キン肉マンと言われても思い出すのは
FirstUPDATE2023.6.24
@Scribble #Scribble2023 #アニメ・漫画 #1980年代 少年ジャンプ ドラゴンボール ハイスクール奇面組 キン肉マン 森永製菓 水島新司 ドカベン トーナメント戦の面白さ 単ページ

まァね、今年でマイウェブサイトをはじめて20年になるのですが、本当に、いろんなネタと言うと聞こえがいいけど、マニアックとまでも言えないマイナーなネタをいろいろ書いてきたわけで。

たとえば漫画ネタも結構書いたけど、そのほとんどはただの<ファン>(≠マニア)でしかない藤子不二雄の話とかだし、いわゆるドメジャーな漫画についてはほぼ書いたことがありません。
じゃあね、それこそ、ドメジャー中のドメジャーな「週刊少年ジャンプ」とか読んでなかったんだな、と思われるかもしれませんが、いや読んでた読んでた。ま、読んでたのは確か1980年代なかばくらいまで、つまり高校生の頃までだけどさ。

↑は1986年の少年ジャンプだけど、こうやって見ると、たしかにほぼ全部読んだことがあるのですが、あらためて何か書きたいと思える作品はほとんどない。
アタシは「北斗の拳」とか「聖闘士星矢」、「キャプテン翼」あたりには極端にハマってなかった。つかハマれなかった。だからかなりいい加減な読み方で、前回どんな感じだったかあんまり憶えてなくて、常に流し読みだった気がします。
「ドラゴンボール」はドラゴンボールを集めてた頃はちゃんと読んでたし、「シェイプアップ乱」(先の表紙は「ターヘルアナ富子」の時だけど)とか「ついでにとんちんかん」も読んでたのは憶えてる。

で、漫画とアニメ、両方見てたのが「ドラゴンボール」は当然として「ハイスクール!奇面組」と「キン肉マン」です。
奇面組とキン肉マン、どっちのが思い入れがあるかというと圧倒的に奇面組の方で、アタシはいまだに「一堂零は本当は超天才で、人間の真理を追い求めるためにあえて馬鹿に徹している」と思ってるんだけど、まァそれはいい。
今回はとにかくキン肉マンの方を書こうと思いまして。

アタシにとって「キン肉マン」とは「キン肉マン Go Fight!と森永製菓と火事場のクソ力」ということになる。キン消しが入ってないのはキン消しにハマったのはアタシの4つ下の弟世代で、アタシはスーパーカー消しゴム世代だからね。
「キン肉マン Go Fight!」がすごいのは、ちゃんと「リング入場テーマっぽいオープニングになってる」ってところで、アタシはプロレスには興味ないんだけど、あの「♪ パパーパパーパ パパーパパーパ ゴー!ゴー!マッスル!」っていう出だしだけでアガる。また全体的に絶妙にスペーシーな感じになってるのも素晴らしい。(ま、一応宇宙人だし)
マジであれこそ「まんがのうた」の頂点ですよ。

で、その「キン肉マン Go Fight!」が主題歌だったアニメ版は日曜日の朝の10時から、というフシギな時間帯にやってたのですが、何故か「森永製菓がスポンサーだった」というのは強烈に憶えています。
森永製菓ってスポットCMは多かったけど、ターゲットである子供が見ていると思われるアニメのスポンサーをあんまりやってなくてね。
ただ、今検索すると、例のグリコ森永事件の時にスポンサーを降板していたのか。これは憶えてなかった。

最後の「火事場のクソ力」はね、漫画やアニメから慣用句が変わってしまった典型例だと思う。
もちろんそれまで「火事場の馬鹿力」という言葉はあったわけですが、ま、<捻り>として「馬鹿」を「クソ」に変えたんだと思うんです。
ところが「キン肉マン」の劇中、かなり頻繁に「火事場のクソ力」というワードが登場し、もちろん「キン肉マン」は大ヒットしたわけで、あれ?火事場の馬鹿力と火事場のクソ力、どっちが正しい(本当)だったんだっけ?となっていった。
もはや、単純に言い易さからか、火事場のクソ力勢力のが優勢にすら感じるというか、「キン肉マン」を一切知らない世代でも「火事場のクソ力」のが一般的っぽいんですよ。

この影響力はこの頃のジャンプに連載されていた超強力な作品群の中でもズバ抜けている。
そんなことを言えば「トーナメントで最強を決める」ってのも「キン肉マン」発なんだろうけど、これ、フシギなんだけど、トーナメント戦を漫画でやるならキッチリガッチリ設定を決めずにテキトーにその場のノリでやった方が面白くなるんですよ。
これは格闘じゃないけど「ドカベン」なんかマジそうでしょ?辻褄とか整合性とかすべて無視して、とにかく目の前のシーンが面白くなればそれでヨシ!みたいな。

これね、大のプロレスファンのゆでたまごや大の野球ファンの水島新司は「トーナメントの面白さ」を肌感覚でわかってたんだと思う。
ただたんに「負けたら終わりの緊張感」だけじゃなくて、少なくともその大会は同じ相手と二度と当たらないからこそ使える<手>とか、時に運の要素が実力差を埋めることがあるとか、作劇的なことで言えば、きわめて緊張感が強い中だからこそ、あえて結構な頻度で<笑い>をねじ込むとかね。
そういうのは計算して作ったら、もう絶対、面白くないですよ。だって何が起こるかわからないから面白いんだから、作者自身もわかってない方がいいんです。

だからこそ思うんだけど、集英社がゆでたまごを大事にしなかった意味がわからない。いわば「キン肉マン」が、ゆでたまごがジャンプの形を作った大功労者なのに。
ま、一方、秋田書店は水島新司を大事にしすぎた気もするんだけど。