只今22時40分。日付が変わるまであと1時間20分しかない。にもかかわらずまったくのノープランなので、何となく思ってる程度の何の結論もない話でお茶を濁します。
以前アタシはカズチャンネルの福井のカズさんについて「チクッとはやるけど毒はない。いわば無毒針みたいな感じで、でもそれがちゃんとフックになってる」みたいなことを書きました。
実際問題、トークの毒のさじ加減は非常に難しい。とくにユーチューバーのように、仮にどれだけ喋りが達者でも特別訓練を受けてない人がこのさじ加減を調整するのは本当に困難だと思うんですよね。
でもね、最近ちょっと思ってきたんだけど、もうこの時代、いや時代と書くと語弊があるな。とにかく2023年からしばらくは、仮に無毒針であっても「チクッ」もない方がいいんじゃないかと。
正直ね、ユーチューバーのチクッってほとんど無意識なのですよ。別に毒を吐いてやろうとか考えてやったわけでもなく、ただ思わず出てしまったみたいな。
でも確実に、その無意識なチクッでセンシティブな人はそのチャンネルから離れていく。軽い気持ちで茶化した程度でもセンシティブな人からすれば「自分の好きなモノをものすごくディスられた」みたいに感じるような気がするんです。
でもそれじゃ<フック>もなくなるだろうって?いやまあ、それも一理あるなって話で、そりゃユーチューバーも最低限の構成は作って喋ってる人もいるんだろうけど芝居レベルで一言一句台本に忠実な、というかそんな緻密な台本を作ってる人はいないはずです。
となるとどうしてもその場の思いつきとかノリの方が優先される。ま、それはしょうがないと同時に、興味を惹く、つまりは新規視聴者にとってはフックになる=登録者数を増やす可能性もあるんだから完全に排除する必要はないんですよ。
ただ、仮にそうだとしても、それでも、無毒針であっても、チクッはいらない時代が来てるんじゃないかとね。
今回はあえて名前を出しませんが、アタシがここひと月ほど超ドハマリしているチャンネルを見てると、むしろこれからは「優しさ」なんじゃないかと。
言ってもそのユーチューバーはまったく毒を吐かないわけじゃない。つか動画によってはかなり毒が強い時もあります。
しかし全体を覆うのは「優しさ」で、喋り方もなんだけど、毒の吐き方も「優しさ故」というふうに思えてしまうのです。
これは以前にも書きましたが、優しいって厳しいんですよ。
つまり本気で相手のことを思えば、自分が恨まれてもいいから言ってあげないとダメだ、と考える。つまりは「熱い心」から来る厳しさなわけで、熱い心があれば「大丈夫大丈夫」なんて言えない。
いやね、熱い心をさらけ出すって恥ずかしいんですよ。ましてやYouTubeの動画でとなったら、普通はそこまでしない。
でも、だからこそ、響く人には響く。現にアタシはメチャクチャ響いたわけで。
ってダブスタみたいだけど、毒を吐くってのは「熱い心故」とか「優しさ故」でないと不快になるんです。
つまりね、何もさらけ出してないユーチューバーに余計なチクッをされたら、そりゃチャンネルから離れますよ。逆に言えば、多少なりとも毒っ気を混入させたいのであれば、恥ずかしいだの言ってないで、まず己がすべてをさらけ出してから、ということになるわけで。
そうは言ってもYouTubeで熱い心をさらけ出す人なんかほとんどいない。つか「それはちょっと」って思うユーチューバーが大半でしょう。
だったら、なんですよ。毒がないのはもちろん、チクッもない方がいいんじゃね?と。
フックはね、トークじゃないところで生み出す方法を考える。企画もそうだし、サムネイル画像とか構成とか、いろいろと出来ることはありますから。で、トークはチクッもない、ただただ楽しいだけにする、と。
ま、こんなもんじゃないですかね。ノープランのわりには書けた方だな。
あ、最後に告知。明日は久しぶり、ファンサイト向けの文章としては実に13年ぶりに「CRAZY BEATS」のエントリを出します。かなりの大作です。てなわけで、ではでは。