別の友人と会う
FirstUPDATE2023.3.1
@Scribble #Scribble2023 #体験 単ページ 天才 友人 イチロー 糸井重里

紛らわしいんだけど、<別の>であって、こないだ書いた友人とは別人なんだけどね。

こんなこと本当にあるのか、と思うのですが、23日に神戸在住ではない友人が<たまたま>用事で神戸に来てて会うことになって、翌24日はやはり神戸在住ではない別の友人が<たまたま>仕事で神戸に来てて、2日連続で旧友に会うことになったと。
23日に会った友人(以下、23日友人)は8年ぶり、24日に会った友人(以下、24日友人)は3年ぶり。さらに言えばアタシを含めて3人とも面識があるというか、シンプルに言えば23日友人と24日友人も友人同士です。
お互い、翌日(前日)に神戸に行くことを知らなかったみたいなのもすごい。つまり全部偶然。

ま、何の共感性をも生まないシンクロニシティを書いてもしょうがないんだけど、アタシもね、例のパンデミック以降、他の交友関係も含めて友人と会うことも少なくなり、こんな感じで普通に友人と会うのはほぼ3年ぶりということになる。
しかも2日連続、厳密に言えば25日も24日友人と会ったので3日連続になるわけで、何というか、仕事とはぜんぜん違う感じで、やたら疲れた。メチャクチャ楽しかったから、まァ心地良いっちゃ心地良い疲れなんだけど、疲れたのは事実で。

23日友人のことはこないだ書いたから今日は24日友人の話を書くけど、主題、いや別に主題を決めて喋ってたわけじゃないけど、何となく<天才>というのがキーワードになったというか。
アタシの思う天才とは、この人の真似をしたら大やけどを負う、みたいな人です。
真似出来ない、というのは言い方を変えれば替えが効かない、ということになる。つまり天才に何かあっても誰も代役はつとまらない。<穴>が開くだけです。
だから天才は体調の悪さが許されないのはもちろん、ある意味<老い>すら許容してもらえない。そこが天才の辛いところで。

そういう意味で24日友人は間違いなく天才です。
まァね、天才天才ってのもうるさいので、言い換えればイチローですよ。
例えばSNSとかで「狙ってバズる」とか、ほぼほぼ無理です。可能であるとするならAdoのような人だけ。
でも24日友人は先日「狙って」バズらせたらしい。んで、いとも容易にバズらせられるところを彼の息子も尊敬してるらしい。
だからアタシは「バズりパパ」とイジらせてもらった。もっとも彼がバズりパパならアタシは「バズらせられないパパでもない」だけど。

というかね、その友人が自分で言ってたことだけど、彼は「たゆまぬ努力を重ねたことで今の自分を築くことが出来た」とずっと思っていた、と。
じゃあ、仕事に限定するとして、彼に及ばない人は彼より努力してないのか、というと、そんなことはない。仕事である限りみな、いやみなかはわからんけど、誰しも努力をしていると思うんですよ。
これね、たぶんイチローもなんですよ。イチローはおそらく自分で「理論派」「努力家」と思ってるように思うんだけど、違いますよ。ただの天才です。「天才ってまるで何の努力もしてないみたいに言うな!オレだって努力してるんだ!」と言いたい気持ちはわかるけど、天才以上の称賛があるか。

ついに24日友人も「自分はイチローだった」と認めた。んで気づいて以降、仕事が出来ない人も見ても「努力が足りないからだ」と思わなくなったらしい。
そうだよ。24日友人は紛れもなくイチローだよ。いや紛れはあるか。そんな彼にアタシは素晴らしいキャッチコピーを贈った。

ニッチローよりもイチローに近い男

もちろん顔の話じゃないよ。モノマネの話でもない。
これ、ニッチローとイチローの振り幅を考えたらっつーか、ニッチローをどんな評価してるかで意味合いが変わる。「そんなん当たり前やんw」と思うか「いやそれはすごい」と思うか。
すごいでしょ。いやアタシがですよ。こんなキャッチコピーは、かの糸井重里でもなかなか浮かばないと思う。

何が言いたいかというと、アタシも天才だったってことですよ。ビタ一文ゼニにつながらない天才だけど。







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