
しかし会話劇というのは実はメチャクチャ難しいんですよ。というか現今YouTubeにアップされているゆっくり実況のほとんどは「きわめてリアリティのない」会話になっている。
リアリティのなさは匿名感の演出だとしても、何というか、どれもこれも非常に「わざとらしい」んです。

「Scribbleは2021年10月に始まったんだぜ」

「わりと最近だな」

「でも過去ログは2003年からあるんだ」

「え!?どういうこと」

「これは<やぶにら>が昔書いてたエントリもScribbleという形でリエントリしたからこういうことになったんだぜ」

「何だそういうことか。また<やぶにら>がタイムリープしたのかと思ったぜ」

ま、だいたい、こんな感じで会話が進むんだけど、これ、会話劇でやる意味があるのか、と思うものばかりなんです。
会話劇=掛け合い、とも言えるんだけど、まったく掛け合いになってない。というか「会話劇はおろか、会話のイロハがわかってない人間が作ってるな」としか思えないわけで。
アタシは「さかい親子」という会話劇をアップしていますが、会話劇っつーか掛け合いを文字でやるのは本当に難しい。たぶんゆっくり実況よりも難しいはずです。

これは落語と共通するところなんですが、如何にもひとりの人間が複数の役回りを演じてます、てなふうになっちゃうとダメなんですよ。
最初は違和感があるかもしれないけど、流れていくほどに「複数の人間による会話にしか思えない」ふうにならなければいけない。
「さかい親子」は父親とその子供との会話劇ですが、キャラクター設定はごく簡素にしながら、はっきりと違うポジションの人たちによる会話にしなきゃいけない、というのを留意しすぎるくらいして書いています。
キャラクター設定を簡素にする、というのはキャラクターとして売っていくわけではないし、あまりにも設定が強いと初見の人が楽しめない。だから徹底的に簡素にするのは当然で、でも「誰にでもポジションの違いが理解出来なければいけない」ので「父親」と「子供」というもっとも明確なポジションに決めたのです。

しかし、ゆっくり実況の場合「東方Project」という同人ゲームを知らないと立ち位置がわからないし個性もわからない。
しかもです。どの動画を見てもふたりのキャラクターに明確な色付けがなされていない。基本的には才蔵と太夫という振り分けはあるんだけど、声はともかく(それはゆっくりボイスの性能上しかたがない)口調にもまるで違いがなく、これでは太夫(解説を担う方)さえいれば十分で、才蔵は「ボケというほどでもなく、ただ意味のない相槌をするだけの存在でしかない」のです。
要するに、下手に掛け合いにすることで、テンポが悪くなってるだけなんですよ。

同じゆっくりボイスを用いたものでも掛け合いにしていない、つまり才蔵という存在がおらず太夫がひとりで喋る体の動画は圧倒的に見やすい(聞きやすい)し、制作するにあたってそこまでのスキルは必要ない。
それほど会話劇っつーか掛け合いを作るのにはスキルがいる。で、そんなスキルもなしに作るから、わざとらしくなるというかクオリティも低くなってしまう、という。

アタシがわからないのは<そこ>で、何でそんな、難しいことにチャレンジするんだろ、と。しかも大半は「かなり難しいことにチャレンジしている」という意識もなく、ただの慣例だから、くらいの感じで会話劇にしているだけなんですよ。
今回はあえて、本当は会話劇、そして掛け合いでもっとも重要な<間>については書きませんでしたが、ゆっくりボイスの性能で<間>を実現するのは、難しい、というレベルではなく<無理>ということになる。

つかさ、ゆっくりボイスは当然のこととして、今の技術で掛け合いは無理だよ。それこそPCM音声が扱えるシーケンサーソフトを使って、徹底的に<間>を弄るしかないし、それも相当なスキルがいる。いやもしそれが可能ならプロの脚本家になれるよ。







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