ナショナリズムを感じやすいのは
FirstUPDATE2023.3.23
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もうちょっとだけWBCの話を書こうと思うのですが、ま、今回は試合云々ではなく世間の反応にスポットを当てようかと。

当たり前の話だけど、世の中には野球嫌い、サッカー嫌い、スポーツ嫌いがいる。それも一定数。
そのことにたいしてアタシは否定しない。だってもう<好み>というのは誰にでもあることだと思うからね。
で、実際、SNSでも「野球うぜぇ」「WBCとか早く終われ」という声があるし、もちろんそれもぜんぜん構わないんですよ。
ただね、どうも、野球嫌いだから、とか、スポーツに興味がないから、という理由でそうしたことを書き込んでるんじゃないんじゃないかと。

WBCもだし、先のW杯やオリンピックもだけど、こうしたスポーツの世界大会とナショナリズムは結び付けやすい。
野球が、サッカーが、スポーツがどうこうは実はあんまり関係なくて、それよりも「ナショナリズムへの嫌悪感」からこうしたことを言いたくなるのではないか、と睨んでいるのです。
これも別に否定ではないんですよ。でもナショナリズムとか同調圧力といったものにたいして、必要以上に嫌悪感、いや恐怖感を持つ人がいる、というのは絶対考えなきゃいけない。

メチャクチャな言い方をすれば、もしかしたらWBCなどのスポーツの世界大会に「軍靴の音が聞こえる」と感じているのかもな、と。

しかし、そもそもスポーツは「平和の祭典」とされてきた。実際にそうなってるかはどうでもいい。それでもそうした理念抜きにスポーツという<娯楽>は成り立たないと思うのです。
というか人間から闘争本能を奪い取ろうというのがそもそも無理な話で、それを直接的な暴力や戦争という形ではなく、ルールの中で、生命の危険を感じることなく、争うことが出来る。それがスポーツが娯楽の王様になった理由だと思う。

つまりね、スポーツってのは国同士(国内の地域同士でもいい)が武力的に争うことへの代替行為なのです。
誰が考えたか知らないけど、オリンピックの「4年に一度」というスパンは奇跡的によく出来たシステムで、つまりは「4年に一回、スポーツでガス抜きしましょう」ということなんですよ。と同時に「普段はバラバラでもいいから、4年に一回くらい国民がひとつになりましょうよ」ということにもなってるのが素晴らしい。

アタシはオリンピックはもちろん、WBCやW杯の組織委員会には批判的だし、このままで良いとかまったく思っていない。
それでも、こうしたスポーツの世界大会が何とか良くなってね、本当に国民がひとつになって応援出来る態勢になれば良いとは思っているんです。
そのことにたいして、嫌悪感を持つ層がいるのは、繰り返しになるけど、もうそれはしょうがない。漠然とした嫌悪感ってのはおそらく先天的なモノだろうから、変えろと言われて変えられるわけではないからね。
それでもね、あまり、ナショナリズムとか同調圧力にたいしてセンシティブになるのはどうかと思う。

ひとつだけ言わせていただくならば、嫌悪感があるならあるで、あんまり無理な屁理屈を捏ねない方がいいよ。
WBCの決勝でも、アメリカがチャンスの時はスタンドから「ユーエスエー!」の大合唱だったし、そんなのどこの国でも同じです。際立って日本だけがナショナリズムや同調圧力が強いということはない。むしろ世界的に見れば日本はナショナリズムや同調圧力が弱い国って言われてるレベルなんだから。

むしろさ、「どうしてもナショナリズムに嫌悪感があるんだ」と正直に吐露してくれた方がよほどスッキリするし、同調してくれる人も増えると思うんですよ。
だってさ、興味のない=あまり知識がないってことなんだから、いくら強い言葉を使っても浅い知識である限り、そこそこ深い知識を持ってる人に刺さるわけないじゃん。
というかこれは何度も書いたことだけど、誰の目から見ても完全無欠の娯楽なんかあるわけがない。どんな娯楽も否定的に見ればいくらでも否定的に見れる。でもそんな屁理屈をいくら書いても書き手が見下されるだけですよ。

いやむしろ、アタシなんかはどっちかっていうと、まァいいか。







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