ドーデモイーが一番難しい
FirstUPDATE2023.7.15
@Scribble #Scribble2023 #与太話 #やぶにらこぼれ #映画 #エンターテイメント 何気ない日常 恐怖心 単ページ #黒澤明

ここ数日、あからさまにドーデモイー、つまり「どうでもいい」内容が続いてますが、これ、かなり意図的にやってるって話でして。

ここで言うドーデモイーってのは「誰にとっても」という話ではない。つか別にお役立ちサイトを標榜しているわけではないので、読んでいただいている方にとってはドーデモイーなんて当たり前なんですよ。
肝心なのは「自分自身でさえドーデモイー」ことを書いてるって自覚があることでして、少なくともこの3日ほどのエントリにかんしては内容なんか何もない。
ただ、こうした内容ゼロのエントリを書いていくってのはアタシの中で大きなチャレンジなんです。

例えばおとつい、腰痛が酷い、みたいなネタを書いたけど、あんなこと書いたからといって誰かの役に立つわけじゃないし、オチとして「マジナイになればいい」ってふうな感じで終わらせたけど、マジナイなんて一切信じてないアタシにとっては腰痛ネタを書くことそのものが何の意味もないんですよ。
しかも時間がない中で、寝る前にチャチャッと書いてるだけなので文章としてのクオリティも低い。
でも、それはそれでいいっていうかね。言い方が難しいんだけど。

短時間で、著名人でもなんでもない人間の、他愛ない日常を文章化する、もしかしたらこれが一番難易度が高い文章なんじゃないかと思ったりしておるのですよ。
それこそ、同じ内容がないにしても、言いたいことがはっきりしている場合は文章にしやすい。最近のエントリで言えば山下達郎のことを書いたけど、あれなんか山下達郎とジャニーズ事務所という主題からブレなければ、無限に文章を繋いでいくことは出来るんです。
個人的な話であっても、ドラマチックな「何か」があれば、そこに向かって語り始め、ひと通り語り終えたところでどう結ぶかだけなので、これまた非常に書きやすい。
つまりね、ドラマチックなことが何もない=何気ない日常を、文章であったり別のカタチに置き換えるのが難しいんです。


記事タイトルに惹かれたというか、街好きのアタシからしたら<街>が主役の映画?というのに興味を覚えてリンクを開いてみたんだけど、読み進めるほどに興味がなくなった。もっとぶっちゃければガッカリした。

僕(筆者注・この映画の監督。あえて名前は書かないでおく)は、多くの映画の内容がエンタメすぎることが疑問としてあったんです。登場人物の誰かが死なないと感動できないとか、それはどうなのかなと思うわけです。誰かが死ななくても、日常生活の何気ないシーンを描くことで映画はつくることができると僕は思うんです。


これにかんしてはまったく問題はない。
個人的には『多くの映画の内容がエンタメすぎる』というのはかなり引っ掛かるんだけど、それでもこの監督の言いたいことは理解出来ます。
しかし、こんなことを言っておきながら、です。

映画の撮影はすごく楽しかったです。唯一、緊張したのは、吉岡(筆者注・吉岡里帆)さんとモトーラ(筆者注・モトーラ世理奈。女性)さんとのキスシーン。ポスタービジュアルにもなった重要なシーンで、どんな距離感で、どんな色調にするのか、撮影ギリギリまで悩んでしまった。


ま、女性同士のキスシーンがあることを示唆しているわけですが、こういうセンセーショナルなことを入れたがるって、これこそまさに『多くの映画』が抱える、典型的なエンタメじゃないのか?
いやね、アタシはポリ◯レ云々はどうでもいいんですよ。
淡々と日常を描くなら描くで、それはそれでいい。でも一箇所でもセンセーショナルな箇所が入るとそこが悪目立ちする。しかもです。その前にこんなことまで語っている。

僕自身も、菜摘(筆者注・吉岡里帆)と佐保(筆者注・モトーラ世理奈)の関係は今もよく分からないままなんです(笑)


何じゃこりゃ。もう昨今の邦画の悪い部分を抽出したような、自分はここまで提示しますから、あとはご覧になった皆様が考えてください、という<超ありがち新人監督>の言動じゃないか。まるでプロ野球の新人監督が「送りバントは一切しません!」と宣言するくらい、ありがち。
引用記事のタイトルに<新感覚>なんてあるけど、新感覚どころか、一見新しいっぽい、今の時代っぽいけど、アンチテーゼにすらなってないほどありがちです。

むしろアタシは、勝手に考察してください系ではなく、何も考えずに楽しめる超娯楽、この監督流で言えばエンタメか、に振り切った監督がいないことの方がはるかに問題だと思う。
考察なんてまったくする余地のない、純粋なエンターテイメント。事実、ある時期までの黒澤明作品はそうなってたし、徹頭徹尾わかりやすいコントにこだわったドリフターズの方が作品としてははるかに高尚だと思うわけで。

結局ね、この監督も「ドーデモイー」が怖いんでしょう。
本当に自信があればセンセーショナルな何かを入れ込まずに最後までドーデモイー、つまり何気ない日常で押し通せたと思うんです。
そうなんですよ。ドーデモイーを貫き通すには心理的な恐怖心から打ち勝たなきゃいけない。「ここで<フック>を入れなきゃ」とか思ってしまった時点で負けなんです。
アタシは負けたくないよ。この前の荒井注の話みたいに娯楽に振り切る時は振り切る。んで腰痛ネタなんかは「何気ない日常」、つまりドーデモイーに振り切る。

ドーデモイーネタの時は「楽しんでもらおう」としちゃダメです。ね?つまんないでしょ?でもこのネタはつまんないこと自体が目的だから、レベルで割り切らないと何も作れないと思うんですよねぇ。







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