値上げはしょうがないけど
FirstUPDATE2023.1.7
@Scribble #Scribble2023 #世間の話題 単ページ 値上げ マクドナルド ヤマザキパン カップヌードル 安藤百福 #1970年代 #戦争 #東京 #食べ物

いやもう、さっそく行き詰まってるというか、何で「夜に書いて寝る前にアップ」なんて公言しちゃったんだろ。マジで後悔しかないよ。

それでも無理矢理何かデッチ上げようとニュースをいろいろ見ていたのですが、そうか。またマクドナルドが値上げですか。
普通のハンバーガーで言えば、去年のこの時期はまだ110円だったらしい。それがもうすぐ170円。これでもまだ諸外国に比べると安価らしいんだけど、さすがに170円はね。というかマクドナルドのハンバーガーって感覚的には「150円くらいが適正」な気がする。それが110円だったからオトク感があったわけで、170円ならやっぱ「ちょっともったいない」みたいな気持ちになる人が多くなるんじゃないかね。

それでもね、やれコロナだ、やれ戦争だ、やれ円高だ、となったら、国民の大多数は値上げ自体は受け入れていると思うんですよ。
でもね、それならそれで「なるべく上手く値上げして欲しい」と思ってしまう。
ヤマザキパンの薄皮シリーズが5個から4個に減った。これだけなら反発を食らう<やり方>だけど、1個あたりを大きくして、総重量もあまり変わらないようにしてね、これはわりと上手くやったケースではないかと思います。
せめてね、こういう、ただ「値上げしました」、ただ「容量を減らしました」だけではなくて、ほんのちょっとでも「やれることをやりました」みたいにして欲しいんですよ。

それこそね、例えば20円値上げやむなしなのであれば、いっそ50円値上げして、コストを30円増しにするとかね。
これもどれだけ上手くやるかが勝負で「実は30円分しか豪華になってないんだけど、いろいろ工夫してまるで50円分豪華になった」ように見せて欲しいんです。
なんてことを考えると、どうしても安藤百福のことを思い出す。
安藤百福はもちろん日清食品の創始者ですが、個人的に感心したのはカップヌードルの開発の話です。

カップヌードルの発売は1971年ですが、当時の希望小売価格は100円。Wikipediaには「袋入りインスタントラーメンの3~4倍程度の設定」とありますが、1971年ならばまだ店でラーメンを注文しても100円くらいのところが結構あったんですよ。
つまり張り合うべきは「店のラーメン」になってしまうわけで、どう考えても勝負にならない。いくらカップヌードルが画期的な商品だったとしても、そりゃ当初は売れ行きが悪くて当然です。

このことは当然、発売前から日清の開発陣は気づいており、また危惧していた。つまり売れないのではないかと、
現場で陣頭指揮をとっていたわけではないとは言え開発に並々ならぬ意欲を燃やしていた安藤百福はひとつの注文を出した。それが「具材にエビを入れろ」と。
エビはそこまでコストに跳ね返らない。いやその分価格を上げてもいいから、とにかくエビを入れろと。
何故そこまで安藤百福がエビにこだわったのか、それは「エビが入ってるだけで豪華に見える」と。つまり「味のアクセントとして」ではなく「見た目の豪華さのため」にエビに固執したんです。

一般にはカップヌードルが成功したのは「銀座の歩行者天国の食べ歩き」と「あさま山荘事件」だと言われていますが、アタシはそれよりエビが入ってたことがかなり大きいと思う。
実際はあれほど小さく、また色合いが良いエビを見つけるのに相当苦労したというエピソードが残されていますが、とにもかくにも、あまりラーメンの具材として用いることがないエビを入れたからこそ「カップヌードルはカップヌードルという食べ物で、ラーメンと比べるものではない」となったんじゃないかとね。

そういうね、ああ、たしかに高いけどアタマを使ったな、みたいなのがあると、人間の心情として何となく許したくなるを超えて応援したくなるんですよ。
こういうのはシステマチックにやればやるほど失敗する。何でもかんでもAIのが優秀なんて莫迦なことを言うヤツがいるけど、人間の情味みたいなのが理解出来ないAIに判断出来るわけがないんですよ。

たぶんこの値上げ騒動は、その企業が「情味のある企業」なのか「システマチックなだけの企業」なのかはかる試金石になると思う。
そして言えるのは、生き残るのは絶対「情味のある企業」の方ですよ。
・・・なんとかデッチ上げたけど、どうでしょうかね。







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